トリプル7と景色やゆかいな仲間たち

日常生活を豊かに楽しく成長していく

この世はサブリミナル効果的な広告に晒され続けている。

2018-02-26 12:46:06 | この世を揺るがす
人類が様々な人種がこの世では生活しているわけだがサインという誰もが解る

サインがある。

決して難しい難解なサインなどではない。

誰もが解るサインがあるのだ。

それは時には言葉であったり、体で表現する人もいるだろう。

サインを見逃すこともあるかもしれない。

でもそれでも続けていくとある時ふとそのサインに気づいたりして嬉しくなったり

するのだ。

僕らはそういったサインを見逃さないように暮らせたらいいなーと思っている。

ネットやテレビ、ラジオ、雑誌、新聞、等々様々な広告の前に晒され続ける世界の

中でそのような一種サブリミナル的効果によってなにかインパクトを受けること

を避けられない世の中で何を受取れるか何を選択できるかが非常に大切な時代の中

で僕らは生きている。

CMであったり、ネット広告などは損得の利益追求型のものであってそういうものに

騙されてはいけない。

もっと無償の愛を感じるものに目を止めてみよう。

不良で大人になり切れない大人達・・・

2018-02-26 12:06:20 | この世を揺るがす
子供は素直でその新鮮な世の中で起こる様々な出来事に喜んだり、怒ったり、悲しんだり、

楽しんだりする。

それも仕方がない。

初めて尽くしでこの世の何もない、些細なことであっても初めて尽くしな世界がこの世で

起こっていくからだ。

そういう新鮮な気持ちを持ち続けることは大切だと思っている。

よちよちまだ歩き始めたばかりの子供達は好奇心旺盛で目の前で巻き起こる現象に

反応して素直に喜怒哀楽を表現する。

それを見て可愛らしく思ったりする。

俺もこんな時期があったんだろうなと思うと愛らしくてたまらなくなるものだ。

ぼんやりとしたその幼い頃の記憶をたどってみると俺はこの地に足を着くことに

対して恐怖のようなものを感じていたのか?

この地に足を着かないように母親から抱っこされて離れずにビビッていた。

抱っこちゃん人形だ。

あの頃、流行った抱っこちゃん人形のように母親の胸から離れずにしがみついて

離れなかったのだ。

その時期を乗り越えやっと足を地面に着くことに諦めやっと歩き始めた僕は

今度長靴に興味を抱いたようだ。

雨の日でもないの長靴を履いて外に出るのだ。

何故そんなことをしたのかは知らない。

近所の友達は靴を反対に履いていたりしていた記憶が蘇る。

反対に靴を履いたら気持ち悪いはずだがそれにも気をくれず遊びまわるのだ。

あの頃の記憶はフラッシュバックのようで時々パッと輝きを放ち記憶として

蘇ってくるのだ。

ほとんどの記憶は消えてしまっている。

人は有難いことに時間とともに忘れていくようにそう創られて頂いている。

楽しい記憶も忘れてしまいたいような記憶も時間が経過するうちにそれは幻想のように

暑くて砂漠のようで歩くみたいに記憶はぼんやりとしてそれが現実なのか

幻想なのかわからなくなるようなそんな曖昧な記憶が思い出となってわずかな

その遠い昔の記憶が時には美化されていたり、時には過剰につらい記憶に作り替えら

て記憶が思い出されたりするのだ。


みなまで言うな!

2018-02-25 14:27:52 | 日記
春の兆しが・・・( *´艸`)





春がやっとこさやってくれて来てくれてるみたいです♪



それは宗像大社の近くにある鎮国寺というお寺のにそっと咲き誇る梅の花びら

8分咲き程度でしょうか



美しいです!



その一瞬に立ち会えて嬉しかったです( *´艸`)




春がキマシタ!春っす!春の兆しが確実にやってきてます!

2018-02-25 13:09:34 | 日記
春がやってきました!春は確実にそこまでやって来てます♪



梅の花をこんなに美しく見たのはそう思い出すと子供の頃のもう記憶にわずかに残っているか

どうかそんな夢のようなぼんやりとした記憶の宝物の中に眠っていました。

それは太宰府天満宮の奥の方だったと思います。

管原道真様勉強神様である太宰府天満宮です。

太宰府天満宮はかなり有名なのでご存知の方も多いことでしょう。

ここは鎮国寺という宗像にある大きな社殿があるゆったりとした空気の流れる

場所に梅の花と寒桜が咲き誇っていました。

とても貴重な時間を過ごせたと思います。

興味のある方は是非探してみて行ってみてはいかがでしょうか?

花なのでそんなに残された時間はありませんが是非おススメです!

来年でも遅くはありません。

是非!是非!!

現代社会で求められるものとは一体なんなんだろう?

2018-02-25 12:36:32 | この世を揺るがす
便利で人とあまり会わずに生活することも可能な世の中で

コミュニケーション能力が求められている社会の中で人に何を伝えるべきか

想いは伝わるのかなどと想うのだが

そこで現実の実社会でリアルにありのままの姿で挑むしかないわけだが人はそのような

素の顔を見せずに笑顔という仮面を着けてそのありままの姿を見られまいとして

なんとか元気を振りまこうとして他人という不特定多数に悩みの様子を隠しながら

生きていたりする。

自分が一体何を信じて何を考えてどこへ進もうとしているのかわからなくなってしまうような

ことはないだろうか?

いつもいつも素直で本当に言いたいことを言っているわけではないのではなかろうかと

そう感じることがある。

自分さえ裏切ってしまっているようなこともあるのだ。

そういう瞬間は何か引っかかったりして気持ちはあまり良くないものなのだが

そういう諸行無常な心を抱きながらそれでも生きて行こうと本能はまだ

前へ前へと進もうとしたりする。