先日韓国映画「力道山」を観て参りました。
韓国の実力派俳優ソル・ギョングが日本のプロレスを作り上げた
力道山を演じています。このひとは「シルミド」で御馴染みの俳優
さんですが、個性的な俳優さんで今回もプロレスラーの身体を創り
上げるために大変な増量をしたそうで、さらに日本語の特訓をして
臨んだのだそうです。たいしたもんですね。
日本人でここまで役作りをする俳優さんは最近いないですねえ。
徹底した役作りですね。アルカポネを演じるためにものすごい
増量をしたロバート・デニーロにどこか通じるものがあります。
映画の内容のほうは、朝鮮人である力道山が相撲で苦労をして
関脇まで行って廃業、プロレスを興して成功し最後にヤクザに
刺されて死亡するまでの力道山を描いています。
プロレスラーとして頂点に立つまでの、後援者との軋轢やプロ
モーターとしての内面的な葛藤を中心に焦点を置いてストーリーが
展開します。
韓国映画ですが全部日本語ですし、共演者も日本人俳優ばかり
ですので普通の日本映画を見ているのと一緒です。藤竜也や中谷
美紀、萩原聖人が競演ですが、藤竜也は好演です。当時の後援者
である新田建設のボス、新田新作がモデルだと思いますが、菅野
会長役で渋い味を出してますよ。
国技館の改修や明治座の買収で有名な人物です。あらゆる人脈にも
通じていました。力道山の道場が初め人形町にあったのも新田新作
の線でしょう。明治座は人形町の延長線上にありますから。
藤竜也は若いころより今のほうがずっと良いですね。
また実在した人物が出てきますので、それに配慮してか、プロ柔道の
木村のことを井村とか、横綱東富士のことを東波とか少し名前を
変えて登場させていますがハロルド坂田は何故か実名のままでした。
当時を知るひとにとっては懐かしい場面があり思い出すことのほうが
多かったですね。映画の中身よりも往時を思い起こす懐かしいシーン
のほうが印象に残った映画です。当時はあんな感じだったなあ、
という感じです。雰囲気は良く出ています。
なかなか良く再現してありますよ、私ももう当時の記憶はおぼろげですけど。
個人的には、力道山自身が主演した「怒涛の男・力道山物語」のほうが
印象に残っていますね。もう50年くらい前の映画です。
美空ひばりも最後のシーンで友情出演していますし、力道山をプロレス
に引っ張りこんだハワイ生まれのハロルド坂田本人や東富士も出演した
映画で、今回の映画「力道山」のように人間の内面の葛藤を描いたよう
なものではありませんが、いわゆる出世物語の自伝的映画でした。
日活だったと思うけど。子供ながらにワクワクして観たのを今でも記憶
しています。
ハロルド坂田については、映画好きのひとなら、ショーン・コネリーの
「007・ゴールド・フィンガー」に出てくる悪役オッド・ジョブを覚えて
いるでしょう。彼がハロルド坂田です。このひとはロンドンオリンピックで
重量挙げで銀メダルを取っていてその後プロレスに転向しました。
極東の米国基地用の慰問としてプロレスの興行に日本に来た際、飲み屋
だかナイトクラブだかで力道山とイザコザになりこれがもとで力道山が
プロレスをはじめるきっかけを作った人間でした。グレート東郷に合わせ
トシ東郷とも名乗りました。
映画ではプロレスの武藤敬司が演じていますが適役かも。
このへんのエピソードはまあ忠実に描かれているほうでしょう。
ハロルド坂田の縁で力道山はハワイとコネをもちプロレスの何たるやを
知り、その後本土のいろいろなプロモーターと知り合い、日本にプロレス
の基礎を作って行きますのでここは重要な役どころです。
力道山のレスラーとしてよりプロモーターとしての素養はこのころから
磨かれたものだとも言えます。当時来日していた外人レスラーには
信用が高かったようです。観客を沸かせたときは支払いがすごく良かった
のだとか。すでにビジネスとして成り立たせていたようです。
力道山はレスラーを辞めた後のことも考えていたのでしょう。リキパレス等
プロレス以外のことでも手を染め、起業家としても当時としては抜群の
センスがあったようです。アメリカで見たものを再現したかったのかも
知れません。ゴルフコースにボウリング、総合スポーツセンター等、当時
の日本はまだまだ遅れていましたから。
ともかく力道山は当時超有名人でした。ヒーローというよりも英雄って
イメージに近く庶民の憧れ的存在ってところでした。ただ当時力道山が
朝鮮出身であるということは伏せられていたようです。
一般的には長崎の大村の出身ということになっていました。ですから
世間的には日本人であり、誰も朝鮮人とは思っていなかったのではない
でしょうか。もはや英雄になった有名人に対し朝鮮人であると口にだすのは
タブーとなってしまったのでしょう。
しかし韓国ではパレードをするくらい歓迎されたこともありました。
孫娘も現地にいるはずですし血脈はまだ残っているはずです。
ただ何人かの親しい外人レスラーはそれを知っていたようでしたが、
彼らにとって力道山が帰化朝鮮人であろうとなかろうと大して重要な
ことではなかったのです。支払いのよいプロモーターである力道山で
あればそれでよかったのですから。信頼のおけるプロモーターであれば
こそわざわざ米国から足を運んで来たのでした。
東富士は亡くなったレスラー橋本真也が演じています。ただこの東富士は
相撲では横綱でしたが、プロレスは弱かった印象があります。あまり向いて
いなかったのでしょうか、力道山との間に確執があったとも言われ長続き
せずプロレス引退後はサラ金みたいなことをしていたそうです。
最後にもうひとつ。プロレスの中継をNHKがしたことがありました。
ベンとマイクのシャープ兄弟とのタッグ・マッチを生中継したのです。
昭和30年頃でしたかね。NHKがプロレスの試合を放映したなんて最初で
最後ではなかったでしょうか。今ではちょっと考えられないですね。
街頭テレビのあったころで、黒山のひとだかりがあちこちに見られた頃です。
テレビを持っている家庭がまだまだ少なく、テレビを見せてもらいに
ひとの家に行くことが珍しくない頃でした。
それから8年後の昭和38年(1963年)には御馴染みのデストロイヤー
が来日。力道山と死闘を繰り返しプロレス人気は最大のものとなり、同時に
カラー放送が始まり力道山のプロレスは隆盛を極めていきます。
リングの上での流血戦をテレビのカラーで観てショック死するひとが続出。
社会問題になりました。
しかしこの年の12月に力道山は赤坂のニューラテンクオーターでヤクザに
刺されこれが元で死亡に至ってしまうのです。この年はケネディ大統領が
暗殺された年でもありました。力道山の享年は39才だったと言われています。
このニューラテンクオーターも当時はいわく付きのキャバレーでもともとは
ヤクザっぽい外人の経営でした。オーナーによる密輸がらみの噂もあり日本
のヤクザも出入りしていたようなところでした。客として行ってるぶんには
そんなこと分からないですけど。
バブル時まではありましたが今はもう無いはずです。たしか、緋毛氈を敷いた
階段を降りて行くと、地下にある大きなキャバレーでしたね。トイレ行くと、
白い制服着たジイサンがいて、チップ置くとニコニコしながら床屋さんがやるよ
うに、着ている背広にブラシかけてサービスしてくれました。
あの近辺では一番大きなフロアーを持っていたナイトクラブじゃなかったかな。
コパカバーナと並ぶ高級ナイトクラブでした。芸能人がいっぱいいて、外国か
らの有名な歌い手もいましたね。まだまだニュージャパンとか料亭とか盛ん
だった頃ですよ。
当時来日したレスラーにはいろいろなエピソードがありますがこれはまた次回
にでも。
ともあれ、忘れていた大昔の様々なことを思い出させてくれた映画でした。
韓国の実力派俳優ソル・ギョングが日本のプロレスを作り上げた
力道山を演じています。このひとは「シルミド」で御馴染みの俳優
さんですが、個性的な俳優さんで今回もプロレスラーの身体を創り
上げるために大変な増量をしたそうで、さらに日本語の特訓をして
臨んだのだそうです。たいしたもんですね。
日本人でここまで役作りをする俳優さんは最近いないですねえ。
徹底した役作りですね。アルカポネを演じるためにものすごい
増量をしたロバート・デニーロにどこか通じるものがあります。
映画の内容のほうは、朝鮮人である力道山が相撲で苦労をして
関脇まで行って廃業、プロレスを興して成功し最後にヤクザに
刺されて死亡するまでの力道山を描いています。
プロレスラーとして頂点に立つまでの、後援者との軋轢やプロ
モーターとしての内面的な葛藤を中心に焦点を置いてストーリーが
展開します。
韓国映画ですが全部日本語ですし、共演者も日本人俳優ばかり
ですので普通の日本映画を見ているのと一緒です。藤竜也や中谷
美紀、萩原聖人が競演ですが、藤竜也は好演です。当時の後援者
である新田建設のボス、新田新作がモデルだと思いますが、菅野
会長役で渋い味を出してますよ。
国技館の改修や明治座の買収で有名な人物です。あらゆる人脈にも
通じていました。力道山の道場が初め人形町にあったのも新田新作
の線でしょう。明治座は人形町の延長線上にありますから。
藤竜也は若いころより今のほうがずっと良いですね。
また実在した人物が出てきますので、それに配慮してか、プロ柔道の
木村のことを井村とか、横綱東富士のことを東波とか少し名前を
変えて登場させていますがハロルド坂田は何故か実名のままでした。
当時を知るひとにとっては懐かしい場面があり思い出すことのほうが
多かったですね。映画の中身よりも往時を思い起こす懐かしいシーン
のほうが印象に残った映画です。当時はあんな感じだったなあ、
という感じです。雰囲気は良く出ています。
なかなか良く再現してありますよ、私ももう当時の記憶はおぼろげですけど。
個人的には、力道山自身が主演した「怒涛の男・力道山物語」のほうが
印象に残っていますね。もう50年くらい前の映画です。
美空ひばりも最後のシーンで友情出演していますし、力道山をプロレス
に引っ張りこんだハワイ生まれのハロルド坂田本人や東富士も出演した
映画で、今回の映画「力道山」のように人間の内面の葛藤を描いたよう
なものではありませんが、いわゆる出世物語の自伝的映画でした。
日活だったと思うけど。子供ながらにワクワクして観たのを今でも記憶
しています。
ハロルド坂田については、映画好きのひとなら、ショーン・コネリーの
「007・ゴールド・フィンガー」に出てくる悪役オッド・ジョブを覚えて
いるでしょう。彼がハロルド坂田です。このひとはロンドンオリンピックで
重量挙げで銀メダルを取っていてその後プロレスに転向しました。
極東の米国基地用の慰問としてプロレスの興行に日本に来た際、飲み屋
だかナイトクラブだかで力道山とイザコザになりこれがもとで力道山が
プロレスをはじめるきっかけを作った人間でした。グレート東郷に合わせ
トシ東郷とも名乗りました。
映画ではプロレスの武藤敬司が演じていますが適役かも。
このへんのエピソードはまあ忠実に描かれているほうでしょう。
ハロルド坂田の縁で力道山はハワイとコネをもちプロレスの何たるやを
知り、その後本土のいろいろなプロモーターと知り合い、日本にプロレス
の基礎を作って行きますのでここは重要な役どころです。
力道山のレスラーとしてよりプロモーターとしての素養はこのころから
磨かれたものだとも言えます。当時来日していた外人レスラーには
信用が高かったようです。観客を沸かせたときは支払いがすごく良かった
のだとか。すでにビジネスとして成り立たせていたようです。
力道山はレスラーを辞めた後のことも考えていたのでしょう。リキパレス等
プロレス以外のことでも手を染め、起業家としても当時としては抜群の
センスがあったようです。アメリカで見たものを再現したかったのかも
知れません。ゴルフコースにボウリング、総合スポーツセンター等、当時
の日本はまだまだ遅れていましたから。
ともかく力道山は当時超有名人でした。ヒーローというよりも英雄って
イメージに近く庶民の憧れ的存在ってところでした。ただ当時力道山が
朝鮮出身であるということは伏せられていたようです。
一般的には長崎の大村の出身ということになっていました。ですから
世間的には日本人であり、誰も朝鮮人とは思っていなかったのではない
でしょうか。もはや英雄になった有名人に対し朝鮮人であると口にだすのは
タブーとなってしまったのでしょう。
しかし韓国ではパレードをするくらい歓迎されたこともありました。
孫娘も現地にいるはずですし血脈はまだ残っているはずです。
ただ何人かの親しい外人レスラーはそれを知っていたようでしたが、
彼らにとって力道山が帰化朝鮮人であろうとなかろうと大して重要な
ことではなかったのです。支払いのよいプロモーターである力道山で
あればそれでよかったのですから。信頼のおけるプロモーターであれば
こそわざわざ米国から足を運んで来たのでした。
東富士は亡くなったレスラー橋本真也が演じています。ただこの東富士は
相撲では横綱でしたが、プロレスは弱かった印象があります。あまり向いて
いなかったのでしょうか、力道山との間に確執があったとも言われ長続き
せずプロレス引退後はサラ金みたいなことをしていたそうです。
最後にもうひとつ。プロレスの中継をNHKがしたことがありました。
ベンとマイクのシャープ兄弟とのタッグ・マッチを生中継したのです。
昭和30年頃でしたかね。NHKがプロレスの試合を放映したなんて最初で
最後ではなかったでしょうか。今ではちょっと考えられないですね。
街頭テレビのあったころで、黒山のひとだかりがあちこちに見られた頃です。
テレビを持っている家庭がまだまだ少なく、テレビを見せてもらいに
ひとの家に行くことが珍しくない頃でした。
それから8年後の昭和38年(1963年)には御馴染みのデストロイヤー
が来日。力道山と死闘を繰り返しプロレス人気は最大のものとなり、同時に
カラー放送が始まり力道山のプロレスは隆盛を極めていきます。
リングの上での流血戦をテレビのカラーで観てショック死するひとが続出。
社会問題になりました。
しかしこの年の12月に力道山は赤坂のニューラテンクオーターでヤクザに
刺されこれが元で死亡に至ってしまうのです。この年はケネディ大統領が
暗殺された年でもありました。力道山の享年は39才だったと言われています。
このニューラテンクオーターも当時はいわく付きのキャバレーでもともとは
ヤクザっぽい外人の経営でした。オーナーによる密輸がらみの噂もあり日本
のヤクザも出入りしていたようなところでした。客として行ってるぶんには
そんなこと分からないですけど。
バブル時まではありましたが今はもう無いはずです。たしか、緋毛氈を敷いた
階段を降りて行くと、地下にある大きなキャバレーでしたね。トイレ行くと、
白い制服着たジイサンがいて、チップ置くとニコニコしながら床屋さんがやるよ
うに、着ている背広にブラシかけてサービスしてくれました。
あの近辺では一番大きなフロアーを持っていたナイトクラブじゃなかったかな。
コパカバーナと並ぶ高級ナイトクラブでした。芸能人がいっぱいいて、外国か
らの有名な歌い手もいましたね。まだまだニュージャパンとか料亭とか盛ん
だった頃ですよ。
当時来日したレスラーにはいろいろなエピソードがありますがこれはまた次回
にでも。
ともあれ、忘れていた大昔の様々なことを思い出させてくれた映画でした。
とても長文なので、ゆっくり楽しませていただきました。また時々遊びに来て読ませてくださいませ。
ところで、昔ショーン・コネリーの007、ジェームズ・ボンドで黒いつばに仕掛けのある帽子を飛ばして、庭の彫刻の首を落とした俳優は、ハロルド・坂田さんといったような気がしますが、同一人物でしょうかねえ?
ご丁寧なコメント有難うございました。
稚拙な文章を読んでいただき大変嬉しく思って
おります。
この映画には私の友人がミュージシャンの役で
出ており随分前から、ちょこっと映っているので
見て下さい、とも言われていたのですが、なかなか
封切りせず今回やっと見ることが出来ました。
さて、お尋ねのハロルド坂田のことですが、
おっしゃるとおりの007の映画に出ています。
まさしく同一人物で、そのあと8年後に日本に
プロレスラーとして来た際、色紙には名前に添えて
007 ODDJOB(役名)と添え書きしていますので
本人もこの役を気に入っていたと思われます。
(但し私はこの色紙は持っていません。)
それでは御免ください。
それから申し訳ありません。
再度じっくり読ませていただいていましたら、ハロルド坂田さんのボンドのお話は書いてございましたね。
急いでスクロールしつつ読んだものですから、行を飛ばしたしまったみたいで、その上変な質問まで差し上げてすみません。
また時々はお邪魔してみます。
ご丁寧な回答をありがとうございました。
と思っていたんですがハロルド坂田という人の役なんですね。
アメリカで見たものを再現したかったというのもなんかナットクです。
映画でも力道山はとても商売っけありましたもんね。
ヒーローというより、ビジネスマンって感じでした。
病院のシーンでも、未来の構想練ってますし・・・
すいません。お返事頂いたのに見落としていました。
ハロルド坂田の続編追加しておきましたので、お暇な時
にでも見て下さい。
それでは。
初めまして。コメント有難うございます。
ハロルド坂田より武藤のほうがずっと
カッコ良いですよ。大きいし。
続編を書いておきました。お時間があったら
見て下さいませ。
それでは、御免ください。