箱根の強羅公園とその周辺に咲いていた紫陽花の花の写真です。こちらは名前がはっきりと分からなかった紫陽花の写真を集めています。美しい花ばかりで見とれていました。ついつい欲張ってたくさん撮りました。
今日の箱根行きの最大の目的は、登山鉄道に乗って紫陽花を観に行くことでした。しかし今日は私たちと同じ目的を持った人が非常にたくさんいたようです。箱根湯本駅から強羅駅に向かう箱根登山鉄道の前には長い行列ができており、遊園地で並ぶようにジグザグに進むようになっていました。電車内もラッシュ時に近い混雑ぶり。車窓からなんとかして紫陽花を観よう、そして写真を撮ろうと構えていましたが、今度は電車の進行にうまく合わせることができず、ぶれた写真ばかりになってしまいました。そのなかでも、まだましだと思えた写真があったので、こちらに載せます。このブレが電車の進行を表していると思っていただけたら幸いです。ぶれていない写真は電車が止まっているときに撮ったものであり、また、往復どちらも入っています。最後の写真は強羅駅にあった花時計です。久しぶりのフォトチャンネルです。真ん中の三角矢印をクリックしてください。ブレなどで見苦しいところも多いですがご了承ください。
箱根に行ってきました。昼食は箱根湯本駅から歩いて5分程度の、画廊喫茶ユトリロという所に行きました。高い天井で少し暗め、古いヨーロッパの住宅のような雰囲気でした。名前の通りユトリロをはじめとした絵がたくさんかざってあり、またフランス人形をはじめとした大きな人形もおいてありました。なんと四谷シモンの人形もあったのですね!とてもアンティックで独特な空間でした。店の紹介文にはクラシック音楽もかかっているとのこと。残念ながら今日は聴こえませんでしたが、人が多く、単に賑やかだったからだけかもしれません。店員さんもとても親切で、店内すべてが素敵な空間でした。
一週間という時間をかけてつくったというカレーと珈琲をいただきました。どちらも定評のある味とのことで、大変おいしくいただきました。カレーは長く煮込んだらしくまろやかなうまみがたっぷりで本当においしかったです。辛いのが苦手でなければぜひお勧めです。
今朝ベランダを見たらさつきちゃんが咲いてました!わ~い
納期のきつい仕事、思ったよりも早く終わりそう。来たときは非常に焦ったものの今回は心配性がいいほうに働いたかもしれない(汗)しかし、おととい書いたように大切でないところで大げさになりすぎるのは控えようと思った。とはいいつつ、休み時間には結構騒いでしまうものなのですが。。。
あとは週末の遊びを楽しみに♪(その前になにかかあった気も)
この方さつきちゃんのつぼみが見えてきました。(昨年の咲きはじめ)毎日水はあげているものの、そんなにいい育て方をしているとは思えないのに、6月初めになると必ずこのようにやってきてくれます。本当に健気です。
昨日は納期のきつい仕事、もっとも来てほしくない時期に来たうえに内容もややこしかったため、いらいらが最高潮になり、集中力がなくなりさらにいらいら、昨日の最低ノルマは果たしたものの、飲んで発散したい気分になっていました。帰ったら主人より遅かったし(汗)来てほしくない時期、というのも単なる私の都合にすぎないから(時期が違えば許容度はまったく違っていたと思います)、いらいらするのも未熟な人間のような気がして、さらに落ち込んだりしてね。。。しかし、この花を見てそういう気持ちもふっとびました。動物でも植物でも、生きものには大きな力があるなあと感じました。
さつきちゃん、三原市役所から最初いただいたとき(花が咲くことすら想像できなかった時、いただいてから1年目のつぼみ)は、とんでもないことにちょっとめんどうなものだと思っていたけれど、今となっては感謝、感謝です。
今日は開国記念博物館に行きました。開国時に函館とともに開港された下田。開国にまつわる貴重な資料が豊富においてあり非常に面白かったです。ペリー、ハリスなどの開国時の主要人物については言うまでもないのですが、今回特に気になった人物が以下の三人。(Wikiから引用しています。)
斎藤きち(1841~1890年) 下田一の人気芸者。米国から来日し精力的に外交を行っていたハリスが領事館で体調を崩したため、ハリスの通訳ヒュースケンがハリスの世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼したところ、看護婦の概念が分からない役人は妾の斡旋以来だと判断し、きちに候補があがった。婚約者のいた彼女は固辞したが、幕府の執拗な説得に折れハリスのところに出向くことになった。しかし幕府の思惑を見抜いたハリスに結局3日で解雇された。当時の日本では外国人に身を任せることに偏見があったため彼女は「唐人お吉」とよばれ侮蔑の目を向けられ、酒におぼれてしまったという。
下岡蓮杖(1823~1914年) 日本で最初に写真技術を学んだ人物。幼いころから絵を好んだ。オランダ船のもたらした銀板写真に感銘を受け、来航する外国人から写真の技術を学ぼうとしたがうまくいかず、結局横浜開港の談判のためにハリスの通訳であったヒュースケンから技術を学んだ。当時の日本では写真は、姿かたちをそのまま再現するので撮影すると寿命が縮まるといって嫌われていたが、次第に迷信はなくなった。博物館には彼が命がけで撮影した江戸城の写真が掲示してあり、当時の苦労がしのばれた気がした。日本での写真の祖であり、ベンチャービジネスの先駆けの人物とも言われているそうだ。(リンク先のサイトより)ちなみに横浜の馬車道に「下岡蓮杖顕彰碑」があるという。ぜひ行かなくては。彼の生誕祭も横浜であるというし。
ヘンリ・ヒュースケン (1832~1861年)アムステルダム生まれのオランダ人で、玉泉寺に設置された駐日アメリカ総領事館の通訳。アメリカに渡航すると、英語だけでなくドイツ語、フランス語もできるという語学力をハリスに買われ、通訳として日本に赴任した。ハリスの看護婦の斡旋を依頼したり、下岡蓮杖に写真の技術を伝えたりもしているし、日本に深い理解を示していた人物であった。しかしプロシア使節と日本人側との通訳として通っていた赤羽根接遇所からの帰り道、刺客の一団に襲われ若くして亡くなってしまった。
日本の開国、いや、歴史上で重要な役割を果たしながらも歴史の教科書には出てきておらず(実は高校の日本史には出てきているかもしれませんね)恥ずかしいことに今まで知らなかったこの三人に心動かされた今朝のひととき。本も出ているみたいなので読んでみようかな。
その後水族館に行ったのですが、横殴りの雨がどんどんひどくなり交通面でも心配になってきたので、少し残念だったのですが、帰る時間を繰り上げて早めに帰りました。
明日は施設中心に回ることになりそう。雨ですが楽しみたいです。ひどくなるということですが、あまりひどくなりすぎないでほしいな。