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アタッシュケース

自由気ままに書いてます。

退化する

2012-05-06 12:15:28 | とりとめのない話
一人行動ばかりしています。

一人が好きなのかと思っていましたが
どうやら、人と行動するのがイヤなようです。

いや、厳密には違う。
人と行動するのがイヤなんじゃなく
人といると、ものすごい恐怖感に耐えなければならないから。
それがしんどくて、気楽な一人に逃げているだけ。

ネットで見かけました。
“コミュニケーション能力は使わなければ退化する”と。

“人とも会話せずプレッシャーの全くかからない生活をおくってると
疲れやすくなり睡眠時間も増える”と。

私のことやがな

友達と何人かで会った後の帰りの電車で
ビックリするくらい疲れている自分に気づきます。
“命を削っているのではないか!?”と本気で思うくらいに。

死にたくないから、もう会うのをやめよう。みたいな。

だからそれをするとコミュニケーション能力が益々退化するんだってば!

ということを今日ネットで見ていて知りました。
そしてゾっとしました。

この連休、ずっと家にいたよ、と。
一歩も外に出ないぞと決意までしていたよ、と。
しかも家族とも会話・・・何を話したか言えるくらい、ちょっとしただけだよ、と。


“人と会話するだけで精神圧迫されて脂汗かくような奴が まともな訳ない”
確かに。

人としゃべらないでいい方法をネットで検索して「うつ病」が出てきて
うつ病じゃないんだよな~とか思ってる場合ではなかった。

逆を信じよう。

“コミュニケーション能力は使えば進化する”と。

“人と会話してプレッシャーのかかる生活をおくってると
疲れなくなり睡眠時間も増えない”


30歳になった

2012-05-02 20:20:36 | とりとめのない話
30歳になってしまって、ふっ切れた。
まわりがどんどん結婚して行く中、私どうしよう~って思ってつらかった。

結婚したいわけじゃない。
むしろ結婚したくない。

だけど、結婚したいのにできないという日がこの先来たときに
20代で若くて結婚したければできた時にしておけばよかった
と後悔するのがこわかった。

こわかった、と書いたということは、今はこわくなくなったわけで。

後悔なんて、今までの人生で何回もしてきた。
簡単なところで言えば、もっと勉強しておけばよかったな~とか。
中学とか高校の時、時間がたっぷりあって、勉強すれば成績が上がって、
資格も学校で取れたし、勉強ができると生活もしやすかった。
勉強して成績が良くなったらおこづかいもらえただろうし
友達も頼りにしてくれただろうし。

大人になった今、勉強しても、直接生活に関係ない。
それを活かすように自分で持っていって初めて、勉強の意味が出てくる。

同じことをするのでも、時期が違えば全然変わる。
苦労する。
結婚も出産も。

出産は、50歳でその気になっても絶対無理。
50歳でもめっちゃ頑張れば結婚は可能性は無くはないけれど
出産は無理。

若いときに簡単にできた時期に出産を経験しておけばよかった。
という後悔に耐えられるのだろうか。
いや、耐えられないのが分かってるから、後悔がこわい。

無理やり今、結婚と出産したらいいと思っても
まったくその気が無くて、どうしよ~ってことなんだった。

後悔をしたら、それには耐えられない。

だけど、後悔を私は絶対するのだろうか。
それは?だ。
後悔をしないのが決定すれば、こわくなくなる。
まわりが結婚していこうが、どうしようと思うことは無い。

後悔しない方法。
長い人生、この先1回も「結婚したい」とか「子供欲しい」とか思わないで生きる方法。
どんなに気をつけても、ふとした時に、思いそう。

どうしようどうしよう。
そう思いながらネットで検索した。
30代40代で独身の女性のブログを見た。

婚活ブログでは、年齢での大変さがすごくよく分かった。
29歳と30歳では、まったく違う。
20代か30代の違い、この壁は大きい。

出産も、30歳を過ぎると安全では無くなっていく。

そうなると、「あ、30歳の私はもうダメなんだな」と客観的に思った。
ネガティブに地獄な感じで「ダメだ~↓」と落ち込んだというのではなくて。
結婚・出産とは関係無くなったんだな、と。

事実をそのまま見た。

たとえば、テレビの有料放送の無料おためし期間が終わった、みたいな。
無料だったから見てただけで、期間が終わったなら、いいですよ。
まだ20代で可能性があったから焦れてただけで、期間が終わったなら、いいですよ。

見れるなら見とかなきゃもったいない気がしただけで
見れないってハッキリ切ってくれたから、スッキリするわ。

テレビを見たい人は、見れるように手続きを取ればいい。
見たいと思う人を、いいと思う。

私は見なくてもいい人間だったから。
だから、見れなくなって、ようやく解放された。
「見れないんだから、もともと見なくてもよかったんだから、もういいじゃない。」

“見る手続きがスムーズで簡単な時にしなかったこと”
これは、どんな十字架なのだろうか。

こわかった。
だけど、私はそもそも、見れなくてもいい人間なんだった。

それに気づいて30歳になって、葛藤から解放された。
どうしようっていう思いがまた頭の中でスタートすると最近はすぐに
結婚する、しない、じゃない。
私の人生にはもう「結婚しない・出産しない」しか無い。

すごく楽になった。

結婚しないしかなくなった今、楽になった感じを受けて
あれ?これは後悔もしそうにないな~と思えた。

「後悔」に、なっていかない気がした。
この先「結婚・出産が簡単に出来る若い時にしておけばよかったかもな~」という考えが
頭をよぎったとしても、その後にすぐ楽な気持ちで
「まあ、しょうがないよな~」と思えている様子が想像できた。

簡単にできた時に、する気が起きなかったんだから
それはそれで、それが私の自然な人生の流れなんだな~と思う。

30歳はもう手遅れ、という事実に助けてもらって
私はようやく「結婚・出産」を“あきらめることができた”ということ。

すっきりした。
30歳になってよかった。

充てる

2011-09-22 13:54:37 | とりとめのない話
売れたいと思っている後輩芸人へ
若林さんからのアドバイス


才能才能って思ってたけど、想像と違った。
不安がりで、努力家の人が多い。

やっぱり、みんな働いてる。
売れてない芸人はライブ出てるだけで働かない。
でもテレビ局の人も、作家も、芸人も9時~24時で働いてる。

その時間を全部何かにあてたら

みたいなことだったなって後悔してたりするよ。

振り返り

2011-08-25 05:50:37 | とりとめのない話
今までの自分のバンドをやってた人生を振り返ってみた。

シャ乱Qを見てバンドやりたくなったっけ。
高校に入って軽音をのぞいたら男子しかいなくて、その中に入っていく勇気がなくてあきらめた。
ジャンヌのライブに行って、やってる曲はかっこいいし楽しそうに演奏してるし、ボーカルのyasuさんにあこがれた。

大学では、今度こそ軽音に入ろうと思った。
心細かったから大学で出来たばかりの友達を軽音に誘ったら一緒に入ってくれた。
ギターがあいてたからギターをやった。
そしてジャンヌのコピーがやりたくて新しくバンドを組んだ。
同期だけで組めたから、すごくやりやすかった。
ギターボーカルだったから大変だったけど、やりたいことだから練習も楽しくてコツコツギターも練習した。
大学の講義中も左指を動かして、雑誌に書いてた指がスムーズに動くようになるトレーニングをしたりしたな~。

もっと真剣にバンドがやりたくなって学校の外で組むことにした。
ギターボーカル、ベース、キーボード、ドラムの4人組。
途中からギターが加わって5人組になった。
いろんなコピーをやった。
やっていくうちに、オリジナルを作って週1でスタジオ練習してライブも月1回やってボーカルだけでやりたくなっていった。
だけど、メンバーが一緒にバンドやってくれてるだけで十分ありがたいんだからって思って、メンバーの空気を読んで、バンドをもっとグイグイやっていきたいという気持ちを抑えた。
ただただ、バンドをやり続けたい。
それだけ。

必死でバンドを守っていたのに、3人は去っていき、残ったのは2人になった。
オリジナルを作り始めていた時だった。
私のやりたいオリジナルをやるってことが実現しかけていたところだったから、そんな落ち込みは無かった。
1人は残ってくれたってのもあったし、曲作りして曲が増えたら、新しいメンバーに出会える気がしてた。
根拠は何もないのに

ピンチはチャンスっていう通り、今思えば新しいメンバーに出会えたのは、この時バンドが2人になってしまったからだな。

新しく出会ったメンバーとバンドを始めた。
そしたら、オリジナルを作って週1でスタジオ練習してボーカルだけでやるっていうのが叶った。
そして、月1回ライブするっていうのも実現できた。
やりたかったバンド活動を全てやることができた。

やりたかったことをやれるようになって、やっていた期間は2年くらいだったな。
毎月ライブやったのは最後の半年だった。

よし!ここからだ!!
スタートだと思ったところが、ゴールだったのかもしれない。
やりたかったことがやれたから、ゴール。

ずっと抑えて我慢してたやりたかったバンド活動を去年にやれた。
出会ったメンバーのおかげで。
私の夢は叶ったんだ。
1年後の今知ったけど。
シャ乱Qを見た時に抱いた夢が叶ってた。
14歳で見た夢が14年後に叶ってたってことか。

メンバーがバンドを一緒にやってくれてるだけでありがたいって思って、どうなろうとも絶対にバンドはやり続ける!絶対に離さない!!私からは絶対にバンドをやめないってずっと思ってて必死になって守ってた。

それを手放せたことを、自分のことなのに不思議に思ってた。
バンドやめるってありえなかったはずなのにな~って。
ゴールしたからだったのかな。

でも、解散という言葉が使えなかった。
バンドの活動を終了するっていう言葉に置き換えた
今はもうバンドは解散したって言ってる。

最後のミーティングの時、1人はもう抜けるつもりでいたし、話し合ってる時に1人は気持ちの違いで抜けることになったし、1人は後日抜けるってメールが来て、私1人になってた。
ひょっとしたら無意識だけど、そうなるように自分で仕向けていたのかもしれない。

バンドを保ち続けるのはあんなにしんどかったのに、壊れるのはヤッパリ簡単。
解散にならないように努力しなきゃ、自然消滅とかでバンドはあっさり無くなってしまうものだっていうのがずっと頭にあった。
正解だったな~。

「このバンドが解散せずにやれてるのは、リーダー(←私のこと)がおるからやで。
おらんかったらこんなに続いてないわ。」って、
コピー時代のドラムの子に、その当時言われたことがある。

それ言われて、
「あ~私の支えが役に立ってるんや!
しかもそれをドラムの子は見ててくれてるんや。」って思うよりも、

「このバンドが大切で大事で、つながりを必死に保とうとしてるのは私だけで
みんなにとって、このバンドはそんなに大切なものじゃないんや。
無くなったら無くなったで別にって感じなんや。」

って思ったら悲しかったな。

よく考えたら、バンドをやることが私の夢やったから
バンドへの情熱が違ったな
気持ちを抑えてたつもりで、もれてたかも

今は、そういう情熱が持てる何かを探してる。
私にとっての第2のシャ乱Qやジャンヌのような衝撃を見つけて、新しい夢を抱きたい


川を渡る

2011-08-25 04:17:15 | とりとめのない話
芸人交換日記の中に、先生が言った言葉が書かれている。
「“やろうと思った”と“やる”の間には大きな川が流れている。」

思い返してみれば、私にも心に残っている言葉があった。
中学の時、校長先生が言った。
トイレの話。
「君たちがトイレをしたくなったら先生は、トイレに連れて行ってあげられる。
便器に座らせてあげることも出来る。
だけど、最後にきばって出すのは君たちだ。
先生が変わりに出してあげることは出来ない。」

高校の時、担任の先生が言った言葉。
「(やろうかな~やめようかな~と)迷った時は、やれ。」



シャ乱Qを見てバンドをやりたくなって
あんなふうにメンバーと楽しくバンドを一生やっていたいと思って
勇気がなくて動き出せなくて
でもやりた過ぎて動けて
バンド組めて幸せで。

コピーやってて
オリジナルやりたいけど作れなくて
でもオリジナルやりたいから苦労して曲をなんとか作って

ギターボーカルじゃなくてボーカル1本でやるようになって
週1回スタジオ入って毎月ライブやるっていう活動をやれるようになって

やりたかったことをやれるようになって
やっていた期間は2年くらいだったな。

よし!ここからだ!!
スタートだと思ったところが、ゴールだったのかもしれない。
やりたかったことがやれたから、ゴール。

だから燃え尽きた。
もう気が済んだ。
そして止まった。

と思っていたけれど

何度もゴールを味わいたくなった。
っていうか、それしかない。
しばらく忘れていたあの喜びを思い出したから。

再びゴールを決められるようになるまで
またゼロから作っていかなきゃならない。

しんどいけど、自分で作るんだ。