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ただいまかぎり

自分の趣味嗜好で日々の出来事を写真付きで書く

淡路島のオノコロ神社へ   セキレイと三三九度

2015-09-23 07:26:29 | 旅行

 2015年9月18日 沼島を16:20ごろ出発して、淡路島のオノコロ神社へ向かいました。 到着したのは約17:00。

第一印象は、 それにしても、大きな鳥居だな ~ です。 神様にこんな大きな鳥居が必要なのだろうか?

 

全体のバランスを見れば、ご理解いただけると思います。 右奥が社務所です。 次に手水舎、 左側には、

社名柱 真ん中の道の階段を進むと本殿という配置です。 それにしても、まだ十分あかるかったのですが、

駐車場には一台も車はなく、神社にも、社務所にも人影はありませんでした。 

  

  

そこに、この鳥居 です。 どう考えたらいいのでしょうか。 神社全体は、コンパクトにきれいにまとまっているのです

が、、、、社殿の中でも社務所がより大きい感じですし、神社の規模からいったら思いのほか大きな駐車場です。

そして、この頑張っている感いっぱいの大鳥居。 何か、エネルギーを感じました。

 

 気づくと、大きな看板がありました。 そこには、大鳥居の塗り替えご奉賛のお願いと、鳥居建立の概要が誇らしげに

示されていました。

   

どうやらこの神社は、神様のご意向というよりは、神様につどう人々の願いが厚く込められたエネルギーがある神社

という感じがしました。 この時間で、参拝者がいないのですから、よけいにそのことを感じます。

さて、お参りの順路は、真ん中の階段を進みます。

   

 そして、正面の階段を上がると、右側にこの神社のメインのうり、「鶺鴒石」 (セキレイいし)があります。

 鶺鴒(セキレイ)石のいわれが、左の小さな案内板に書かれていました。 この石の上に、つがいのセキレイが

止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て、伊弉諾命(イザナギノミコト)と 伊弉冊尊(イザナミノミコト)は夫婦

の道を開かれて、国生みをされたといわれています。 現在でもそのセキレイのしぐさを、神前結婚式に象徴的に

あらわしているのが、三、三、九度だそうです。  え!~ そうなんだ!~ 恥ずかしながら、初めて知りました。

さて、ここで、二つの疑問が生じます。

一つは、古事記での国生み、神生みの話とセキレイがどう結び付くのか?

イザナギノミコトがイザナミノミコトに問ひて曰(ノ)りたまはく、「汝が身は如何に成れる」と曰(ノ)りたまへば、答へ

たまわく、「吾(ア)が身は成り成りて成り合はざる処一処在り」とこたへたまひき、ここにイザナギノミコト詔りたまはく

「我(ア)が身は成り成りて成り余れる処一処在り。故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合わざる

処に刺して塞ぎて、国土を生み成さむと以為(おもう)ふ。生むこと奈何(いかに)」 とのりたまへば、イザナミノミコト

「然善(しかよ)けむ」 その後、天の御柱を右回り、左回りでまわってまぐはひをした。と若いころは何かワクワクして

呼んだ覚えがありますが、、そこではセキレイは出てきません。 すぐ気づくことは、セキレイは日本書紀に出てくる

事柄なのかなという事です。国生みとセキレイを書きネット検索すると即ヒットしました。 矢切通信というブログの

中で日本書紀とセキレイの関係が出てきました。 これで一つ問題解決です。 

二つ目は、なぜセキレイ? なんだろうか? 他の生き物の方がよく見ることが出来るのではないかな? 

セキレイは比較的身近にみられる鳥ですが、鳥の交尾までは見ることが難しいのでは? 自然観察の好きな人が

日本書紀を書いたのかな ? セキレイを見たのだから、海に近い所に住んでいたのかな? 単にセキレイの数が

多かったのかな? それとも、セキレイに注目した何か特別な意味でもあったのかな? など雑多に、、、?

私から見るとセキレイは、スマートな鳥で、素早い飛び方し、ユウモラスな歩き方をする鳥、位の認識しかありません

でした。 しかし、これもまた、困った時のネット検索をすると、あるブログ(但馬二千年桂)では、セキレイの 「白と黒の

配色がとても重要なことであった 」 とのことで、、ついには、鉄を作っていた集団まで出てきて話は広がっていきました。

リンク先を、ご一読ください。 二つのリンク先は、なかなか興味深いことを書いています。 世界が広がりますぞ!

 

さて、拝殿がなく、本殿の前に神楽殿という配置は、自分にとっては初めて見る形体でした。 拝殿がなくいきなり

本殿という形は、よく見かけるのですが、、、神様に舞を奉納することが重要視されていたのかな、、、

 とても、コンパクトでスマートさを感じさせる神楽殿と本殿にお参りをし、あらためて由緒を読んでみました。

それには、日本の原点となる神社とうたわれていました。 しかし、それにしてはちょっと寂しかな。 

この由緒書きの右側の奥に 御神木が大事に保管されていました。

  

左側の本殿横を通る小路を通って突き当りにあるのが、摂社の八百萬神社です。 ここには、伊弉諾命・伊弉册命

御神徳をたたえて、ここにその御子神様をお祀りしているそうです。一度にすべての神様にご挨拶が

出来るようです。

  

きれいに整備されたこの神社に、人の姿が、感じられないのでよけいに、人の思いが感じられる神社でした。

 


オノコロ島をめざして 沼島 上立神岩

2015-09-21 21:22:35 | 旅行

おのころ神社を下って海岸にでると 、青々とした別世界が広がっていました。 透明感あふれる砂浜に、しばし、

足を止め、散策。 真夏は、海水浴客でにぎわうだろうな~、でも このような離れ小島に来る人は多いのだろうか? 

もしかしたら、穴場スポットなのかもしれないなという感じでした。

 

左右見渡してみてもそんなに広くない場所なのに、解放感一杯。

  

コンパクトにまとまったビーチというイメージですね。

  

人影がないから、まさにプライベートビーチ。 白砂が青い海に映えますね、一人占め感にしばし、浸りました。 

  

更衣室、シャワー、トイレ と、まとまっていました。   案内板には、離島振興事業で沼島は整備されたとうたわれ

ていました。 松くい虫にやられて荒れてしまった島の森林整備をし、歩けない状態の森に道をつくり、現在では

近畿自然歩道にもしていされているとの内容でした。 (平成8年から12年にかけての話)
 
 地元の観光地図をたよりに、A地点より左回りで、B、Cとめぐり上立神岩へと向かうことにしました。
 
 
早く、上立神岩へ行きたい場合は、港をスタートして真ん中の道を選べば、およそ30分位で行けるようです。 
 
 さて山すそに来ると、結晶片岩類の特徴的な岩石が目に付きました。

  

 これがあの上立神岩と同じ岩なのかな? しかし、これだと、なにか壊れやすそうだから、ちがうよな~、でもこの

部分にこれだけあるからな~、などこの島の成り立ちについて思いを巡らせ、登り口に向かいました。

  

 ちょうど軽自動車1台が通れる道幅でした。 シーズンが終わっているので下草が道を狭めている感じでした。

  

のぼりだけがただ続くのみで、海も見えず、こちらの道を選んでよかったのかな~と疑問を感じるころに、

 石仏に出会うことが出来ました。 ありがたい。 単調になりかけていた山道歩きに、お地蔵様のお助けを得る

ことが出来そうです。 資料を読むと 「沼島八十八か所霊場めぐり」 とのっていました。 なんでも明治時代に、

戦争や伝染病で多くの人がなくなり、その慰霊のために島内八十八か所に祀られたとの事でした。

  

いろいろなかたちでお祀りされていました。

   

中には囲いもなく、置き去りにされたような石仏もありました。 

   

 片側にぽつんと置かれたり、中には対で置かれているところもあったりで、設置法に法則性はない感じでした。

  

木陰に囲まれた石仏めぐりはそれなりに楽しめました。しかし、限られた時間で目的地まで行くには、じっくり鑑賞

する余裕もなく歩きました。 海を見通せる解放感はありませんでしたが、常に木に囲まれた道で、人に会うことも

なくお遍路さんを続けました。途中、休息所もあったのですが、行く手を草に囲まれ、そうまでして休憩する気には

なれませんでした。

   

海の景色が見たいな~などと思っていると、道の先に木立の切れた場所にさしかかりました。多分、C地点です。

  

今までとは雰囲気が変わり、気持ちも晴れやかに、暑いのに歩くスピードが増しました。その先に、あった!のは海!

  

全体が見通せる、それだけで気持ちが変わって来るものなのですね。   右にカーブした道の先から

  

海を振り返ってみると、岩が突き出た島の海岸線が見えました。 いよいよ目的地に近ずいた感がしてきます。

  

先ほどと違い、日向が多い道が続く中、石仏と一緒に小休止。また歩き始めると、こんなところにベンチが!!

  

嬉しい予感に、ベンチに立って左下を見ると、 見えた!  え! でもあれが上立神岩なの? 思っていたよりも

小さいし、、本当にあれが? カメラを望遠にして確認。 形といい、彫り込まれたハートのマーク。 間違いない!!

ワクワク感が最高潮、ついにやってきた。 暑い中、汗をかきながらお遍路さんもどきをやってようやく目的の上立神岩

に出会うことができた。登り始めに見た岩のボロボロ観と違い、力強く立っている姿に有難さを感じ手を合わせました。

  

もっと近くで見たいと思うと歩きも早くなり、気持ちも高揚してきましたが、その姿は見えなくなり、眼下には別の

景色が広がります。 お!これが平バエなのかな。 (この地方では、磯のことを「ハエ、バエ」と呼んでいるそうです)

平バエ祭りが旧暦の3月3日に海上安全と大漁を祈願して行われ、漁船がこの平バエを3回まわるそうです。

  

上立神岩の先端部分だけが見えています。          平バエの拡大画像    

  

 しばらく歩くとあずまやの案内看板があったので、  高台になっているので、もっといい景色が見えると移動

    

きもちのいいうみの景色!  ただ草が多く、遠くの景色の良さに比べ、近くの上立神岩は見れませんでした。

    

せっかくのあずまやなのに残念! 今回のコースのあずまやはいずれも 残念賞でした。

   

さて、目的地に向かっての長い長いくだり坂が続きます。逆コースならこの登りはお年寄りにはきつい感じですね。

   

下りきると分岐点の案内板が、右の下り道から今度は正面の登り道へ向かいます。  いよいよ目的地は近いぞ!

      

回りを木に囲まれた道。未知のモノに期待が寄せられる穴を突き抜けると、あずまやがありました。

        

まだ目的のモノとの出会いはかないません。右へ下り、道の曲がり角には、また看板がありました。

  

そこで、左へ折り返しての下り道、ようやく上立神岩が見えてきました。また右への下り道。正面に特徴的な岩が、

  

 アミダバエと呼ばれているそうです。昔、阿弥陀様がこの岩に流れ着いたとか、海中より阿弥陀様が現れた神聖な

海域など。また、その形がカブトに似ているのでカブト岩あるいはエボシ岩など、奇岩には物語が出来る要素が

一杯あるようです。

 天の御柱といわれる 「上立神岩」(かみたてがみいわ) です。 少し緑がかって見えますね。主に緑泥片岩で

出来ている岩だそうです。 正に鉾先のように尖っていて独特の存在感がありました。

中間のくぼみは、私は人の顔にも見えるのですが、多くの人にとってはハート形に見え、神話に沿った話になり

やすいのですが、その昔、ハートは意識されたのでしょうかね ~ しかし、現代風にアレンジされても自然にロマン

を持つのはいいことではないでしょうかね ~。 この上立神岩を見て、人は自然の姿に、様々な物語を託すもの

との思いが新たに起こりました。

 

 

 

 

 


オノコロ島をめざして 沼島の おのころ神社

2015-09-21 20:36:45 | 旅行

さて、次は沼島のおのころ神社をめざす事としました。

沼島汽船の発着所で見つけた大ざっぱな地図で目星をつけ、西へ向け初めての道を歩いていると、簡単お手製の

おのころ神社の文字が、やはり正しかったと自信をつけ、さらに進むとほどなく、さびたトタン壁の小屋に矢印付の

案内板を見つけることが出来ました。

  

そしてその方向を見ると、すれ違うのは難しい、手製のコンクリート階段がありました。 本当にこの道で神社に

行けるの? と不安を感じるほどの細い登り道でした。 

 とにかく、行ってみよう!と 一人だけ通れる道を上っていきました。

  

するとちょっとしゃれた感じに整備された道になりました。 が、少し行くと普通の山道になり、、

  

倒れかかった看板の向こうに、金属の手すりが見え、、下まで行くと直登する階段がありました。鳥居も見えたので、

神様のいらっしゃる所は近いと感じられました。 しかし、お年寄りにはこの直登階段はハードかもしれないな~、と

思いながら登ったのですが、歩いてみると、ところ、どころに休めるように平場があり、配慮されていました。

 登って、振り返ってみると町を見渡すことができ、神様もいいところに居らっしゃるな~ と思われました。

  

簡素な拝殿があり、ご挨拶をすませ眺めてみると、やはり、この地の特徴なのか伊弉諾神宮、八幡宮と同じ

風通しのいい拝殿でした。 また、横から本殿を見させていただくと、山小屋風の新しい造りの本殿という感じでした。

案内板を読むと、平成14年(2002年)4月に拝殿、階段は修復されたとありました。

階段、拝殿、本殿とその新しさを見ると、住民の皆さんが、神様のいらっしゃる島のよりどころとして、伝え続け

られたものから、作り出された新居のようにも思われました。 近くを散策してみると、

 

イザナギ・イザナミの二神がまさに天の沼矛(ぬぼこ)で塩をこおろこおろと画(か)きなしての像が

ありました。 天つ神のおっしゃるように、このただよえる国を修理(つくり)固め成すことはできたのでしょうか。

  

近くには、戦没者の忠魂碑などもあり、人々の心がよせられた場所であることが思われました。

  

その場所から、上立神岩へ向かう近道もありましたが、一度下に降りて進む事にしました。 



 


オノコロ島をめざして 沼島

2015-09-20 01:02:33 | 旅行

 神々が最初に作った島がオノコロ島。 さて、オノコロ島とはいったいどこなのか? 

不勉強な私は、漠然と淡路島がオノコロ島と思っていたのですが、どうやらそうではないらしい。

淡路島でオノコロ島と言えるところは3ヵ所あるそうです。  一つは、淡路島北端にある絵島。 (本居宣長説) 

28号線を下った南淡路市にある自凝島神社。そして沼島の3ヵ所。

 いろいろな説のあることに面白さを感じ、訪ねてみたいとの気持ちに駆られました。その中でも特に今回は、

沼島です。 古事記に興味をもちそのの解説書(NHKブックス古事記への旅)を見ると、上立神岩の古ぼけた

白黒写真が目に付きました。 槍のように鋭く立っている姿に、物語が生まれても不思議のない存在感があり、

ぜひとも実物を見てみたいとの思いが湧きあがってきました。

このような白黒写真では、本当はどんなだろうかと、よけい興味がそそられますよね ~ 。

そのようなわけで、神戸淡路鳴門自動車道を洲本で降り28号線で南淡路市へ、国衙(こくが)で左折76号線に

合流して土生(はぶ)港へと向かいました。 淡路の道は、道幅がそんなに大きいわけではありませんが、車両数

が少なく、周囲の景色の良さがあるので実に走りやすい道でした。

 土生港に近くなると、ワクワクそわそわ、高台の道から見る海も空も爽快そのものでした。  沼島が見えた!

 土生(はぶ)港の奥に行くと沼島汽船の事務所があり、たった一人の女性がすべてを仕切っている感じで暇そうに

していました。 お客は、私と、何か場違いな感じの若い親子2組で売店のない待合で、次の出発まで時間があるので

なんとなく話をしました。どうやら島に行くと何か遊ぶところがあるような感じで来ているのですが、私がネットで得た

情報で、海水浴場はあるけれど、あとは散策するくらいかな~との話に、行くのを取り止め洲本に行くことにしたよう

でした。 ただでさえ、少ないお客さんを減らしてしまったな ~   

    

   

往復900円 10分間の船旅 着いても人影は見られませんでしたね。多分、海水浴シーズンであればもっと人が?

  

地元の漁港を通り、郵便局を見つけるとなぜか安心しました。  ↓

  

水軍という食堂を見ると、食べものやもあるじゃないかとまたまた安心。 少し開けたその奥に、沼島八幡宮が、。

  

海上安全、四季豊魚の神様が祀られているそうです。

  

直線の階段を上がって振り返ると、沼島の漁港と町が眺望でき、いい気持でした。

 

さらにそのまま上がっていくと、風通しがいい八幡神社の拝殿がありました。

お参りをしてまず目に付くのは、 正面の合戦絵馬! そして、周囲を埋め尽くすなんとなく素人っぽい絵馬の数々。

ごめんなさい。絵の価値が分からないのでそう見えてしまうのです。 しかし、吹きさらしの拝殿で、このように色が

鮮やかなのは、常に新たに作られ続けていることを表しているのではないでしょうか。 そこに島民の皆さんの

この社に寄せる信仰、思いがあるように感じました。 今まで見てきた神社の絵馬は、ほとんど古ぼけたものです

からね~、よけいです。

  

それにしても、なぜこの神社に、賤ヶ岳合戦の絵馬が? と疑問に感じました。 案内板を読むと、絵馬の主人公は

脇坂甚内安治。この安治が賤ヶ岳の合戦後、淡路守に任じられ、当地を治めたとか、もちろん淡路を領有し治める

役目が大きかったのですが、当時にあっては海路は、物流においても軍の動きに関して非常に便利で重要であり、

この沼島は、京都、大阪を守るための出入り口として重要されていたとのこと。 昔からこの沼島の人々は、常には

漁師として働き、時には、沼島水軍として海路を守る役割を担っていたとのことです。朝鮮出兵にさいしても安治は、

沼島水軍とともに渡り無事に帰国することが出来ました。無事に帰れたのも沼島水軍のおかげと感謝し、当地が

反映する基礎を築いたそうです。それがこの絵馬の奉納に現在でも続いているとのことだそうです。

なぜ?と思うといろいろな歴史のつながりが分かってくものですね。その他の絵馬にもそれ相応の物語が隠されて

いることが思われました。

  

  

  

この社の森には、「八又の木」と呼ばれる大人十一人分の根まわりをもつ樹齢八百年とも云われるシイの大木がある

とか、そのほか樹齢五~六百年を誇る大木も十数本あるなとと記されていました。見たい気持ちも起こりましたが、

時間配分を考えると今回は、断念せざるをえませんでした。

拝殿はあるのですが、幣殿はあるような、ないような、風通しのいいもので、本殿は、独立して建っていました。 

こちらの地域の特徴のような感じを受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


国生み神話の島 伊弉諾神宮へ

2015-09-19 23:43:24 | 旅行

神社と日本文化に興味を持ち、本などを見ていると、時々出てくるのが、神々が最初に国生みをしたオノコロ島。

このオノコロ島とはどんな処だろうと9月17日夜淡路島へと出発しました。 しかし、淡路島に着いたらまずご挨拶

しなければならない神社は、伊弉諾(イザナギ)神宮です。神宮と言われるところは多くありませんが、この地にも

あるのです。 どのようないわれなのかと言うと、

国生みをはじめすべての神功を果たされた伊弉諾尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、

最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に、「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過ごされたと記されている

そうです。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源とのこ

とです。 最古の神社と言われると行かなければなりませんね。   最古もいっぱいあるようですが、、、

ここは、神戸淡路鳴門自動車道 津名一宮インターより5分位の位置にあります。私は早朝7時半ごろ到着し、さ

そく駐車場へ行くと、そこには昨夜から泊っているような軽自動車も見かけられました。御同類のお仲間の発見に

とても嬉しくなりました。 かく言う私メも、昨夜は淡路サービスエリアでお泊りをして朝を待っていたのですから。

     

  

  

道中、道の両サイドに石柱が続いていました。 神さまへの道しるべなんでしょうね。

神宮の隣は、多賀小学校があり、近くには一宮中学校もあるので、朝は児童、生徒が多数通りました。

右にある 社号標の奥に国生み伝説の案内板があり、その奥が駐車場になっています。

 

駐車場の奥には境内の案内図があるので、伊弉諾神宮の全体が分かります。

大鳥居前の道から御神殿まで一直線で190m位のすっきりしたつくりの神宮です。 グーグルのアース地図で

示すと全体が分かっていいのですが、まだどのように操作したらいいのか分からないので残念!

 

一の鳥居をくぐるとすぐ右には、表面をきれいに磨かれた「さざれ石」が国歌と敬神生活の綱領とともに真新しく

置かれていました。また、ずらりと並んだ灯篭の新しさも合わせ見るとさすが伊弉諾神宮と言われるだけあります。

(資金豊富な神さまです。)

  

二の鳥居を過ぎた左側には 東西南北を示した日時計のような塚がありました。 これは何だろうと?と石碑を見ると

  

「ひのわかみやと陽の道しるべ」という石碑で、この碑文をにはなかなか興味深いことが書かれていました。

この伊弉諾神宮を中心に太陽の軌道の方位を見ると、夏至、冬至、春秋仲日の日の出と日の入りの地に神縁の

深い神々が鎮座していることが分かったとのこと。 夏至の日の出は、信州の諏訪大社方向より日没は、なんと

出雲大社日御碕神社の線上になるとのこと。 春分秋分は伊勢神宮よりのぼり、對島国一宮の海神神社に沈む。

冬至は熊野那智大社から昇り、日没は天孫降臨伝承の地高千穂神社となる。とのことだそうです。 う~む。

このことは、国生み伝承の淡路島が大八州国の中核の島、神の天と地を結ぶ「神の島」だということを物語って

いるのではなかろうかと結んでありました。 なるほど、農耕民である日本人は陽の光を大切に思っていたので

何かしらそれらの考えが結びついて、このような結果になったのではないかなどとも思え一人で感心しました。

(南は、これから行こうと思っている(オノコロ島)沼島方向で興味が湧きます)

  さていよいよ本殿にご挨拶に、行こうと思うのですが、道の両サイドには池が

  

手水舎に行くまでに、しっかりとした由緒書きが2つもありました。立派な石碑の由緒書きです。読みにくいけれどね

  

手を洗い、口を漱ぎ、表門から参拝します。

  

広い境内では、セミの声がしっかりと響き、まだ朝の静けさの中にありました。

神子さんたちの掃除する姿が見かけられました。 全体が掃き清められすがすがしい気持ちになります。

  

拝殿前の右では何かお祭りの準備をしているようでした。 社務所前もしっかり掃除がされていました。

  

地元の方の参拝がありました。 自分は受付所に行って、配置につくかつかないかの神子さんに御朱印帳をお願い

しました。 書いていただいている間、境内を散策です。東門側の奥には夫婦楠がありました。

この楠は、元は二本のクスノキだったものがいつしか根を合わせて一本になってしまったとか、御神木として信仰

されているそうです。樹木の横にある小さな社は岩楠神社といい夫婦円満、良縁縁結、子授け、子育ての霊験が

あらたか崇敬されているなど記されていました。日本人とは自然の姿から自分たち人間のより良い姿をイメージし、

そこに願いを込め祈る素朴な人たちの集まりのように感じました。

樹齢は900年とか、木の命にエネルギーを感じ、祈ったのではないかな、そんなメッセージを受け取りました。

その後、散歩がてら西鳥居の方へ行くと 自転車に乗った若者グループがやってきました。

  

隊列を組みリラックスした感じで表門に そして参拝。 彼らのカメラで四人を写してあげ感謝の言葉を頂きました。

こんな子たちがいる日本って素敵だなと思える朝でした。