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漫才とジャズ

2020年12月25日 11時26分00秒 | jazz
SNSを開いてちょっと驚いた。漫才か漫才じゃないかの議論が巻き起こってる…なんて全然知らなかった。けど、僕は例の大会で優勝したコンビが漫才に見えず、なんだか学校の休み時間に教室の後ろで戯けてる子供達に見えて、稚拙な笑いに感じて面白いとは思わなかったし、SNSに「なんだかなぁ…」とは書いた。

これも他人がどう思おうと知った事ではないのだけど、「漫才」というカテゴリーの中でやるのなら、ある種「ルール」は必要だと思うし、「面白ければ何でも良い」というのも分からないでもないが、漫才のコンテストにそれを応用すればジャンル分けも必要無くなり、最早、演者が2人か1人かの違いでしかなくなる。笑いは進化するものだとは思うけど、自由度が高すぎて何でもありになると、逆に面白くなくなる…ってのは、音楽でも同じ。

僕は音楽で縛られるのをずっと嫌っていて、色んなワールドミュージック等の他ジャンルをジャズに取り込む事にこだわって長年演って来た。それによって新しい音楽を生み出す事にいわば命を賭けて来た。それは何も僕が初めてやったわけではなく、多くの偉大な先人達が既に様々な試みとしてやって来た事だ。そこには「面白ければ何でも有り!」という観念が確かに存在している。だから、この優勝したお笑いコンビにもシンパシーは無くはない。

ただ、僕はそのやり方に自分自身で飽きてしまった。ジャンルをボーダレス化するよりは、ある一定のルールの中で自由度を競う方が面白いと感じたのだ。スポーツの様な感覚かな。何でも有りの格闘技でマウントを取って人の顔面をひたすら殴るのを観ても、僕は不愉快にしかならない。あれはダメこれはダメの中で知恵を絞って闘うのを観る方がスリルを感じる。ジャズではビバップなどスタンダード・ジャズがその「ルール」という物に関しては近いと感じる。ただ、僕は「バップ・フレーズ」を吹けばビバップとは考えてはいないので、そのルールの中で物凄く自由になれる人達に興味が有る。例えばウォーン・マーシュとか。

やはり、漫才は「話芸」であって欲しい。言葉のセンスだけで人を笑わせる…って凄く知性的でカッコいい。間合いや合いの手など、僕はジャズのインプロヴィゼイションに近いものを感じる。そして、テレビ番組で「芸人の隠れた努力」なんか見せる必要は無い。本番だけで面白いと感じ、その結果カッコ良いと思えればそれで良いのだ。ま、そのお陰で余分な所を飛ばせるネット配信に僕は移行してしまったけど。

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