序章
表題は与謝野晶子が日露戦争に向かう弟に宛てた手紙の一節だ。現在、コロナ禍でイライラも募り、ネット社会は殺伐としており、法整備を進めても中々効果が無いのが現状。恐らく、こんなブログを若い世代が読むとは思えないけど、戦争の無い日本で、未来の有る若い世代が誹謗中傷が原因で死に急ぐのは何とも傷ましい。国家の損失だ。若いとは言えない世代でも、ネットの誹謗中傷に悩んでいる人は居ると思うので、少しでもお役に立てればと思い、これをしたためている。
第一章
コロナ禍で色んな方々が亡くなったが、その中でショッキングだったのはコロナとは無関係に自ら命を絶った女子プロレスの女の子の事件。そのせいも有ってネット上の誹謗中傷を取り締まる「プロバイダ責任制限法」の改正が可決されたそうだが、問題は解決されてない様だ。まず、立件に相当な時間と苦労を要する上に、侮辱罪が適用されても罰金9千円と聞いて驚く。その死とは全く釣り合いが取れない。そして、今もネット上での誹謗中傷は後を絶たない。
死をチョイスする時って、急性鬱病だと僕は考えている。特に若いうちは、経験も少なく視野も狭いので、もう死ぬ事しか考えられなくなるだろう。しかしながら、親より先に死ぬ事は、ネットで攻撃する以上に重罪だと思う。普段ケンカばかりしてる親であっても、全然喋らない親であっても、よっぽど(ネグレクトなど)でない限り我が子を愛してない親なんて居ないし、突然そんな理由で我が子を失ってしまい、その賠償金がたった9千円だとしたら天を仰ぎ、涙も出ないくらい落胆し、この世をめちゃくちゃ怨むであろう。死別が人生の中で最も残酷な試練だから。
そして、死ぬ事で「可哀想」とか「誹謗中傷した奴、許さん!」と他人が同情してくれるのはせいぜい数年で、徐々に事件は風化して行くのは免れない。亡くなった人を他人が語る時は、いつも議題は「どう死んだか」ではなく「どう生きたか」だから。なので、たかだか9千円の為に死ぬのはめちゃくちゃ勿体無い事なのだ。
では、どうすれば?って事になるが、やはり単純に「シカト」が一番だと思う。これはでも、生まれた時からネット環境が整ってる世代にはとても難しい事なんだと思う。しかしながら、リアルな人間関係以外は全く信用しない僕なんかにしたら、それで命を絶つなんてあり得ない話で、そういう僕等の世代が法整備をする限りは、抜け道だらけで今後も何も変わらないと思うし、結局は自己防衛するしか無いと思う。
僕も「2ちゃんねる」で攻撃を受けた事も有るし、このブログが炎上した事も有る。「2ちゃんねる」の創設者、ひろゆき氏を恨んだ事も有ったけど(笑)、結局、彼自身が攻撃されても屁とも思わない人だからこそ、あぁいうものが出来たんだなぁと、後になって少し理解出来た。要は、自分の事を全く知りもしない人間が攻撃して来る内容なんて、所詮は浅知恵でツッコミ所満載で簡単に論破出来る筈…という事。でも、論破や議論が苦手な人も多いだろう。だから、シカトが一番なのだ。
ここで言いたい事は、「馬鹿に馬鹿と言えば、逆上しかしない」という事だ。
2ちゃんねるで、僕の音楽への批判が始まって、ムカついたので応戦しようか…と考えてた時に、僕を擁護するご意見(僕にしたらかなり真っ当なもの)が書き込まれ、「へへ!ザマァ見ろ!」と思ってたら、次の書き込みが「出た!ご本人降臨w」みたいになり、その後余計に荒れ始め、応戦する気が失せた…というエピソード。これで、応戦しても泥沼化は防げないって事がよく分かった。でも、ちょっと笑っちゃったけどね、的外れ過ぎて。ま、その時の批判の内容も、全く僕の目指してる音楽が理解出来てない、ド素人の意見ばかりだったので、それにムカついた自分もまだまだ修行が足りなかったのだと今なら思える。
よく言われてる事は、ネット上で一旦批判が始まったら、「コイツは批判して良いヤツなんだ」とネット住民達は判断して一斉攻撃が始まるというもの。中にはそれが正義だとの勘違い野郎もいる。
その昔、僕は餌食になり易くよく攻撃されてたものだが、最近はジジイになったせいか、エゴサーチしてもヒット数が少なく、自分自身が書いた記事ばかりで、すっかり注目もされなくなったんだなぁ…と寂しいネット斜陽族の仲間入りを認識するに至った(笑)。結局、最終的にはそんな感じで、注目されるが故に攻撃されるのも若いうちだけで、ネットに齧り付いてるのも若いうちだけで、シカトしてればそのうち収まるし、そこで労力を使うなんて馬鹿馬鹿しいし、ましてや、そんな事で命を絶つなんて本当に親不孝だし勿体無い。その後の人生にもっと楽しい事が沢山待ってる可能性の方が多いわけで。
このブログが荒れた時は、僕も少し成熟して、「これはゲームだ!」と考える様にした。リアルな人間関係で裏切られたら、流石に僕もショックで鬱っぽくなるけど、所詮、なんの付き合いも無い人間にネット上でどうこう言われても、リアルな社会では全く影響が及ばない…という事を学んだからだ。もし、その書き込みを読んで友達の態度が変わったとしたら、その友達は元々本当の友達ではないわけで、人間関係の断捨離がそれで出来るのだから、ラッキーと思えば良い。いずれにせよ、100%、万人に愛されるのなんて元々無理な話なのだから。
大袈裟な話、これだけネットが普及した今の世の中で、最悪、人間関係がゼロになったとしても、仕事や買い物もネットで済ませるのが可能なわけで何とか生きて行ける…と思えば、特に心配する事も無いだろうし、まぁ、そうそう人間関係がゼロになる事はないし、最低でも親族がいるのだし。
第二章
さて、これから書く事は、このブログが炎上した時の話だ。参考になるのかどうか分からないけど、体験談というか、ちょっとした生きる為の知恵だと思って読んで頂きたい。
先程、「死をチョイスする時は急性鬱病だ」と書いたが、僕も人生色々有り過ぎて鬱病になりかけた事が何度か有る。でも、周りへの配慮や我が子に示しがつかないとも考え、死をチョイスする事は絶対に許されなかったのだが、その為には鬱状態からいち早くエスケープする工夫が是が非でも必要であった。
これも、そのエスケープ方法の一つで、決して相手の考えを改めさせる事を望まず(どうせ平行線に終わり無駄なので)、逆に自分の思考の角度の方を変えるという、自分で編み出したテクニックだ。
炎上した記事はじっくり読んで頂くとして、要約すると、「生徒が師匠のライブを観に行かないのはおかしい。自分はそうする事で学ぶ事が沢山有った。このままではライブ文化は廃れるし、教える人材の低下は免れない。」という至極真っ当な記事で、実際に現在恐れた通りに世の中なって来てると思う。この記事はFacebookにもリンクされ、それを読んだ様々なプロアーティスト達が同調してくれて沢山シェアされた。その結果、毎日千人を超える読者数となり、一気に注目ブログとなった。ただ、批判という弊害も同時に生まれ、それが炎上へと繋がった。毎日誰かが攻撃して来る様になってしまったのだ。
最も多かった批判は「言ってる意味がよく分かりません。」だった。「はぁ⁈」と思った。上記の要約した内容でお分かりかと思うが、至ってシンプルな記事だし、一応、周りに聞いてみても、決して間違った内容ではないし、内容が理解し辛いとは思わない…とのご意見。それを聞くと余計腹が立って、「意味が分からないのは、残念ながら貴方の国語力及び読解力が相当低いからだと思われます。朝日新聞の『天声人語』でもお読みになって、国語力を向上させてみては如何でしょう?僕が大学受験の時にやった小林秀雄読解よりは随分と簡単かと思われます。」…と辛辣なコメントを書こうとしたが、2ちゃんねるの件を思い出した。それを書けば、恐らくこのブログは荒れに荒れて手に負えなくなるだろうし、閉鎖に追い込まれるかも知れないし、また、その火消しに追われる労力で疲労困憊し、こちらの精神状態もおかしくなるに違いない…と。記事をシェアしてくれた知人達も静観してるだけで今は孤立無援状態だ(ある意味、女子プロの子が番組の演出通り動いたのに、テレビ局からの援護が一切無かったのに近い)。よって自分一人で解決させなければならない。
そこで「馬鹿に馬鹿と言えば逆上しかしない。」の論理が僕の中に出来上がり、まずは、自分を落ち着かせ、冷静に状況把握から始めた。「このブログ、今は荒れてるけど、同時に毎日千人が訪れる『注目ブログ』として認知されてるじゃないか。そしたら、それを逆手に取って、自分の好感度を上げる事に利用すれば良いじゃん!」と。(今これを書く事で、確実に好感度は下がると思うけどw) 苛ついて相手を非難して論戦に発展させても、相手の思う壺で、自分自身も馬鹿に映るだけ。それよりは、物分かりの良い、相手の意見をよく受け入れる人物を演じた方が悪い様には映らない筈。
そこで、一々批判に苛つかない様に、自分の中で各コメントに点数を付ける事にした。少なくともこれで、誹謗中傷した輩より立場的に優位に立てる。なんせ、こっちが評価する立場なのだから。「言ってる意味が分からない?アンタ馬鹿だから、0点ね。」みたいな(笑) 何もネット上で表立ってマウント取る必要など無いのだ。自分の立ち位置を変える事で相手から見えない所で簡単にマウントが取れるのだから。
そして、その点数に合わせて、事務的に返事をする事にした。その際、点数が低ければ低い程、平易な言葉で、尚且つ知的に丁寧に、いやらしい話だけど、相手の無能振りが際立つ様に心掛けた。そして、「ご意見頂けた事に感謝して、今後の活動に活かします」…等の言葉を添える事もした。まぁ、その言葉に嘘偽りはないのだが。そういう輩にはまともに取り合わない…というコンセプトが更に強固になったので。
こういう風に対応する事で、コメント欄が論戦だらけになる事は避けられた。恐らく、書き込みした輩もその後何度かチェックしに来てるに違いない。そこで、暖簾に腕押しの返事しか無ければ論戦にもならない。それでこのブログが守れるし、こちらとしては、相手の無能振りを際立たせる事で満足してるし、コメント削除の権限はこちらに有るのだから、色んな意味でこちらの優位に働く。散々批判しておいて「読んだら削除して下さい。」のコメントには、内心、「削除なんかしねーよ。証拠として保存するからね。」と思ったし、今ここでこうして蒸し返す(笑)事が出来るのだから、「お分かり?他人に意見するって事は、それなりの責任が生じるって事よ。」とも言える。誰が書いたかも分からないし、僕も面倒なのでよっぽどでないと捜査しようとは思わないけど、その代わり書いた恥はこのブログが消滅するまで永遠に残るのだ。
この対処法が、全ての人に役立つとは思わないし、様々なシチュエーションが有りこんな対応が出来ない場合も考えられるが、ご覧の通り「こんなのゲームと同じだ」と思って、こっちのやり方でシューティングして相手を冷静に潰して行けば痛くも痒くも無い。その相手だって所詮はゲーム感覚でチョッカイ出して来てるのだから。それを真に受けて、傷付き、その挙句恨み節と共に死んでしまうなんて、なんとも勿体無い。
いやいや、そもそも、こんな事で労力を使う事自体も勿体無い。もし、また炎上する事など有れば、僕だって今度は完全にシカトするだろうし、このブログの機能を使って即座にコメント出来なくするだろう。(実際、炎上記事のコメント欄は最終的にエロサイトへのリンクが貼られたり、無関係な政治的コメントが入り始めたので、コメント停止にした。)
終章
要は気持ちの持ち様だと思う。ネットで傷付きそうだと感じたなら、「こんなの、バーチャルな世界の中のゲームだ。」と思えば良いし、ゲームとして対処するのもしんどい…と思ったなら、スマホを閉じてリアルな友達に会いに行ったり、親や身近な信頼出来る人に打ち明けて欲しい。今なら距離と関係なくオンラインですぐ繋がれるのだし。ネット社会で生き抜くには、目の前の実像以外は絶対信用しないという習慣を身に付ける必要が有ると思う。昭和の頃はそれが当たり前だったんだけどね(笑)
一般の方は中々こういうシチュエーションにならないかも知れないが、アーティストやスポーツマンなどの有名人は、何かと矢面に立つ事が多いので、こういった、考え方や立ち位置を変えるというテクニックは重要だと思う。
君死にたもう事なかれ。
追記:
あの事件(女子プロレスラーの)に関して、僕はどうしても親の立場で見てしまう。親の哀しみが如何ばかりか想像するほど胸が痛い。僕自身はこの歳になって、攻撃を受けても流石に屁とも思わないけど、若者はそうは行かないだろう。ネットの世界が全ての様に思ってる人も多いと思う。また、親の世代でネット攻撃を受けた人もまだまだ少ないと思うから、「気にするな」とアドバイスしても説得力に欠けるかも知れない。だから、子供も相談もしないだろう。この記事が少しでも役立つ事を祈りたい。ネットの誹謗中傷なんて大馬鹿者が無責任にする事なのだから。僕は、このブログを守りたいってのも有ったし、ゲームにする事で上手い事発散させたけど、結局、馬鹿はほっとけって話。
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