更年期の箱の中

更年期の毎日の中で思うことなどを書いています。

鏡よ鏡

2023-02-22 18:05:46 | 日記

書きながら考えてみたいことがいくつかあって、そのどれもなかなかまとまらないまま時間が経ってしまいました。このままだと、せっかく良いペースでアウトプットできていたのにもったいないなと思ったので、今日は何かしら書き切りたいと思います。

まず、このところ気になっているキーワードをいくつか並べてみて、書けそうなやつがあるか見てみます。この日記がただの下書きメモになりませんように。。。

罪悪感、今の自分が恥じている過去の自分、因果応報、自己肯定感、鏡。ちょっとダークサイド寄りで、まだまだあったような気もするけれど、おそらくこれらについて考えていくと、結局一つにまとまってくるような予感がします。

鏡から行ってみようかな。いつかの日記に書いた知人に関係する話です。

この知人が来月にまた家に1週間ほど滞在することになっています。前回の滞在後に色々考えることがあったり、夜中に胃痛で目が覚めるくらい胃腸にも来てしまって、なぜこんな風に彼女に反応してしまうのか、思うことをメモに書き出して自分の心理を掘り下げている最中です。彼女とは家族を介した関係があるので、これからもそれなりに上手く付き合えるようにしたいのです。

自分の心理を掬い出して文字にして確認する作業はまだまだ途中で、腹落するところへは辿り着けていません。ただ、このタイミングでなんとなくわかっているのは、彼女は今の自分が恥じている過去の自分を映し出している鏡なんだなということです。まだ、私自身もそれを素直に認められないでいます。だけど多分そうなのです。

彼女は私の娘であってもおかしくない年齢です。そんな彼女に対する私の感情をランダムに書き出しているメモを見ていて発見したことは、私たちには共通点があるなということ。これについて二人で話したことも今後話す予定も無いけれど、お互いに自己肯定感がとても低い。インスタグラムかなんかで「自己肯定感」という言葉をよく目にするようになった頃は、その意味が全くわかりませんでした。この自己肯定感があまりにも低いが故に、彼女の場合は他者に対してパッシブ-アグレッシブ(受け身の立場を取り、相手を間接的に攻撃するコミュニケーション方法)に出てしまっているのだろうという推論を立てています。

どういう仕組みかというと、自分の欲求や要求を素直に表現して相手に許容されて相手から与えらた経験が少なく、欲求や要求を否定されたこと(悲しい、悔しい、絶望感)が強く太く記憶に刻まれているので、自己防衛手段として相手の顔色を伺い、そこから相手が求めていることを推察し、相手に許容されるように振る舞うことに長けてしまった。その弊害として、自分自身の欲求や要求を素直に表現することができない以前に、それが何かを自分に問うこともしない。無駄だし、自分自身が否定されるような結果を招くのは嫌なので。だからいつも受け身の立場を取るものの、実際は心の奥に自身も上手く認識できていない欲求や要求はしっかりとあり、それを許容してもらえないことへの憤り(強い思い込み)もあるので、なんだか歪んだ表現となって振る舞いに出てしまう。

まさにこれを、若かりし頃の私自身が周りに対してやっていたのだと思っています。

この「若かりし頃の私自身」との折り合いがついていません。50歳を目の前にして人生の棚卸しをしようとしている49歳のおばさんにとって、今の自分が恥じている過去の自分と対話することは難儀です。それでも、知人との関係に持続可能な健全性を見出すためには、何よりもこの先の人生をもう少し明朗会計で少ない荷物で歩んでいくために、おそらくここがキーポイントになるだろうことがわかっているので、もう少し時間をかけて、心の準備をして、過去の自分と対話をしたいと思っています。



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