昨日変な夢を見ました。
夢の中で亡き母が占い師のような奇妙な女性に依存していて、私と父が母に対して「ここ(家)は私たちの聖域だった」と言い、母に睨み付けられるという内容でした。
もうあの母という名の怪物はいないのに、私はおそらく未だに嵐が丘のキャシーのようにとらわれ続けているのだろうか。
昨日変な夢を見ました。
夢の中で亡き母が占い師のような奇妙な女性に依存していて、私と父が母に対して「ここ(家)は私たちの聖域だった」と言い、母に睨み付けられるという内容でした。
もうあの母という名の怪物はいないのに、私はおそらく未だに嵐が丘のキャシーのようにとらわれ続けているのだろうか。
前回の自分に当てた手紙のようなものの続きです。
昼間、自分の神経質な性質についてそれがどんな事がトリガーになる場合があるのか考えてみました。
私は、他人の言葉や行動に左右されやすい。
些細な言葉や行動に何か裏があるのではないか、と時折猜疑心にさいなまれ、他人を信じられい時がある。
しかし、猜疑心は時に必要だ。
例えば、ルイ14世の妻マリーテレーズ。
彼女の場合は、夫の度重なる浮気と自分への無関心さだったが、猜疑心を持つ事で自分が傷つかないように心を守っていたんだと思う。
マリーテレーズを思うとどれだけ自分が傷つかないように守っていたかと思うと私の心は今にも張り裂けそうになる。
私の場合は、他人の尊敬を時折「社交辞令だろう」「実は見下しているのではないか」と思い、素直に受け取れず、言葉の裏を考えてしまう事があある。
そして皮肉な事に私はシーランドの爵位を持っている。
貴族社会とは常に疑いと真実はほとんどない闇でできている。
なんという皮肉だろうか。私のこうした性質は貴族社会の性質そのもので、まさに貴族らしい性格をしている。
私はLive Through Thisでコートニーが生き抜くと宣言したように私は生き抜く。
たとえそれが時に自分にとって深い傷となっても。
私は自分を無垢だと思った事は一度もない。
私はLive Through Thisという言葉のように、神経質なトリガーにふり回わされず、他人の言葉に左右されずに生き抜きたい。
私の神経質さは時に偏頭痛が起き、精神が落ちこむほどになる。
しかし神経質さも時に大切にしたいと思う。
私はオルレアン公フィリップ一世が大好きだ。彼の神経質は、私は本当に理解できる。
彼もおそらく、時に彼の神経質な性格を理解されずに苦しんだ時もあるだろう。
私もその地獄のような苦しみがよく分かる。
そばにいたら、彼を軽視する人間どもをなぎ倒して守ってやりたいほどだ。
そして手を握ってそっとこう言ってあげたい。「殿下、あなたは一人じゃない。あなたの苦しみは私の苦しみだ」と。
前の記事で悲劇が私にもたらすものを書いたけれど、悲劇がどれだけ私にとって「燃料」となっていたのかと言うと悲劇によってもたらされる痛みを立ち上がる力に変えていたからだ。
たとえば時にはそれがNirvanaの「Rape me」のような挑発的で怒りで立ち上がり、抑圧に抵抗するものであったり、「You Know You're Right」のように苦痛の棘で胸を刺され、血を流し、苦痛と絶望で涙にくれながら吐き出す力だった。
いわば悲劇は私の恋人だった。
Holeでいえばvioletの怒りそのもので、コートニーのように壊れそうで壊れない美こそが私の創作を突き動かしていた。
私はvioletのように叫びたい。
「全部持っていきなさいよ!」と怒りと苦痛に満ち、敵を踏みつけ立ちがるように。
私の大好きな歴史ドラマでルイ14世を主人公とした「Versailles」という作品がある。
その中で、ルイの弟フィリップの愛人であるシュヴァリエが嫉妬とすれ違いから絶望し、悲しみにくれ涙する場面がある。
彼の瞳は絶望の涙で真っ赤に染まり、手は震え、全ての希望を見いだせないという表情で嗚咽をあげる。
しかし彼はその痛みから苦痛と絶望と「すれ違い」という悲劇から立ち上がった。
まさしく私がなぜこれほどまでに悲劇が薄れていくのが恐ろしいのかというのはこの理由なのだ。
悲劇から生み出される美こそ美しい。
苦痛ほどリアルな痛みは存在しない。プラスチックの偽物の苦痛など、必要ない。
果実が腐り果て、破裂して腐臭を放つ苦痛だけが本物の苦痛なのだ。
カートが「You Know You're Right」で吐き出した生々しい感情を、私は常に吐いていたい。
悲劇というティアラをコートニーのように被っていたい。
悲劇依存症の自分に嫌気がさす。
なんだか最近、自分を酷く惨めに感じる。
灰色の冷たい壁で四方を覆われて何も見えない気分。
私の創作のもたらすものはまさしくカート・コベインが言った「悲劇よありがとう。それが俺の芸術の元だから」だったのに。
悲劇が薄れていくのが恐ろしい自分がいる。
悲劇による苦痛、悲しみ、絶望、怒りこそが全ての燃料だったのに。
最近は何もかけない自分に苛立ちすら覚えてしまう。
カートはきっと、こんな気持ちだったのだろうか。
答えを知る事はもうできないけれど、キャメルメンソールを吸う度にあなたを思い出す。
あなたは今でも私の憧れであり尊敬です。
ところで、gooblogが11月にサービス終了するって非常に困るんですが…。