あれから17年…最近、この、日本ジャズ界を震撼させた事件をご存じない方も増えた様なので、過去に書いた「宮地事件簿」からコピペでお届けいたします。因みに、今はメチャクチャ健康です!(笑)
今回、ついに完結!!(まずは「プロローグ」をお読みください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<前回までのあらすじ>
宮地は約1年もの間、原因不明の熱と抵抗力の低下に悩まされていた。その間、2度の入院を経験した。入院中、様々な検査をしたにもかかわらず、医師団は肺炎の原因を掴めないでいた。退院をしてもすぐに病状は逆戻り。むしろ悪化する一方であった。それでも宮地は、けなげに仕事をこなして行くのであった。(涙) 絶望の中、妻の親戚に腕のいい医師がいる事を知り、徹底的な検査を受ける事にしたのだった。
肺炎の原因
「これは普通の血液検査ではないのですが…」
そう言ってY先生は説明を始めた。
入院先の病院で何度も血液検査をしたものの、全く原因がわからず、
僕は病院に不信感を抱き、妻の親戚筋のY先生に改めて検査をお願いする事にした。
専門的なことは分らないのだが、血液検査も何種類かあるようだ。
一般的な血液検査では、原因が掴めないのだから、他の検査を試みるのが当然だが、
それを初めて試みたのは、1年後に出会った、このY先生が始めてである。
検査はレントゲン撮影から始まった。
もう何度レントゲンは撮ったであろう。
過去2度の入院で、入院時に1回、途中検査時に1回、退院前に確認で1回。都合6回。
ハリウッドスターのように華々しくガンで死ぬ覚悟をしてしまった。
そしてまたレントゲンを撮るわけだ。ちょっと抵抗感もある。
しかしそんな事は言ってられない。今死にそうなのだから。
血液検査…。
僕は血が嫌いだ。血を見ると吐き気がする。
高校生の血気盛んだった頃、オレンジジュース欲しさに、友達と献血した事がある。
腕に針を刺され、ポンプで吸い上げられる自分の血を見て驚いた。
赤ではなくどす黒かったのである。
ショックで気を失いかけた。「俺の血はどす黒かったのか…」
それ以来、蓄膿の手術の前の血液検査の時も気を失いそうになったし、
血を採られると気を失うという恐怖がつきまとう。
予防注射を打たれる小学生のように、僕は顔をそむけなければならなかった。
薬についてもY先生は教えてくれた。
「ずっと同じ抗生物質を出しつづける医者は、良い医者じゃありません。
ある程度、ヤマをかけてこの抗生物質が効くかな・・と出しますが、
効かなければすぐに次の手を考えなければいけません。」
そう、僕は知らずに、ず~と同じ抗生物質を飲み続けていたのだ。
そういえば、近所の耳鼻科も同じ抗生物質ばかり出すよな…。ありゃダメか。
そして、検査に1週間ほどかかるというので、僕はひたすら待つしかなかった。
この1週間に僕はある程度の覚悟をした。
「なにを言われても取り乱さないようにしよう。」と。
その時、6年間のアメリカ生活を振り返っていた。
「AIDSには気をつけろ。」
渡米前に師匠の小曽根啓氏が僕に言った。
一般のAIDSに対する誤解も、まだ当時はひどいもんだった。
しかしながら、現にボストン時代に日本人留学生が、レイプされてAIDSに感染したという悲惨な話も聞いた。
僕は、ただひたすら師匠の言いつけを守り、アメリカでの6年間、品行方正に暮らした。
ただ一つだけ、不安といえば不安な材料があった。
NY時代に歯がすごく痛くなったので、ある人の紹介で、
チャイナタウンにある中国人の歯医者さんにかかった事がある。
物凄く腕のいい先生で、しかも値段がお手ごろ。健康保険も無い貧乏ミュージシャンには非常に助かる歯医者さんだ。
麻酔注射をこの時したのだが、アメリカ6年間で注射をしたのがこれ1回だけだ。
その頃、当地のニュースは頻繁に病院内での注射器使い回しによるAIDS感染の報道をしていた。
その先生を疑うのは全くもって失礼な話ではあるが、
AIDSの潜伏期間は5年と言われるが、注射をしてからちょうど5年が経過していた。
毎月風邪を引くこの抵抗力の無さ、食べても食べても痩せ細っていくこの不気味な体調不良…。
これはきっと…。
今となっては、バカな覚悟をこの時、僕はしていたのだった。
1週間経って、僕はY先生のクリニックを訪れた。
先生は簡単な血液検査の説明をしたが、僕は上の空だった。
そして先生は続けた。
「で、その結果、原因がわかりました。」
その次の言葉にいくまで、僕には1時間にも感じられた。
先生は僕に本当の事を言うだろうか?ガンとかじゃないんだから、本人に言うべきだろう。
家族を今すぐ呼び寄せるだろうか・・。家族はどんな顔するだろう・・。
いろんな事が頭の中を駆け巡った。
「原因はねぇ、…カビです。」
「カ、カ、カビ~?」
カビだそうです。
「体内に○×△(名前忘れました)というカビが異常に繁殖しています。」
「○×△…ですか。」
「そうです。血中に普通の人の10倍のカビが検出されました。宮地さんはそのアレルギーで、
それをやっつけようと白血球が増え、微熱が出る。白血病の一歩手前と言うところでしょう。」
確か、この様な説明を受けたと思う。
すごい!僕の病状にも合点が行く。バカな覚悟はこの時吹っ飛んだのだった。
しかしながら、これもほっておくと死に至る危険性が有る。
格闘家のアンディー・フグが亡くなった症状とほど近いし。
「ただ一つ、納得できない事があるんですよ。」
先生が不思議そうな顔をして言った。
「エッ、なんですか?」
僕は再び不安になった。
「このカビなんですけど、普通なら人体には決して入らないはずなんですよ。」
「…と言いますと。。」
「ヨーロッパの建造物の窓枠って、鉄等の金属で出来たものが多いのですが・・」
(唐突に先生、何を言い出すんだろ・・・。)と僕は内心思った。
「このカビって、そういう金属にしか繁殖しない物なんです。」
「はぁ…。」
「窓枠に繁殖したカビを体内に入れようと思ったら、窓枠に近づいて思いっきり深呼吸するしかないでしょう。宮地さんの生活の中で、こんなシチュエーション有りますかねぇ。」
Y先生は、診察室の窓枠に近づく仕草をして、ちょっとおどけたポーズをとった。
僕はフフフ・・と笑った。その時である!
「鉄」、「深呼吸」・・・?
「鉄」→「金属」→「深呼吸」→「体内」!!!!
あぁッ~!
あいつだ!!
飼い犬に噛まれるとはこの事・・・。
心当たりのある方は、楽器のお手入れに十分留意して下さい。
<おわり>
「肺炎事件プロローグ」へ
今回、ついに完結!!(まずは「プロローグ」をお読みください。
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<前回までのあらすじ>
宮地は約1年もの間、原因不明の熱と抵抗力の低下に悩まされていた。その間、2度の入院を経験した。入院中、様々な検査をしたにもかかわらず、医師団は肺炎の原因を掴めないでいた。退院をしてもすぐに病状は逆戻り。むしろ悪化する一方であった。それでも宮地は、けなげに仕事をこなして行くのであった。(涙) 絶望の中、妻の親戚に腕のいい医師がいる事を知り、徹底的な検査を受ける事にしたのだった。
肺炎の原因
「これは普通の血液検査ではないのですが…」
そう言ってY先生は説明を始めた。
入院先の病院で何度も血液検査をしたものの、全く原因がわからず、
僕は病院に不信感を抱き、妻の親戚筋のY先生に改めて検査をお願いする事にした。
専門的なことは分らないのだが、血液検査も何種類かあるようだ。
一般的な血液検査では、原因が掴めないのだから、他の検査を試みるのが当然だが、
それを初めて試みたのは、1年後に出会った、このY先生が始めてである。
検査はレントゲン撮影から始まった。
もう何度レントゲンは撮ったであろう。
過去2度の入院で、入院時に1回、途中検査時に1回、退院前に確認で1回。都合6回。
ハリウッドスターのように華々しくガンで死ぬ覚悟をしてしまった。
そしてまたレントゲンを撮るわけだ。ちょっと抵抗感もある。
しかしそんな事は言ってられない。今死にそうなのだから。
血液検査…。
僕は血が嫌いだ。血を見ると吐き気がする。
高校生の血気盛んだった頃、オレンジジュース欲しさに、友達と献血した事がある。
腕に針を刺され、ポンプで吸い上げられる自分の血を見て驚いた。
赤ではなくどす黒かったのである。
ショックで気を失いかけた。「俺の血はどす黒かったのか…」
それ以来、蓄膿の手術の前の血液検査の時も気を失いそうになったし、
血を採られると気を失うという恐怖がつきまとう。
予防注射を打たれる小学生のように、僕は顔をそむけなければならなかった。
薬についてもY先生は教えてくれた。
「ずっと同じ抗生物質を出しつづける医者は、良い医者じゃありません。
ある程度、ヤマをかけてこの抗生物質が効くかな・・と出しますが、
効かなければすぐに次の手を考えなければいけません。」
そう、僕は知らずに、ず~と同じ抗生物質を飲み続けていたのだ。
そういえば、近所の耳鼻科も同じ抗生物質ばかり出すよな…。ありゃダメか。
そして、検査に1週間ほどかかるというので、僕はひたすら待つしかなかった。
この1週間に僕はある程度の覚悟をした。
「なにを言われても取り乱さないようにしよう。」と。
その時、6年間のアメリカ生活を振り返っていた。
「AIDSには気をつけろ。」
渡米前に師匠の小曽根啓氏が僕に言った。
一般のAIDSに対する誤解も、まだ当時はひどいもんだった。
しかしながら、現にボストン時代に日本人留学生が、レイプされてAIDSに感染したという悲惨な話も聞いた。
僕は、ただひたすら師匠の言いつけを守り、アメリカでの6年間、品行方正に暮らした。
ただ一つだけ、不安といえば不安な材料があった。
NY時代に歯がすごく痛くなったので、ある人の紹介で、
チャイナタウンにある中国人の歯医者さんにかかった事がある。
物凄く腕のいい先生で、しかも値段がお手ごろ。健康保険も無い貧乏ミュージシャンには非常に助かる歯医者さんだ。
麻酔注射をこの時したのだが、アメリカ6年間で注射をしたのがこれ1回だけだ。
その頃、当地のニュースは頻繁に病院内での注射器使い回しによるAIDS感染の報道をしていた。
その先生を疑うのは全くもって失礼な話ではあるが、
AIDSの潜伏期間は5年と言われるが、注射をしてからちょうど5年が経過していた。
毎月風邪を引くこの抵抗力の無さ、食べても食べても痩せ細っていくこの不気味な体調不良…。
これはきっと…。
今となっては、バカな覚悟をこの時、僕はしていたのだった。
1週間経って、僕はY先生のクリニックを訪れた。
先生は簡単な血液検査の説明をしたが、僕は上の空だった。
そして先生は続けた。
「で、その結果、原因がわかりました。」
その次の言葉にいくまで、僕には1時間にも感じられた。
先生は僕に本当の事を言うだろうか?ガンとかじゃないんだから、本人に言うべきだろう。
家族を今すぐ呼び寄せるだろうか・・。家族はどんな顔するだろう・・。
いろんな事が頭の中を駆け巡った。
「原因はねぇ、…カビです。」
「カ、カ、カビ~?」
カビだそうです。
「体内に○×△(名前忘れました)というカビが異常に繁殖しています。」
「○×△…ですか。」
「そうです。血中に普通の人の10倍のカビが検出されました。宮地さんはそのアレルギーで、
それをやっつけようと白血球が増え、微熱が出る。白血病の一歩手前と言うところでしょう。」
確か、この様な説明を受けたと思う。
すごい!僕の病状にも合点が行く。バカな覚悟はこの時吹っ飛んだのだった。
しかしながら、これもほっておくと死に至る危険性が有る。
格闘家のアンディー・フグが亡くなった症状とほど近いし。
「ただ一つ、納得できない事があるんですよ。」
先生が不思議そうな顔をして言った。
「エッ、なんですか?」
僕は再び不安になった。
「このカビなんですけど、普通なら人体には決して入らないはずなんですよ。」
「…と言いますと。。」
「ヨーロッパの建造物の窓枠って、鉄等の金属で出来たものが多いのですが・・」
(唐突に先生、何を言い出すんだろ・・・。)と僕は内心思った。
「このカビって、そういう金属にしか繁殖しない物なんです。」
「はぁ…。」
「窓枠に繁殖したカビを体内に入れようと思ったら、窓枠に近づいて思いっきり深呼吸するしかないでしょう。宮地さんの生活の中で、こんなシチュエーション有りますかねぇ。」
Y先生は、診察室の窓枠に近づく仕草をして、ちょっとおどけたポーズをとった。
僕はフフフ・・と笑った。その時である!
「鉄」、「深呼吸」・・・?
「鉄」→「金属」→「深呼吸」→「体内」!!!!
あぁッ~!
あいつだ!!
飼い犬に噛まれるとはこの事・・・。
心当たりのある方は、楽器のお手入れに十分留意して下さい。
<おわり>
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