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自転車ロードレースやロングライドの話題が中心です。
脊椎関節炎と付き合いながら生活しています。

2014年 第33回道新杯 サイクルロードレース (S4)

2014-05-12 09:18:17 | 自転車
ことしも北海道のロードレース初戦の「道新杯サイクルロードレース」に参加させていただいた。
去年は「S5」でのエントリーで少人数でのクリテリウムだったため、大人数(今回は50名)でのクリテリウムは初体験となる。
6:30頃に会場入りして受付までのおよそ1時間半の間、会場をうろうろして知り合いに挨拶したり丘に登ってコースを眺めたり、FBやTwitterに投稿したりして時間を潰した。
受付が若干早めに始まり、受付を済ませてコース上を5周回試走。
去年のレースで芝生に突っ込んだクランク部分ではスピードを上げて念入りにチェック。
1周だけギアをかけて走ってみた。

開会式を終えると、小学生のカテゴリーからレースが始まったが、ウオームアップするにはまだ早いので、ウロウロしたり車の中で仮眠したりして過ごした。
駐車したすぐ近くに、ブログやSNSでお世話になっている恵庭のTさんがいらっしゃったので、お話させていただいた。Tさんは「S3」に昇格し、今シーズンはかなりトレーニングを積んでこられたようで自信のある雰囲気。なんとかTさんに追いつけるようポイントを積み上げてゆきたい。

エリートクラスののレースが始まったので、レースを観戦しながら知り合いに声をかけているうちに11:00になったので、予定どおり地元食材で作られた豚汁をいただき、おにぎりと一緒に昼食。美味しくボリューム満点だったのでお腹がパンパンになってしまった。
昼食後、少し経ってから固定ローラーでウオームアップを開始。
10分間で心拍を160近くまで上げて終了。
天気が良く気温が高いので、たった10分だけで汗がダラダラ吹き出してきた。

エリートクラスのレース中に、S2クラスの選手達だけでなく、既にS3蔵明日の選手たちもバイクを並べ始めていたので、S4クラスの自分も慌ててバイクを準備してS3クラスの後ろに並んだ。
車に戻って膝痛予防のためのジンジャー入りのオイルで脚を軽くマッサージし、ジャージを着替えてBCAAを飲んでから、待機所の横で座ってレースを観戦。
スタートから飛び出すつもりだと言っていた会社の後輩は、バイクを並べるのが遅れて、残念ながら最後尾からのスタート。最初に加速して先頭集団に追い付けばプラン通りに逃げをうつことができるはずだが、狭いコースでうまく抜け出してこれるかが鍵。

S3クラスに昇格した知り合いのSさんは、スタート時の落車に足止めされて先頭集団から大きく遅れてのスタートとなってしまい、その後必死に集団を追い、もう少しで追いつくところまで上がれたものの、さすがに小集団の先頭を牽き続けるのは厳しく、途中で完全に遅れてしまった。
ほとんどの周回を先頭または単独で走っていたにもかかわらず、しかも咳が出る状態で、ほぼ40km/hの平均で走っていたのはさすがだと思う。

定刻にS4のレースが予定どおりスタート。
先頭からのスタートだったが、クリートが一発ではハマらず前に10名ほどが先行し石畳区間へ突入。石畳区間からほんの少し段差を登って左折するところでは外側から内側へ被せてくる選手もいたので速度を落として注意して走ったが、ここからの加速で少し差をつけられることが多かったが、カーブが連続するため、決定的な差をつけられることはなかった。
少し登ってから左折しての下りからクランクまでの区間は道が狭いし、クランクでは集団のラインが安定しないので無理に前に出ようとせずクランクを抜けてから加速して前を抜くパターンでレースを運ぶ事にした。
クランクを抜けてからゴール前までの区間で他の選手の後ろについて脚を残すことも選択肢にはあるのだけど、自分の個人的な感覚として、「それでは面白くない」し、集団スプリントでは勝てる気がしないので、なんとか集団を分裂させ縦に引き延ばそうと、この区間で何度か先頭を牽いてみた。
結果として、自分がタレテしまうので最後まで集団を分裂させることはできず、脚を削ってしまっただけで作戦としては失敗。
途中でKさんが「少し開いたから3人で逃げよう!!」と声を掛けてくれた場面があったのだけど、先頭を牽いてタレテいたので協力することができず、3人とも集団に戻ってしまった。
これはチャンスだった。ほんのわずかな隙だったけれども、ここが逃げを打つ最大のチャンスだった。
タレテいる間は、Iさんをはじめとして、いろんな選手の後ろにつかせてもらい回復させてもらった。

会社の後輩が何時先頭に来てくれるのか待っていたのだけど、最後尾からでは難しかったようで、高速ローテで逃げようというプランは実現できなかった。残念。
後輩は登りが強いので、藻岩やニセコでは活躍してくれるだろう。

クリテリウムはTTとは違うので、ずっと一定以上の出力を維持する必要はない。むしろ休めるところでは休まなければならない。今回のレース後に出力の変動を分析してみたら、いい具合に脚を休めていたことがわかったので、少しは頭を使えるようになったのか?それともただ単にタレテいただけなのか?(笑)
問題は、高出力の部分が足りないこと。最後のスプリントでもせいぜい700Wなので、これでは勝負にならない。自分の脚質として、じんわりとギアをかけていってある程度の高出力を少し長めに維持できるのだけど、爆発力がない。ドッカンと出力を上げて後ろを引き離すことができない。しかし、これはそういうトレーニングをしていないのだからあたりまえといえばあたりまえ。今後は、苦手部分のトレーニングも組み込んでゆかなければS4で勝負に絡むことはできないだろう。

タレテしまい先頭とずいぶん離れたなと、気が付いたらレースはラストラップに入っていた。
クランクを抜けてからが勝負だと言い聞かせ、クランクまでの間に徐々に先頭集団との間を詰めた。幸いにも先頭集団ではゴール前のスプリントに備えて牽制があったようで誰か抜け出して逃げようというアクションはなかったのでなんとかクランクを抜けた時点で集団の最後尾に追いつくことができた。
前を見るとコースの右側に抜けれそうな隙間を見つけたので、外側から一気に前に出てそのままゴールまで・・・とがんばったのだけど、既に脚はいっぱいいっぱいで、先頭をキープすることはできずに8位でゴール。

ゴール後は脚がパンパンに焼けてまともに歩けなかった。
車に戻って補給しているところへ会社の後輩がやってきたので、一緒にスイカを食べて、一息ついた。
不完全燃焼だった後輩がオープンレースに出るとのことだったので、完走を目標に出走することを決めた。
5周回なのでラップアウトされることはなかったのだけど、もう前に行くという気持ちも湧き上がらず、遠ざかってゆく後輩を追うこともできず、淡々と5周回ってゴール。
異次元の速さを体感することもできず、自分の脚のなさを痛感して今年の道新杯を終えた。

リザルトを確認しているときに、S4で3位に入賞したKさんとお話をさせていただき、早速FBで友達申請をした。ありがたく承認していただいた。
同じ40歳代として今後もお互いに頑張ってゆきたい。

右膝の痛みと対処

2014-04-21 10:56:46 | 自転車
サンパーク周回中に右膝が強く痛み、それ以上踏めなくなり左足だけでペダリングしてヘロヘロになって帰宅した。
この痛む場所は、最初に膝を怪我(前十字靱帯損傷、内側側副靱帯損傷、半月板損傷)した際に最も強く痛みを感じた場所なので、そのときの怪我と関係あるのだろうと思っていたので、これまでは痛みが出たら冷やして安静にしていた。
しかし、どうもそれだけではなさそうな気がしている。
きっかけは「アロママッサージ」と「トリガーポイント」のケア。
アロマオイルを使ってマッサージすると、オイルの潤滑作用で筋肉や腱の間に容易に指を入り込ませることができ、より深いマッサージ効果を得ることができる。あちこち脚を触っていると、指で押しこむと鈍く強い痛みを感じる場所がいくつか見つかった。そのうちの一つが、大腿二頭筋と腸脛靱帯の間の奥深い部分。ここを指でじっくりと指圧してやると、鈍く強い痛みを感じるが膝の痛みが軽くなる。
この部分に負担がかかり過ぎ疲労が蓄積すると、膝に痛みとして出てくる原因の一つになっているのかもしれない。
自分の右足は、半腱様筋を前十字靱帯再建のために切除して自家組織として移植に使用しているので、普通の人にはあるはずの筋肉が一部欠けている状態だ。そのため、バランスが崩れていて外側に負担がかかっているのかもしれない。そうであれば、欠けている部分を補うために鍛えるしかないのだろう。

ラテックスチューブ

2014-04-18 16:04:38 | 自転車
今年の常用ホイールには「ラテックスチューブ」を使っている。
ホイールもバイクも硬い物が好きで、路面からの振動は気にならないのだけど、ラテックスチューブが入っているチューブラータイヤを使ったときは、かなりの高圧であったにもかかわらず路面からの振動のマイルドさを感じることができた。やはり、クリンチャーでも同じように感じるので、チューブラーの乗り心地の良さはチューブの素材によるものなのだろうと思う。
ブチルチューブのチューブラータイヤがあれば、その乗り心地はやはり硬い物になるのだろう。
ラテックスチューブは空気の抜けが早いのだけど、1日の練習や1回のレースの中では気にする必要のない程度。グリップ力や走行抵抗などはよくわからないけども、ガツガツした振動がポコポコした振動に変わるのできっと身体にもストレスが少ないのだと思う。

昨日はあまり時間がなかったので10分だけと決めて20/20を実施。
20秒390W以上で回して、20秒130Wで回すのを10セット繰り返すインターバル。
ものたりなくなってしまい、20/20の終了後に300W以上1分を数回繰り返してみた。
やはり300W以上で30秒以上続けると、左脚に違和感が生じてしまい、ペダリングがぎくしゃくしてしまう。右脚はなんでもないのに、この差はなんだろう?とクリートを調整してみたりサドル高を調整してみたりしてみるが、違和感が薄れるのは最初だけ。やはり、古傷の足首捻挫の影響が普通の調整範囲では足りない状態なのかもしれない。クリートの左右の取付角度を調整するアダプタ(シム)を試してみようかな。
でもでも、固定ローラーで違和感があるけども、レースを含む屋外実走では違和感はあまり感じない。この違いはなんだろう?バイクがまっ直ぐ固定されていて左右に振ることができないのが影響しているのかもしれない。

今年も車連に登録(S4)

2014-04-17 16:35:27 | 自転車
ツールド北海道で、なんとかS4でやってゆく自信を得て、昨年度に引き続き今年度も車連に登録することにした。

レースと言えば、第1回からニセコヒルクライムに連続出場したことと、2012年度のツールド北海道くらいしか出場していなかった自分が、なにを血迷ったか48歳にしてはじめて車連登録したのが2013年。
道新杯はS5で幸運にも3位に滑り込み気を良くしたものの、藻岩山で登りの弱さをあらためて自覚し落ち込んで、ニセコヒルクライムでは追い風に助けられて念願の40分切りを達成し、S5で9位ながらも登録選手中1位でS4に昇格。S4で臨んだツールド北海道のロードレースでは、初日13位、2日目28位。ここでも登りの弱さを露呈し、シーズンオフの屋内トレーニングで登りの強化を誓ったものの結局いつもの一定負荷(FTP付近)での30分走に終始してしまい、自覚できる進歩のないまま49歳の春を迎えた。

FTP付近での30分走での平均出力が去年よりも10W程度は高くなっていたものの、3月末に腰痛を発症して長期にトレーニングを休み、腰の痛みが出ないようにおっかなびっくりペダリングを続けたことで、すっかりペダリングのし方を忘れてしまい、平均出力が30Wも低くなってしまいトレーニングのモチベーションも上がらずに悶々としていたところで、自分に合っているかもしれない腰痛対策(トリガーポイントのマッサージ)を選んで腰痛から解放されつつある。
走れていることの指標にしているサンパークでの周回走行タイムがギリギリ16分を切るくらいだったので、去年のツールド北海道前と比べると1分以上遅く、平地で出力が極端に下がってしまうので、まだまだベストには程遠い事を実感した。

3月の腰痛以降に変わったことは、ウオームアップを十分にしなければ、まったく目標とする出力が出せなくなったこと。
ウオームアップ無しでは、たった250W程度を30分維持することがとても難しい。心肺よりも脚が重たくてリズムがとれないような感じと言えばわかるだろうか。
大腿四頭筋に頼っていた(はず)のペダリングからハムストリングスと大殿筋で踏めるようにいろいろとポジションや意識を工夫した冬のローラートレだったが、そのバランスがよくないのかもしれない。大腿四頭筋はとてもわずかな時間で終わってしまい、ハムやお尻は使えているのか使えていないのか実感できない状態。
きっとハムやお尻は筋肉のスピードが不足していて、頭で考えているペダリングができておらず、やはり使いやすい大腿四頭筋を使ってしまっているため、このようなことになっているのではなかろうか?そうであれば、もっと重いギアを遅いケイデンスで回せばよいのだろうか?うむむ・・・いろいろ試してみるしかなさそう。

ツールド北海道 2013年 市民レース Bコース 2ndステージ

2013-09-29 16:31:41 | 自転車
1stステージ13位の結果に満足して気分を良くしていたが、背筋の張りがどうにも辛く、ニセコからの帰りの車でカーブの度に背中が痛んだ。
家に帰って夕食を食べていても、風呂に入っても、背筋の張りと痛みが消える事はなかった。
強く揉むと気持ちいいのだけど、揉み過ぎると翌日に力が入らない感じになるのが嫌でストレッチとアンメルツでケアした。

翌朝、3:30に起床して後輩を乗せて4:40に出発・・・後輩がゼッケンを忘れたとの事で引き返したタイムロスを取り返すべく、いつもより速度を上げてニセコに向かった。
途中、雨が降ったり止んだりを繰り返し、ニセコ方面の雲の厚さに気分を重くしながらも、スムーズにニセコまで走ることができ、6:30に駐車場に到着。昨日の出発前のドタバタを繰り返さないように事前準備はばっちりで、雨に濡れる事もなく1号車に二番乗りで乗ることができた。
車中では神恵内までの1時間くらいは目をつぶって身体を休めていたが、雨が降っている事は感じていた。
神恵内に近づき今日のコースを逆走するあたりまでくると、コースの様子を確認しておきたくて身体を起こした。
トンネルに入ったときに、試走時に感じたのと同じように、その暗さに恐怖を感じた。

スタート地点に到着し、路面が濡れている事にテンションを下げながら自分の自転車がトラックから出てくるのを待った。
一台ずつトラックから出てくる他の選手達のバイクを眺めるのが楽しかった。
バイクを受け取って出走サインと計量を済ませ、開会式会場のあるセンターの建物の2階に陣取った。
お腹がすいてきたのでバナナを食べたりゼリーを食べたり、トイレに行ったり、知り合いと話したり、開会式までの長い時間はあっと言う間に過ぎてしまった。
開会式ではすぐ近くに東北大学トライアスロン部のジャージを着た選手達・・・この選手達のうちの一人とは平地区間で一緒に走ったのでよく覚えていた。同行者らしき美しい女性ローディーの左足の落車傷をよく覚えている。この女性ローディーは1stステージで表彰台に上がっていたはず。海岸線を集団から遅れて独走していたところを3名のパックで拾って走ったが、いつのまにかちぎれていた。

開会式が終わって選手達がスタート地点に並びはじめた。
後輩と一緒に並んでスタートを待った。
背筋の張りと痛みの対策として痛み止めをスタート前に飲もうと思っていたのだけど、すっかり忘れてしまっており、走りはじめたら飲んでいる暇もなくそのままになってしまった。
Aコースの選手達が先にスタートしていたが、トンネル内で落車があったためBコースのスタートが遅れるとのアナウンスがあった。
間もなくBコースもスタート。
最初はパレードとのことだったが、いつリアルスタートになったのかわからないまま周りの加速につられて自分も加速。
スタート直後は選手達の走行速度がバラバラなので、先頭付近まで上がってゆくためには左右をかき分けて進んでゆかなければならないが、自分よりも速い速度で後ろから追い越してゆく選手もいるし、雨で路面が滑りやすいので、前後左右に細心の注意をはらいながら少しずつ前に出て行った。
少しずつ対向車線も使って前に行くこともできたが、ときどき対向車がくることもあって躊躇しているうちに、トンネル区間に入った。
トンネルに入ってしばらくは前の選手もよく見えていたのだけど、しばらく走ると前後左右が分からないくらい真っ暗になってしまった。
間もなく前の方で落車と思われる音と叫び声が聞こえてきたので、前方で落車が発生したと思い必死で前を凝視した。
不自然な形のシルエットが見えたので、ブレーキを握りながら右へ右へ自転車と人を避けるように流されて行った。対向車線の壁が近づいてきて目の前に先導バイクが停車しているのが見えて「ぶつかる!」と思ったが、ギリギリでストップする事ができ、落車している選手達が気になりながらもトンネルから出る事だけを考えて加速した。「後輩は落車に巻き込まれなかっただろうか?」心配だったが後ろを確認している余裕はなかった。
100mほど前に見えている先頭集団に追いつく事だけを考えて、周りに声をかけながら必死で回した。
走行速度に差がありすぎるのか、なかなかうまくローテーションは回らない。
少し休ませてもらったら積極的に先頭を牽いたが、気がつくと後ろは離れてしまっていて独走状態が多かったのは誤算だった。
この平地でここまで脚を使ってしまう事になろうとは・・・。
もう少しで集団の最後尾に追いつくことができるところまで上がってきたときに、独走でも一気に追いつく事ができたはずだが、後続を待ってしまった。ここでできた先頭集団との差を埋める事ができなくなろうとは、このときは考えてもいなかった。
近くに見えていたはずの先頭集団がだんだん離れて行っている事に気がついたときには既に遅く、限られた選手しか先頭を牽かない集団では、先頭集団の速度を上回る事はできなかった。
後輩が追いついてきた。落車は停車して避ける事ができたとのこと。

海岸線を離れ、左折して山に向かう直線・・・先頭集団に残っていたらアタックするはずだった場所だ。
東北大のトライアスロン部の選手が積極的に前を牽いた、
自分も前を牽いたが海岸線で脚を使いすぎており、長くは牽けなかった。
途中で後輩が先頭を牽いたときについてゆけず、中切れしてしまいそうになり、思わず「速すぎる!!」と声を上げてしまった。
情けない事だが、これが現実。
右折してからは積極的に前に出た。登り区間に入れば遅れてゆく事がわかっているので、できるだけ平地区間で差を付けておこうと思ったのだが、後ろを振り返ると5mくらいしか差がついていなかった。

左折して、いよいよ登りが始まった。
背筋は相変わらず痛い。登り始めるとますます痛い。
登り区間に入ると選手は縦にばらけはじめた。
同じ速度で走る選手はおらず、抜くか抜かれるかだった。
追い抜いて行った選手も、傾斜が変わると逆に自分が追い抜くこともあり、なんとなく親近感が出てきてお互いに声をかけあうようになった。
下りでスピードに乗って下っても前に選手は見えなかった。
国道に出る手前で右折して厳しい登りが始まった。
少しずつ落ちてくる選手をパスしながらジリジリと登り続けた。
不思議と背筋の張りと痛みは気にならない程度に回復していた。いや、麻痺していたのかも。(笑)
カーブを曲がって見える先が頂上であることを祈りながら登った。祈りは何度も裏切られ、「まだか、まだか・・・」と売り切れそうな脚を必死で回して登り続けた。
辛くて前を見える事ができなかったが、ふと顔を上げると、手を叩く音がする。
聞き覚えのある声と姿。
1stステージ5位のSさんが応援してくれていた。
後輩との差を確認すると、優しい2さんは「う~んと、2分くらいかな?」と気を遣ってくれた。
応援で力が戻ってきた。
試走で見覚えのある場所にさしかかったときに、「ああ、ここまで戻ってきたんだ。もう少しだ、がんばろう。」と思った。
知らない選手にも声をかけて応援してくれた観客のおかげで、なんども救われた。
登り切った。一番厳しい区間を登り切った。
もう、あとは走り慣れたニセコヒルクライムのコースまでの少しの登りだけだ、と自分を奮い立たせて走っていると、後ろから追いついてきたWAKASAジャージの選手に声をかけられた。
神仙沼で協力して走った選手だった。覚えていてくれたのだ。
あの後、いい調子で走っていたが落車して下りが怖くなってしまったとのことだった。
一緒にゴールまで行きたがったが、下りでビビっている選手と一緒に走るのはちょっと怖かったので、先に行かせてもらう事にした。

追い付いてきた別の選手が「回して行きましょう」と誘ってくれたが、自分が前に出たときに「やばい、もう脚が残ってないかもしれん。」と言い残して切れて行った。

ニセコヒルクライムのコースまで戻ってきた。
ここからしばらく下りだったが脚は緩めずに回した。
花園に右折するときに後ろを振り返ると、後続は100m以上後ろだった。
このまま追いつかれずにフィニッシュしたいと思い、下りも脚を休めずに回した。
前に2名選手が見えているので、追い付くべく踏んだ。
アップダウンがあるように見える道も、実際にはそれぞれが短いので勢いで超える事ができた。
T路路の信号を右折していよいよ残りは数km。
前も後ろも選手はまばら。
沿道で応援してくれる観客が多くなってきた。
2名の選手と声を掛け合って前に出たときに左の太もも裏が攣ったが、少し脚を緩めて回復させた。
ローソンが見えた。
右折して登り終えればゴールだ。
前に2名の選手が見えたので、ギアを上げて踏んだ。
想いっきり踏んだ。こんなに力が残っていたのかと自分でも驚くほどだった。
ギリギリで先着。

ゴールゲートの近くで先にゴールしていたYさんとFさんに挨拶してから駐車場に戻った。
後輩がベンチに座ってツイートしていた。
預けた荷物を受け取って自転車を片付けていると、隣りの車は任天堂さんだった。
Sさんが車で戻ってきたので応援のお礼をして一緒に昼食へ向かったのだが、14:00を過ぎていたため、お目当ての3軒はいずれも閉店。
イートインのパン屋さんで食事をしながら、Sさんが2ndステージに出場しなかった事を悔やんでいた。
Sさんの力なら上位一桁台の順位は確実なので、ほんとうにもったいなかったと思った。

食事を終えてからリザルトを確認にスタート地点に戻った。
すっかり選手の姿も見えなくなり寂しくなったスタート地点に張り出されていたリザルトを見てがっくり。
28位という数字に力不足を感じた。
後輩は12位。
やはり、登れないと勝負にならない。
28位では満足感を得られない。
冬の間は、重いギアを踏んで登れるように鍛え直さなければ。

自分はモエレのクリテリウムは出場しないので、この2ndステージで今年のツールを終えた。
S4でもなんとかやってゆけそうな感触を掴んだものの、結果としてはものたりない中途半端な結果に終わってしまった。
トレーニング環境(時間帯や時間)を変える事は難しいけれど、トレーニングの質を高める事は出来るかもしれない。