トリプル7と景色やゆかいな仲間たち

日常生活を豊かに楽しく成長していく

僕等はあらゆる目には見えないようなもの

2018-02-26 13:18:10 | この世を揺るがす
見には見えない電磁波であったり、放射能であったり、人の想いだったり、そういう様々

な目には見えないようなものに晒され、それでもそれに対応せざるを得ない現実

社会の中で生活しなければいけません。

そういう目では見えないものに晒され続けていても対応せざるをえないのです。

今やそのような状況から避けられる世界は無くなってしまいました。

花粉やPM2.5のような微かに見えるようなものにはマスクなどで対応するしか

ありません。

空気清浄機のようなもので外気と部屋の中を分け過ぎるのはあまりよくないと

思っています。

なんせ外に出ないわけには行かないからです。

日常生活を豊に生活をしていくにはなるべく快適な生活を営みたいと思うのは

自然なことだと思います。

があまり過保護に育ててしまうと長いスパンで考えるとそれは良くないと思っています。

灯台元暗し。

よくある事で目の前のものに気づかなかったりする現象はよくある事です。

なんでそういう現象が起こるのか?

不思議ですがそういうおっちょこちょいを人はしてしまいます。

しっかりしたい!と思ってはいます。

でもそういうことに気づけなかったりします。

だからそっと気づかせて下さい。

よろしくお願いします!


閲覧数が増えると元気が出てくる可能性があります。

2018-02-26 12:52:11 | この世を揺るがす
訪問してくれる方、閲覧してくれる方たまたま立ち寄ってくれた方がほとんどだと思います。

誰も僕の書いた言葉を求めてるとはそもそも思っていません。

でもどこかで読んでくれたらどんな気持ちになるのかななどと思っているのです。

出来れば上向くような気持ちにしてもらえると嬉しいです♪

ただいつも積極的な上向きな言葉ばかりを綴っていないかとそう思っているのです。

でも心のどこかでは上向きな情報であったり、想いを届けたい!と

そう想ってはいるのです。

ただこの世は全てが上向くようなことばかりでは無い事も事実なので仕方もありません。

人は痛みやかゆみなどに弱いです。

左腕や左半身が何故か痛いです↓

花粉症などアレルギー症状が出て苦しんでいます。

鼻水はまだ垂れてません。

目が時々かゆいです。

アレルギーの薬を飲んでいます。

それが効いてくれると助かります。


近頃の子供は何かしらのアレルギー持ちの子供が多いようです。

その原因は恐らくその親世代の食の問題など環境が影響しているかと思っています。

あまりに無殺菌時代、綺麗な生活をし過ぎているのも原因だと思っています。

子供が少ない為、大切に育て過ぎるのも一つの原因かもしれません。

だからと言ってあまりにも汚い生活をするのも違うと思います。

ほど良いバランスが大事だと思っています。

適度というのがポイントだと

何事もし過ぎたりしなかったりする極論は良くないなとそう思っています。


この世はサブリミナル効果的な広告に晒され続けている。

2018-02-26 12:46:06 | この世を揺るがす
人類が様々な人種がこの世では生活しているわけだがサインという誰もが解る

サインがある。

決して難しい難解なサインなどではない。

誰もが解るサインがあるのだ。

それは時には言葉であったり、体で表現する人もいるだろう。

サインを見逃すこともあるかもしれない。

でもそれでも続けていくとある時ふとそのサインに気づいたりして嬉しくなったり

するのだ。

僕らはそういったサインを見逃さないように暮らせたらいいなーと思っている。

ネットやテレビ、ラジオ、雑誌、新聞、等々様々な広告の前に晒され続ける世界の

中でそのような一種サブリミナル的効果によってなにかインパクトを受けること

を避けられない世の中で何を受取れるか何を選択できるかが非常に大切な時代の中

で僕らは生きている。

CMであったり、ネット広告などは損得の利益追求型のものであってそういうものに

騙されてはいけない。

もっと無償の愛を感じるものに目を止めてみよう。

不良で大人になり切れない大人達・・・

2018-02-26 12:06:20 | この世を揺るがす
子供は素直でその新鮮な世の中で起こる様々な出来事に喜んだり、怒ったり、悲しんだり、

楽しんだりする。

それも仕方がない。

初めて尽くしでこの世の何もない、些細なことであっても初めて尽くしな世界がこの世で

起こっていくからだ。

そういう新鮮な気持ちを持ち続けることは大切だと思っている。

よちよちまだ歩き始めたばかりの子供達は好奇心旺盛で目の前で巻き起こる現象に

反応して素直に喜怒哀楽を表現する。

それを見て可愛らしく思ったりする。

俺もこんな時期があったんだろうなと思うと愛らしくてたまらなくなるものだ。

ぼんやりとしたその幼い頃の記憶をたどってみると俺はこの地に足を着くことに

対して恐怖のようなものを感じていたのか?

この地に足を着かないように母親から抱っこされて離れずにビビッていた。

抱っこちゃん人形だ。

あの頃、流行った抱っこちゃん人形のように母親の胸から離れずにしがみついて

離れなかったのだ。

その時期を乗り越えやっと足を地面に着くことに諦めやっと歩き始めた僕は

今度長靴に興味を抱いたようだ。

雨の日でもないの長靴を履いて外に出るのだ。

何故そんなことをしたのかは知らない。

近所の友達は靴を反対に履いていたりしていた記憶が蘇る。

反対に靴を履いたら気持ち悪いはずだがそれにも気をくれず遊びまわるのだ。

あの頃の記憶はフラッシュバックのようで時々パッと輝きを放ち記憶として

蘇ってくるのだ。

ほとんどの記憶は消えてしまっている。

人は有難いことに時間とともに忘れていくようにそう創られて頂いている。

楽しい記憶も忘れてしまいたいような記憶も時間が経過するうちにそれは幻想のように

暑くて砂漠のようで歩くみたいに記憶はぼんやりとしてそれが現実なのか

幻想なのかわからなくなるようなそんな曖昧な記憶が思い出となってわずかな

その遠い昔の記憶が時には美化されていたり、時には過剰につらい記憶に作り替えら

て記憶が思い出されたりするのだ。