3.【 幼すぎたねと笑えるだろうか 】 (マリア)
私が初めて、あの人に連れられてこの街に降り立ったのは、十二歳の春だった。
あれから、七回目の秋。
三年前、この街を出た時はまだ十五歳だった私ももう、十八。数えでいうなら、十九歳になる。
だから少しは、大人になれたと思っていた。
公園に続く銀杏の並木道。
昔よく、走って駆け抜けていたその道の木の根元に座って、空を見上げる。
銀杏の黄色と空の青が、とてつもなく優しく感じられるのはきっと、ノスタラ…、ノシタル…、ええっと、ああ、そうだ。ノスタルジアとか言うやつのせいだ。
種の崩壊が始まって四日目。博士が大量に持たせてくれた痛み止め用の飴は、さすがによく出来ていて、即効性もあるのだけど、それでも瞬時に治るというわけではない。
数時間置きに襲ってくる尋常じゃない痛みに、悶える様を出来れば誰にも見られたくなくて、つい、ラビにも黙って、外に出てきてしまった。
まぁ、モジャモジャが渡してくれた小型の通信機が、発信機にもなっているらしいから、万が一のことがあっても、すぐに居所は分かるだろうし、いいとする。それに、日が高いうちはさすがに彼も、何らかの行動に出ることはないはずだ。
口の中に小さくなって残っていた飴を噛んで飲み込む。痛みはもうとっくに引いているから、問題ない。次は五時間後くらいだろうか。もしかしたら、三時間後くらいかもしれない。
ゆっくりと立ち上がって、服についた落ち葉や泥を手で簡単に払う。
一瞬、やめようかな。とも思ったけど、折角思い立ったんだし。と考え直して、公園へと足を向けた。
もう二度と戻らないと決めていたけれど、こうして戻ってしまったからには開き直って、せめて場所だけでも、もう一度見ておきたい所は出来るだけ見ておこう。昨日の夜、ゲジゲジ達の所にモジャモジャと一緒に行った時、それくらいは自分に許そうと思った。多分、帰り際、ゲジゲジの言ってくれた『おかえり』が結構利いているのだと思う。
そのひとつが公園。
子供の頃、毎日のように友達と、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んだ場所。つい、遊びに夢中になり過ぎて門限の時間を忘れて、あの人に怒られたこともあった。
ヒューイやケンちゃん、ハナちゃん達は元気だろうか。今も、みんなで遊んだりすることはあるのだろうか。
そんなことを考えながら、ふと目に入った、車一台ギリギリ入れるくらいの狭い路地を見て、こっちのほうが近道だったっけと思い出す。一応、責任のある立場だし、時限爆弾を抱えた身ではやはり何事も早く済ませるほうがいいだろうと、路地に入った。
それが、間違いの元だったかもしれない。
路地に入って数歩も行かないうちに、妙な気配に気がついた。背後からこちらを窺うような、やけに気配を押し殺した人の気配。四、五人と言ったところだろうか。
ざわざわと胸が騒ぐ。これはあんまりいい兆候とは言えない。路地を奥に入れば入るほど、押し殺されていた気配に殺気が混じってくる。
―――おかしい。彼に仲間なんているはずがない。
嫌な予感が突き上げる。同時に、私を窺う連中から滲み出る殺気に、種子の本能なのか、血が騒ぐ。
念のために、腰の鞄から飴玉を取り出して口に含む。これで、万が一のことがあっても、動けないなんて情けないことにはならないだろう。
背後で、完全に溢れ出した殺気に、路地の中央で足を止めた。この殺気は、単なる物取りとかそんなんじゃない。明らかに、私が誰かを知った上でのものだ。
意を決めて振り返ろうとした時、その連中の後ろから、殺気とは全く違う、二つの気配を感じ取った。恐らく、ただの通行人だろう。こんなときに間の悪い。
思わず、チッと舌打ちしかけて、ゆっくりと近づいてきたその気配に、一瞬にして、舌が凍りついた。舌だけじゃない。すべての筋肉、器官が、瞬時に凍りつく。
―――あぁ、これは。この懐かしい気配は。
神の種子である私が、この世で唯一絶対に取り間違うことのない、ただ一人の人。
大好きだからこそ、この三年間、必死になって消去しようとした、私の―――神〈マスター〉。
会うわけにはいかなかったのに。まだ、知られるわけにはいかないのに。
油断していた。完璧に。
ここが、港から遠いことに。
今が朝早い時間だということに。
まだ船で、寝ているはずだから大丈夫だと、愚かにも本気で思っていた。
振り返った先で、連中の背後にいる金髪がこちらを見て、眠たげな瞳を一気に見開いた。
その隣に寄り添うようにして立つ赤毛の女性もまた、驚きに小さく開いた赤い唇を手で覆った。
―――ああ。
ああ。
本当になんて愚かなのだろう、私は。
あれから三年。
少しは大人になったと思っていたのに。
どこまでも愚かで子供の私は、二人の姿に息をすることすら忘れてしまった。
痛み止めを舐めているはずの、心臓が痛い。
変わらないものなんか何一つないことくらい、知っていたはずなのに。
心のどこかで、いつまでも変わらないと信じていた愚かな自分と、確かに変わっていた二人の関係に目を瞑る。
それでも、三年振りの金の瞳は瞼の裏に焼きついて、鮮やかな想いを掻き立てたけれど。
(NEXT⇒曖昧なディスタンス)
私が初めて、あの人に連れられてこの街に降り立ったのは、十二歳の春だった。
あれから、七回目の秋。
三年前、この街を出た時はまだ十五歳だった私ももう、十八。数えでいうなら、十九歳になる。
だから少しは、大人になれたと思っていた。
公園に続く銀杏の並木道。
昔よく、走って駆け抜けていたその道の木の根元に座って、空を見上げる。
銀杏の黄色と空の青が、とてつもなく優しく感じられるのはきっと、ノスタラ…、ノシタル…、ええっと、ああ、そうだ。ノスタルジアとか言うやつのせいだ。
種の崩壊が始まって四日目。博士が大量に持たせてくれた痛み止め用の飴は、さすがによく出来ていて、即効性もあるのだけど、それでも瞬時に治るというわけではない。
数時間置きに襲ってくる尋常じゃない痛みに、悶える様を出来れば誰にも見られたくなくて、つい、ラビにも黙って、外に出てきてしまった。
まぁ、モジャモジャが渡してくれた小型の通信機が、発信機にもなっているらしいから、万が一のことがあっても、すぐに居所は分かるだろうし、いいとする。それに、日が高いうちはさすがに彼も、何らかの行動に出ることはないはずだ。
口の中に小さくなって残っていた飴を噛んで飲み込む。痛みはもうとっくに引いているから、問題ない。次は五時間後くらいだろうか。もしかしたら、三時間後くらいかもしれない。
ゆっくりと立ち上がって、服についた落ち葉や泥を手で簡単に払う。
一瞬、やめようかな。とも思ったけど、折角思い立ったんだし。と考え直して、公園へと足を向けた。
もう二度と戻らないと決めていたけれど、こうして戻ってしまったからには開き直って、せめて場所だけでも、もう一度見ておきたい所は出来るだけ見ておこう。昨日の夜、ゲジゲジ達の所にモジャモジャと一緒に行った時、それくらいは自分に許そうと思った。多分、帰り際、ゲジゲジの言ってくれた『おかえり』が結構利いているのだと思う。
そのひとつが公園。
子供の頃、毎日のように友達と、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んだ場所。つい、遊びに夢中になり過ぎて門限の時間を忘れて、あの人に怒られたこともあった。
ヒューイやケンちゃん、ハナちゃん達は元気だろうか。今も、みんなで遊んだりすることはあるのだろうか。
そんなことを考えながら、ふと目に入った、車一台ギリギリ入れるくらいの狭い路地を見て、こっちのほうが近道だったっけと思い出す。一応、責任のある立場だし、時限爆弾を抱えた身ではやはり何事も早く済ませるほうがいいだろうと、路地に入った。
それが、間違いの元だったかもしれない。
路地に入って数歩も行かないうちに、妙な気配に気がついた。背後からこちらを窺うような、やけに気配を押し殺した人の気配。四、五人と言ったところだろうか。
ざわざわと胸が騒ぐ。これはあんまりいい兆候とは言えない。路地を奥に入れば入るほど、押し殺されていた気配に殺気が混じってくる。
―――おかしい。彼に仲間なんているはずがない。
嫌な予感が突き上げる。同時に、私を窺う連中から滲み出る殺気に、種子の本能なのか、血が騒ぐ。
念のために、腰の鞄から飴玉を取り出して口に含む。これで、万が一のことがあっても、動けないなんて情けないことにはならないだろう。
背後で、完全に溢れ出した殺気に、路地の中央で足を止めた。この殺気は、単なる物取りとかそんなんじゃない。明らかに、私が誰かを知った上でのものだ。
意を決めて振り返ろうとした時、その連中の後ろから、殺気とは全く違う、二つの気配を感じ取った。恐らく、ただの通行人だろう。こんなときに間の悪い。
思わず、チッと舌打ちしかけて、ゆっくりと近づいてきたその気配に、一瞬にして、舌が凍りついた。舌だけじゃない。すべての筋肉、器官が、瞬時に凍りつく。
―――あぁ、これは。この懐かしい気配は。
神の種子である私が、この世で唯一絶対に取り間違うことのない、ただ一人の人。
大好きだからこそ、この三年間、必死になって消去しようとした、私の―――神〈マスター〉。
会うわけにはいかなかったのに。まだ、知られるわけにはいかないのに。
油断していた。完璧に。
ここが、港から遠いことに。
今が朝早い時間だということに。
まだ船で、寝ているはずだから大丈夫だと、愚かにも本気で思っていた。
振り返った先で、連中の背後にいる金髪がこちらを見て、眠たげな瞳を一気に見開いた。
その隣に寄り添うようにして立つ赤毛の女性もまた、驚きに小さく開いた赤い唇を手で覆った。
―――ああ。
ああ。
本当になんて愚かなのだろう、私は。
あれから三年。
少しは大人になったと思っていたのに。
どこまでも愚かで子供の私は、二人の姿に息をすることすら忘れてしまった。
痛み止めを舐めているはずの、心臓が痛い。
変わらないものなんか何一つないことくらい、知っていたはずなのに。
心のどこかで、いつまでも変わらないと信じていた愚かな自分と、確かに変わっていた二人の関係に目を瞑る。
それでも、三年振りの金の瞳は瞼の裏に焼きついて、鮮やかな想いを掻き立てたけれど。
(NEXT⇒曖昧なディスタンス)