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硝子のスプーン

そこにありました。

「LIKE A FAIRY TALE」 3

2012-06-19 16:19:01 | 小説「Garuda」御伽噺編
3.【 幼すぎたねと笑えるだろうか 】   (マリア)


 私が初めて、あの人に連れられてこの街に降り立ったのは、十二歳の春だった。
 あれから、七回目の秋。
 三年前、この街を出た時はまだ十五歳だった私ももう、十八。数えでいうなら、十九歳になる。
 だから少しは、大人になれたと思っていた。


 公園に続く銀杏の並木道。
 昔よく、走って駆け抜けていたその道の木の根元に座って、空を見上げる。
 銀杏の黄色と空の青が、とてつもなく優しく感じられるのはきっと、ノスタラ…、ノシタル…、ええっと、ああ、そうだ。ノスタルジアとか言うやつのせいだ。

 種の崩壊が始まって四日目。博士が大量に持たせてくれた痛み止め用の飴は、さすがによく出来ていて、即効性もあるのだけど、それでも瞬時に治るというわけではない。
 数時間置きに襲ってくる尋常じゃない痛みに、悶える様を出来れば誰にも見られたくなくて、つい、ラビにも黙って、外に出てきてしまった。
 まぁ、モジャモジャが渡してくれた小型の通信機が、発信機にもなっているらしいから、万が一のことがあっても、すぐに居所は分かるだろうし、いいとする。それに、日が高いうちはさすがに彼も、何らかの行動に出ることはないはずだ。

 口の中に小さくなって残っていた飴を噛んで飲み込む。痛みはもうとっくに引いているから、問題ない。次は五時間後くらいだろうか。もしかしたら、三時間後くらいかもしれない。
 ゆっくりと立ち上がって、服についた落ち葉や泥を手で簡単に払う。
 一瞬、やめようかな。とも思ったけど、折角思い立ったんだし。と考え直して、公園へと足を向けた。
 
 もう二度と戻らないと決めていたけれど、こうして戻ってしまったからには開き直って、せめて場所だけでも、もう一度見ておきたい所は出来るだけ見ておこう。昨日の夜、ゲジゲジ達の所にモジャモジャと一緒に行った時、それくらいは自分に許そうと思った。多分、帰り際、ゲジゲジの言ってくれた『おかえり』が結構利いているのだと思う。
 そのひとつが公園。
 子供の頃、毎日のように友達と、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んだ場所。つい、遊びに夢中になり過ぎて門限の時間を忘れて、あの人に怒られたこともあった。
 ヒューイやケンちゃん、ハナちゃん達は元気だろうか。今も、みんなで遊んだりすることはあるのだろうか。
 そんなことを考えながら、ふと目に入った、車一台ギリギリ入れるくらいの狭い路地を見て、こっちのほうが近道だったっけと思い出す。一応、責任のある立場だし、時限爆弾を抱えた身ではやはり何事も早く済ませるほうがいいだろうと、路地に入った。

 それが、間違いの元だったかもしれない。


 路地に入って数歩も行かないうちに、妙な気配に気がついた。背後からこちらを窺うような、やけに気配を押し殺した人の気配。四、五人と言ったところだろうか。
 ざわざわと胸が騒ぐ。これはあんまりいい兆候とは言えない。路地を奥に入れば入るほど、押し殺されていた気配に殺気が混じってくる。

 ―――おかしい。彼に仲間なんているはずがない。

 嫌な予感が突き上げる。同時に、私を窺う連中から滲み出る殺気に、種子の本能なのか、血が騒ぐ。
 念のために、腰の鞄から飴玉を取り出して口に含む。これで、万が一のことがあっても、動けないなんて情けないことにはならないだろう。
 背後で、完全に溢れ出した殺気に、路地の中央で足を止めた。この殺気は、単なる物取りとかそんなんじゃない。明らかに、私が誰かを知った上でのものだ。
 意を決めて振り返ろうとした時、その連中の後ろから、殺気とは全く違う、二つの気配を感じ取った。恐らく、ただの通行人だろう。こんなときに間の悪い。
 思わず、チッと舌打ちしかけて、ゆっくりと近づいてきたその気配に、一瞬にして、舌が凍りついた。舌だけじゃない。すべての筋肉、器官が、瞬時に凍りつく。


 ―――あぁ、これは。この懐かしい気配は。


 神の種子である私が、この世で唯一絶対に取り間違うことのない、ただ一人の人。
 大好きだからこそ、この三年間、必死になって消去しようとした、私の―――神〈マスター〉。

 会うわけにはいかなかったのに。まだ、知られるわけにはいかないのに。
 
 油断していた。完璧に。
 ここが、港から遠いことに。
 今が朝早い時間だということに。
 まだ船で、寝ているはずだから大丈夫だと、愚かにも本気で思っていた。

 振り返った先で、連中の背後にいる金髪がこちらを見て、眠たげな瞳を一気に見開いた。
 その隣に寄り添うようにして立つ赤毛の女性もまた、驚きに小さく開いた赤い唇を手で覆った。




 ―――ああ。



 ああ。
 本当になんて愚かなのだろう、私は。
 あれから三年。
 少しは大人になったと思っていたのに。
 どこまでも愚かで子供の私は、二人の姿に息をすることすら忘れてしまった。
 痛み止めを舐めているはずの、心臓が痛い。
 変わらないものなんか何一つないことくらい、知っていたはずなのに。
 心のどこかで、いつまでも変わらないと信じていた愚かな自分と、確かに変わっていた二人の関係に目を瞑る。


 それでも、三年振りの金の瞳は瞼の裏に焼きついて、鮮やかな想いを掻き立てたけれど。






(NEXT⇒曖昧なディスタンス

「LIKE A FAIRY TALE」 2

2012-06-19 16:18:05 | 小説「Garuda」御伽噺編
2.【 ありふれた言葉でしか飾れない 】   (バルバ)


「変わらないナ、ゲジ眉」
 そう言って、目の前の少女は笑った。
 いや、もう少女とは呼べないかもしれない。
 俺の記憶にある彼女は、もっと子供子供していた、と思う。と思う、というのは、思わずそんな己の記憶を疑ってしまうほど、目の前の少女が大人びた外見になっているからだ。
 正直に言うと、ほんのちょびっとドキっとした。イヤ、ほんと、ちょびっとだけだよ? イヤイヤ、ほんと。俺、アンナ一筋だし。うん。
「で? お偉い大統領閣下サマとその第一級特別国賓サマが、こんな夜分に、機動隊基地なんざに一体何の御用で?」
 横でシューインがいかにも不機嫌ですと言わんばかりの顔で、彼女の隣の席に座りニコニコと笑う大統領を見る。
 おいおい、シューイン君よぉ。こんなモジャモジャ頭でもこの人一応、大統領なんだからさぁ。と、いう気持ちを込めて、肘で小突いたら、フイッと顔を逸らされた。全くしょうがねぇんだからなぁ、もう。
「申し訳ありません、閣下。こいつちょっと…」
「シューちゃんも。相変わらず、ヤニ臭いネ」
 俺の言葉(優しい上司のフォローとも言う)に被せるように、そう言うが早いが、マリアちゃんが、いきなりさんぱち立ち上がって、シューインにぐいっと顔を近づけた。
 年頃の娘さんから突然、超至近距離でマジマジと見つめられては、さすがのシューインも、咄嗟には言葉が浮かばないらしい。珍しく、少し戸惑ったような表情を浮かべて、首を、というか上半身を後方に仰け反らせる。
 立ったまま後ろに倒れそうなほど仰け反るシューインの無理な体勢を気にかける様子は全くなく、マリアちゃんが、至近距離でその顔を覗き込んだまま、ニッと笑ってみせた。その顔に、以前と変わらない彼女を見て、意味はないが何となく、ほっとした。
「シューちゃん、眉間の皺の数増えたネ。もう老化現象カ?」
「あァ?」
 更にググッと眉間に皺を寄せたシューインを尻目に、大統領が彼女の言葉に賛同するように、激しく頷く。
「やっぱし? マリアちゃんもそげん思う? もー、シューちゃんってば、いっつも眉間に皺ば寄せてばっかおるとよ。本気で、眉間の皺寄せ禁止条例でも出そうかと思いよるとたい」
「だめヨ、モジャモジャ。眉間の皺取ったら、それはもうシューちゃんじゃないネ。眉間の皺こそが、シューちゃんのアルデンテヨ」
「オレは、パスタか。アイデンティティだろ、アイデンティティ。てか、んなもん、アイデンティティでも何でもねェよ」
 仏頂面でシューインが、未だ至近距離にいるマリアちゃんの肩をそっと手で押しやり、少し距離を取らせる。なんだか、三年前にタイムスリップしたような妙な気分だ。シューインのこの仏頂面も久しぶりに見た。
「で? いつ戻ったんだ? 帰郷の挨拶に来んなら、深夜じゃなくて、朝か昼にしてくれ」
「そんな時間はないネ」
 懐から煙草を取り出し、口に咥えながら言ったシューインに、マリアちゃんが間髪入れず、キッパリした口調で返した。「あァ?」とまた、シューインが眉間の皺を増やす。
 マリアちゃんは、そこでひとつ息を吸うように小さく間を置くと、俺とシューイン二人に向き直って、ゆっくりと、けれどしっかりとした口調で、口を開いた。
「ゼイオンを、覚えてるカ?」
 その名前に、横にいるシューインの気配が一気に変わったのが分かった。シューインだけじゃない。俺も、その名前に思わず、ヒュっと息を飲み込んだ。

 忘れたくとも、忘れられるわけがない。

 ゼイオン・クルーガー。
 自らを破壊神と称し、三年前、マリアちゃんの力を利用して、『審判』を引き起こそうとした第二の種子。
 結局、マリアちゃん自身の犠牲で、それを阻止することが出来たのだが、その狂気に満ちた野望のために、どれだけの犠牲が払われたか。第三機動隊の隊員も半数が殉職した。
 瞬時に硬くなったその場の空気を、いつものように豪快な笑いで吹き飛ばすことなく、大統領が、冷気を孕んだ静かな目を俺たちに向けた。
「アトレイユの研究所が何者かによって襲撃され、アデル博士が殺害された。目撃者の証言によれば、下手人は、ゼイオン・クルーガーに間違いなからしい。そんで更に悪かことに、奴は、こんリムシティに潜伏しとる可能性があるらしい」
「な」
 目を見開き、言葉を詰まらせたシューインより一歩前に出て、真っ直ぐ大統領と対峙する。
「どういうことですか? 奴はあの時、確かに死んだはずです。閣下も、その目でご覧になったはずですが」
 確かに遺体の確認は出来なかった。だが、確かに見たのだ。完全包囲の中、業火の中に倒れた奴の影を。いくら種子でも、三日三晩燃え続けたあの炎に焼かれて、生きているはずなどない。
「ああ。そうやと思っとったんやけどな…」
 俺の憤りに満ちた疑念の声に、大統領は僅かに目を伏せ、マリアちゃんが、一瞬、何かを耐えるような、渋い顔をした。
 その顔を見て、その時初めて、はっとした。
 何故、マリアちゃんが突然アトレイユから戻って、大統領と一緒に、こんな時間にここを訪ねてきたか。奴が生きているのだとしたら、生きてまた何かを企んでいるのだとしたら、思いつく事柄は、ひとつしかない。
 俄かに気色ばんだ俺に気づき、マリアちゃんが宥めるように、「落ち着くヨ、ゲジゲジ」と顔を向ける。
「三年前のことで、私を利用出来ないってことは、ゼイオンだって分かってるはずヨ。それに、もし仮にそれが目的だとしたら、何よりまず私を狙うはずネ。なのに、そうしなかったってことはつまり、目的は『審判』じゃなくて、違う他のものヨ」
「他のもの?」
「そう、他のもの」
 鸚鵡返しに聞き返した俺の質問を更に鸚鵡返しして、マリアちゃんが、微かに瞼を震わせた。けれど、それは本当に一瞬で、次の瞬間にはもう、真っ直ぐこちらを見据えていた。
 その開いた瞳に、諦めのような妙な潔さが映っている気がして。
 彼女がするには、あまりにもかけ離れたその瞳に、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。

 かつて同じ瞳をした人間を、俺は見たことがある。
 それは何か、生きていく上でとても大切で、そして決定的なものを捨てた瞳だ。例えばそれは、家族だったり、平凡な日常だったり、あるいは「生」そのものだったりする。
 でも彼女は、少なくとも俺が知っている彼女は、その綺麗な金色の瞳の中に、そんなものを背負ってはいなかった。
 いつだって、ガルーダの連中と心底楽しそうに、彼女が誰より慕うあの男の横で幸福そうに笑っていた。三年前の彼女は、確かにこんな瞳とは対極な瞳をしていたはずだった。
 そこまで考えて、シューインじゃないが、眉間に皺を寄せる。
 彼女がリムシティを去って三年。三年という月日を短いとするか、長いとするかは、個人の主観でそれぞれ違うだろうか、時間はきっかり三年分、流れているのだ。
 その中で、彼女は何か、窺い知れないほど重いものを背負ってきたのかもしれない。その身に架せられた種子という重い鎖だけではなく……。

「これ以上は、まだ話せないネ。ただ、第三機動隊はリムシティの守護頭みたいなものだから、とりあえず、先に筋を通しにきたのヨ」
「筋?」
 しゃんと背筋を伸ばし、毅然とした面持ちで、そう言い切ったマリアちゃんの言葉に、シューインが、怪訝そうに目を狭める。それを受け、大統領が説明するように口を開く。
「あぁ、いずれ正式な書面で通達するばってん、この件が片付くまで、リムシティ全域に厳重警戒措置が敷かれる。マリアちゃんには暫く、おいの元で、対種子に関する作戦の指揮官として動いてもらうけん。そんために必要あらば、彼女には軍事長官と同等の権利が与えられることになっとる。早い話、こん国の将軍から一兵卒まで全員、マリアちゃんの指揮下になるってことたい。無論、最終決定権は、おいにあるばってんが」
「ってことは、第三機動隊も…?」
「そういうことや」
 確認するように投げた言葉に、大統領が顎をさすりながら頷き、その隣で、マリアちゃんが少し肩を竦めてみせる。
「心配しなくても、もしもの時の保険みたいなものヨ。ゼイオンはともかく、事実今、この街に種子が二人いるしナ。保険は、大きければ大きいほど安心ネ」
「二人? ってことは、もう一人のヤツも来てるのか?」
 少し驚いたように声をあげたシューインに、マリアちゃんがこくりと頷く。
「うん。私と一緒にきたネ。そのうち、ゲジゲジ達にも紹介するヨ」
 そう言って、ふっと小さく微笑む。俺の知っているマリアちゃんから想像もつかない、静かな微笑。そのまま大統領を促し、ゆっくり立ち上がる。
「とにかく、この街も、この街の人も、私が絶対守ってみせる。第三機動隊の力を借りようなんて思ってないネ。だけど一応、警戒だけはしておいて欲しいヨ。今日はそれを言いに来たネ」
 話を締めくくるように、きっぱりとした声でそう言って、マリアちゃんが背を向け、出口に向かう。
 その後姿に、考えるより先に、声が出た。
「俺達第三機動隊は、この街に住む人とこの街を愛する人達全員を守るためにある。そのためになら、俺達はどんな協力でも厭わないし、司令官が誰であろうと、その命令に尽力しよう」
 横でシューインが、小さく溜息をつくのが分かる。それを感じながら、がははと笑った。
 いつだって、こうした俺の勝手な発言による決定を溜息ひとつで許してくれるシューインに、感謝しながら。
「それから、マリアちゃん。ちょっと言うのが遅くなったけど」
 そして、少しだけ驚いた顔で振り返って、こっちを見るマリアちゃんの顔を真っ直ぐ見て、出来るだけ、力強く聞こえるように告げた。
「おかえり」

 その言葉に、マリアちゃんが見せた笑顔は、昔の面影に似ていて――――――。


 マリアちゃんの言う“他のもの”とは何なのか、とか。
 アデル博士は何故、殺されなきゃならなかったのか、とか。
 そもそも、ゼイオンは本当に生きているのか、とか。
 気になることは、沢山あったけども、それらは、恐らく事情をすべて把握しているのだろう大統領に任せておくことにして。
 俺は、これから始まる、守るべきものを守るための戦いの日々に、ぐっと拳を握り締めた。





(NEXT⇒幼すぎたねと笑えるだろうか)

「LIKE A FAIRY TALE」 1

2012-06-19 16:16:32 | 小説「Garuda」御伽噺編
1.【 馬鹿みたいに繰り返した好き 】   (マリア)


 つまりは、自分が甘かったのだ。
 真綿のような優しさの中で守られすぎて、いつのまにか、甘い夢を現実と錯覚してしまった。
 その優しささえ奇跡だったのに、それすら忘れて、一人、夢の中の住人であろうとした。
 だから、これはきっと、その罰だろう。

 握り締めた拳をじわじわと広げる。途端に、ズクンと胸部から腹部にかけて走った痛みに、体を丸めてぎゅっと目を瞑った。額に滲んだ嫌な汗で、髪がべっとりと張り付いて気持ち悪い。
 種の崩壊が始まって三日目。時間の経過に従って、痛みはどんどんひどくなっている。
 自分の意思とは関係なく、小刻みに震える手を叱責しながら、ベルトにつけた小さな鞄の中から、飴玉を取り出して、何とか口に入れる。正直とても苦くて、お世辞にもいい味とは言えないけれど、今は、クロイス博士が持たせてくれたこの舐め薬だけが頼り。情けない話だけど、これがないと意識を保っていられないかもしれない。
 痛かろうが苦かろうが、私には意識が必要だ。
 ゆっくりと飴を舌で転がして、少しずつ成分を体内に送る。
 そうしているうちに、徐々に、早かった動悸が治まってきて、ぎちぎちに強張っていた筋肉がほんの少し緩和するのが分かった。
 そうして呼吸が楽になってくると、今度はひとつの考えに、頭が集中していく。三日の間、ずっとこれの繰り返し。いくら考えても仕方ないと分かっているのに、そのことばかり繰り返し考えてしまう自分がいる。
 分かってる。いくら責めても、責めたりないのだ。
 この結末を招いた自分の甘さを。


 アトレイユの研究施設で、アデル博士の遺体が発見されたのは、四日前のこと。そして、その夜、まるでその時を待っていたかのように、私の中の種は壊れた。
 度重なる再組成実験や投薬で、元より、限界が近かったのだと思う。ギリギリのところでずっとそれを回避出来ていたのは、偏にアデル博士の開発した保護薬のおかげだ。一見、矛盾して見えるかもしれないけど、その薬で体内の種をプロテクトした状態で、根本から種を排除すべく、私達は日々、あらゆる実験や投薬を繰り返してきた。それが、生き残るための唯一の策だった。
 けれど、その薬が、アデル博士の命と共にすべて消えてしまった。今、アデル博士の弟子に当たるクロイス博士が製造しているものが、完成するまでには、どんなに急いでも一ヶ月はかかるだろう。種の崩壊は早く、そんなには待ってくれない。
 私に残された道は二つ。
 すべてを諦めるか、彼が指し示した道をゆくか。


『絶対に何とかするから、私を信じて、どうか、無茶だけはしないでほしい』

 静かに息を吐き出し、額に張り付いた髪を拭いながら、出発の朝、クロイス博士とした約束を思い出す。博士を信じていないわけではないけれど―――。
「マリア、もうすぐ着くって」
 声と共にコックピットから戻ってきたラビへと、少し顔を向けた途端、ラビが一気に眉間の皴を深くするのが分かった。
「大丈夫? 少し横になったほうが……」
 深刻な表情で覗き込んでくるラビの言葉を遮って、無理やり、口元に笑みを作った。
「ダイジョブ。それよか、後どれくらいだって?」
「後、約三十分で、リムシティの大統領官邸のヘリポートに到着予定だそうだよ」
「……そう」
 
 リムシティ――――。
 その響きだけで、思わず泣きそうになるなんて、どうやら自分で思っている以上に、心身ともに弱っているらしい。
 あれから三年。
 一回も思い出さない日なんて、一日だってなかった。
 空が遠くて、海が汚くて、建物がごちゃごちゃしてて、人がやたら多くて、排気ガス臭くて、昼も夜も喧騒の中にある、大きくて狭い街。大好きな人達と暮らした街。大好きな、あの人が、住む街。

 もう、二度と戻らないと決めていた。
 もう二度と会わないと決めていた、のに。


 やがて下降しだしたセスナの窓の外に、見え始めた街の灯りの粒。
 広がる暗闇に、浮かび上がる光の帯は、まるで、地上の天の川。
 三年前、アトレイユに向かうセスナから、万感の思いで見下ろしたものと何ら変わらないその光景に、ただ、ただ、胸が締め付けられる。


 タイムリミットまで、あと僅か。
 この結末に、私が下す決断は、もう決まっている。






(NEXT⇒ありふれた言葉でしか飾れない)

「LIKE A FAIRY TALE」 序章2

2012-06-19 16:15:28 | 小説「Garuda」御伽噺編
PROLOGUE.2【 金色の男 】   (トゥルー)


 マリアがガルーダを、この街を出たのは三年前のことになる。
 三年前のある日、珍しくSPを伴ってやってきたゾロさんが連れてきたアデル博士。オズ博士の知人で、『神の種子プロジェクト』の一員だったという彼を紹介したゾロさんは、俄かには信じられないような話を、僕らに持ち込んだ。
 種子と呼ばれる人工生命体が、マリアとゼイオンの他に後一人存在すること、オズ博士と同じようにアデル博士もまた、第二の審判の少し前に種子を連れて帝国から逃げ出した後、海の向こう、永世中立国家アトレイユに亡命したこと、そこで彼が長年秘密裏に、その種子の種を体内から取り除く研究に取り組んできたという話を、一通り語ったゾロさんは、ファルコに向かって深々と頭を下げて言った。

 マリアの保有権を、アトレイユに譲渡したい、と。

 それから五日間、マリアは部屋から一歩も出てこなかった。あのマリアが、食事すら取らなかった。
 そして六日目の夜、それまで、この件について沈黙を守っていたファルコがマリアの部屋に入った。
 その夜、二人の間でどんな会話が交わされたのか、僕は知らない。
 ただ、次の朝、一週間ぶりに部屋から出てきたマリアは、ひどく泣き腫らした目で「アトレイユに行く」とだけ、僕らに告げた。

 僕は反対も賛成もしなかった。何も言えなかった。だって、そうだろう。
 あの年、ゼイオンが引き起こしたあの事件のせいで、マリアは国際連合から、それまでよりずっとずっと厳しい制約を受けることになった。隔離島のシェルターに幽閉するという案だけは、ゾロさんが権限を駆使してどうにか取り消してくれたものの、まるで囚人並みに生活の何から何までを監視・規制されなきゃならないマリアが、僕は哀れでならなかった。世界平和のためにどうしても、種子を野放しにするわけにはいかないという国連の意向は、理解出来ないわけではないけれど。
 おまけに、その事件の時に負った怪我のせいでマリアは、半年以上も昏睡状態に陥ってしまって。普通の人間なら、即死していただろうと言われるほどの火傷を全身に負って、著しく損傷した身体を再生させるには、種の治癒能力を持ってしても、それだけの時間を要したらしくて、だからある意味、種子だったからこそ、マリアは助かったとも言えるのだけど―――…。
 だけど、約半年振りに意識を取り戻したマリアは、組織検査の結果、変わらず体内から種が検出されたことに、かなり落ち込んでいたように見えた。種の力に一番怯えているのは、僕でもアンナでもスレイでも、ファルコでも、他の誰でもなくて、マリア本人なのだから、それは当たり前なのだけど。
 なのに、マリアときたら、持ち前の明るさで、『さすがは、マッドサイエンティスト共が血汗を絞って作り出しただけのことはあるネ』と茶化して笑って、元気に振舞ってみせるもんだから、その姿があまりにいじらしくて、僕はトイレに隠れて一人こっそり泣いたりもした。アンナにバレてその場で殴られたけど。
 だけど、もしこの研究が成功すれば、マリアは普通の女の子に戻れる。誰からも何からも制約を受けずに、不必要な力に怯えることなく、ただの人間として平穏な生涯を送ることが出来る。それはオズ博士が最後の最後まで願っていたことで、そして誰より、僕らのマリアの、幸福に繋がることで―――――。
 たとえ、その代償がリムシティを離れること、すなわち、ガルーダから、僕らの傍からいなくなることであったとしても、それを理由にして引き止める権利なんて、僕らの誰にあるだろう。そう、思ったんだ。

 結局、僕は分かっているようで、本当は何も分かっていなかったんだと思う。
 マリアが何を望み、その裏で何を恐れていたかも、ゾロさんがファルコに頭を下げた、本当の意味も。


 マリアが、アトレイユに旅立って三年。当たり前だけど、時間は変わらぬ速度で継続して流れて、最初はそれこそ火が消えたみたいだったガルーダも、少しずつ、以前のような“喧しさ”を取り戻していった。
 そしてそれと同じように、マリアのいない日常も、僕らの上に等しく降り積もっていった。


「すいませーん! お水くださーい!」
 思わず、付け合せのライスが、食道じゃなく器官に入ってしまった。何とも言えない痛苦しさに、咳き込みつつ、持ってきてもらった水を飲む。
 ゴールデンタイムの食事処は賑わっていて、一人涙目になって咽ている僕を気にするような暇人はいない。見渡せば、きっと仕事帰りなのだろう、既に酔っ払ってしまっている人も何人か見受けられる。そうやって、何気なく周りを見渡しているフリをしながら、先ほど僕が咽る原因となった声の出所を探した。
「いやいやいや。それは有り得ないだろ。ツバキちゃんはアレだよ? 男は金って、にこやかに言い切る女だよ。それが、空賊なんかと結婚するわけないって」
「でも、その界隈じゃ結構噂になってるらしいぜ~? みんなのツバキちゃんが、とうとう一人の男のものになるってよ~」
 見つけた。斜め後ろの二人組だ。少し赤らんだ脂ギッシュな顔を見る限り、酔っ払いとまではいかなくとも、多少アルコールも混じっているらしい。
 そ知らぬ顔でそっと、その会話に耳を欹てる。
「まぁ確かに最近、店休んでることが多いけどさ。てか、相手の男あれだろ? 何とかっていう空賊の、金目のやつだろ? 俺、直接は知らないけど、どう見ても金持ちじゃなさそうだし、やっぱ有り得ないって」
「分からないぞ。ツバキちゃん、あれで情に厚いところあるから。あまりの貧乏っぷりに見てられなくなって、私が養ってあげるって感じになっちゃったとか。彼女、相当溜め込んでるらしいし、男の一人や二人くらい養えるくらいは稼いでるだろうしさ」
「じゃあその男、完璧に逆玉ってやつか。美人で床上手でおまけに金持ちの奥さんなんて、男の夢そのものじゃんか。いいなあ、俺も空賊に転職しよっかな。入れてもらおっかな、その男のとこ」
「ばっか、お前。その男のとこって言ったら、アレだぞ。あのやたら凶暴なギャンブラー女がいるとこだぞ? 命が何個あっても足りないって」
 とりあえず、ここにアンナがいなくてよかった。危うく、この店も立ち入り禁止になっちゃうところだった。安くて美味い食事処なんて貴重だから、大事にしないと。
 だけど、そんな噂が出てるなんて、びっくりだ。………本人達は知ってるんだろうか。
 何となく軽い溜息をついて、何となく、水を口に含んだ。
「そういやさぁ、確かそいつらのとこって前、女の子がいなかったっけ? 14、5くらいの。なんかいっつも、何かしら食ってる感じの」
 突然出てきたその単語に思わず、水を飲み込むとき、ゴクリとやけに音を立ててしまった。
 グラスを持つ手に、妙に力が入ってしまっているのが、自分でも分かる。
「あぁ、そういやいたな。なんかやたら元気な」
「最近さっぱり見かけないけど、どっか里子にでも出したのかねぇ」
「結構可愛い顔してたし、貧困に喘いで、ラスタの花街にでも身売りさせたんじゃないの」
「あはははは。そうかもな。よし、今度ラスタに行ったら、探してみるか」
「なんだ、お前、ロリコン趣味だったのかよ」
「いやいや、俺の予想じゃかなりいい女になってると思うぜ、あの子。あ。もしかして、実は金目の野郎もそこに目をつけて、傍に置いてたんじゃないか。将来有望な親なし子拾ってきて恩着せといて、年頃になったら稼がせて貢がせる、みたいな」
「うわ~、外道。でも有り得ないとは言い切れないな」
 言いながら、男たちの笑い声が響く。
 やっぱり、アンナがいなくてよかった。死者は出したくない。
 そんなことを思いながら、僕は、椅子を蹴倒し、そいつらに殴りかかって行った。


「ッ痛ぅ~…」
 頬を押さえながら、歩く。相手が酔っ払っていたからか、怪我はそんなにしなかったけど、店の人にはガッツリ渋面で追い出されてしまった。あの店にはもう当分行けない。アンナのことを言えた義理じゃないな、僕も。
 殴られて少し火照った頬に、夜風が心地よい。さて、これからどうしようかな。ちょうど分岐点になる公園に差し掛かって、迷いに自然と歩みが遅くなる。
 夜はまだ長い。船に戻ってもいいけど、誰もいないだろうし、することもない。暇を持て余し、またルビーさんの店でも行くかな、と考えを巡らせる。

 マリアがいた頃は、ほぼ毎日、全員一緒に夕食を取るのが日常だった僕らも、いつからか、また昔のように、それぞれバラバラに、夕食を取ることが多くなった。
 まあ、アンナがゲジ…、バルバさんと付き合い始めて、デートでよく船を空けるようになったのも要因のひとつかもしれない。でも、それだけじゃない。誰も何も言わないけれど、マリアがいないあの船で、四人でいるのが、みんな、少し苦しいんだと思う。勿論、仕事のときは四人一緒だし、顔をつき合わせたら前と同じように騒がしいけど、でも、確かに何かが、前とは違う。寂しいんだ、僕らは。きっとどうしようもなく。いい大人が四人も揃って、情けない話ではあるけれど。

 結局、ルビーさんの所には行かないことにして、少し公園を散歩することにした。
 ゆっくり歩きながら、少し雲のかかった月を見上げる。
 こうして空を見上げながら歩いていると、思考はいつもマリアの方へと流れ出す。
 マリアは、空を見るのが好きな娘だった。しょっちゅう、デッキでじっと空を見ていた。朝でも夜でも、暑い日でも寒い日でも。あの頃、彼女は、空の向こうに何を見ていたんだろう。

 マリアが行って一年とちょっとくらいの間、ファルコもよく、空を見ていた。マリアがしていたように、デッキに一人立って、相変わらず何の感情も読み取れない表情で、じっと空を見上げていた。僕は何故か、そんなファルコを見るたびに、あの朝の、泣き腫らした目をしたマリアを思い出して、密かに胸を痛ませたりもした。
 だけど、段々とファルコは、そうやって空を見ることをしなくなった。
 そして、それと比例するように、僕達は徐々に、マリアの名前を口にすることをしなくなった。それはとても意識的な無意識だったと僕は記憶してる。

 こうして考えてみれば、ちょうど、その頃からだったかもしれない。ファルコとツバキさんの間に流れる空気が、何となく変わってきたのは。
 元々、二人は大戦終結直後からの古い知り合いで、仲が良いか悪いかと言ったら前者のほうだったのだけど、その関係は何て言うか、昔の戦友のような、少し距離感のあるものだった。今だって別に、何がどうしたってわけじゃないのだけど、その二人の間にあった距離がひとつ消えて、近くなっているような、そんな感じを受ける。
 それについて、ファルコに直接聞いたことはないけども、考えてみれば、僕はもう二十五近くて、僕がそんな歳になってるってことは、ファルコだってもういい歳なわけで。だからもし、二人がそういうことになるのだったら、僕は別に異存はないし、祝福してやろうとも思う。

 だけど。
 そう思う心の一方で、どうしても。

 二人が一緒にいるところを見ると、どうしてもどこかにチラチラと、彼女の姿が浮かぶのだ。
 ふわふわした金髪を靡かせて、よく食べ、よく喋り、くるくると忙しなく表情の変わる、僕の小さな妹のような彼女の姿が。
 そして思い出すのは、ファルコに頭を下げたゾロさんと、それを静かに聞いていたファルコの横顔。それから、やっぱり、あの朝の泣き腫らした彼女の顔。

 だから、僕はこうして空を見るときは、あえて他の事は何も考えないようにしている。たとえば、恐らく今も一緒にいるのだろう二人のことや、あの日のゾロさんのこと、少し寂しさを持て余している勝手な僕らのことなどは、全部、頭の隅の隅に押しやって、ただひたすら彼女のことだけを考える。いつだって元気一杯にぴょんぴょん跳ね回っていた彼女のことを、彼女のとの思い出だけを、ゆっくりと思い返す。
 そうすることで、せめて少しでも、彼女に報いることが出来たら、と思う。
 それは僕のとても素直な気持ちで。

 だけど、一体僕は、何に報いたいのだろう―――。


 視線を月から逸らし空から少し下に向けたら、公園の外灯が、目に痛いほど白々しくて。
 無機質なその白に、僕はひっそりと、大きな溜息を零した。






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「LIKE A FAIRY TALE」 序章1

2012-06-19 16:14:28 | 小説「Garuda」御伽噺編
PROLOGUE.1 【 金色の少女 】   (ラビ)



『空を見るのが好きヨ』

 その言葉の通り、彼女は時間が許すときは大抵いつも、屋上のドームにいる。
 彼女がそこで何を思って、そこに何を見ているのか、それは彼女の胸の内だけのことだから、僕には知る由もないけれど、出来れば、彼女の大切なこのひと時を邪魔しないであげたかった。
 
 そんなことを思いながら、ドアノブを回した。
 ガチャリという金属音が響く前から、気配で気づいていただろう彼女が、僅かに開けたドアに隠れて立つ僕を、緩慢ともいえるほどゆっくりした動作で、振り返る。
 強化ガラス越しに差し込む朝の光に照らされて煌く金髪を想像し、眩しさに、思わず目を細めた。
「なに?」
 フェンスに凭れるようにして、少し首を傾げた彼女に向かって、用件を口にする。
「クロイス博士が呼んでる。出発の前に話があるって」
「そっカ。分かった。すぐ行く」
 頷き答え、少し弾みをつけてフェンスから離れる。そのまま、しっかりとした足取りでドアを抜け、僕の横を通り過ぎようとして、彼女はぴたりと足を止めた。そして、思案するかのようにちょっとだけ、口元をきゅっと引き締めた後、僕を見上げ、口を開いた。
「ラビは、行くのカ…?」
「行くよ」
「…行くんだ?」
「行くよ」
 確認するように、どこか重い口調で繰り返す彼女に、再度、同じ答えを返す。視線を落とした彼女の目に沈む蔭をわざと無視して、明るい声を出した。
「約束しただろ? いつか案内してくれるって。約束破りは泥棒だって、マリアが僕に言ったんだぞ」
 その言葉に、思い出したように彼女が顔をあげて、そして、ニっと笑った。
 そんな表情を見るたびに、ああ、まだ彼女は十八歳なのだと、思い知らされる。
 まだ、たった十八なのだと、胸が苦しくなる。


 アデル博士に連れられて、彼女がこの施設にやってきたのは、今から三年前のこと。
 僕達は、そのとき初めて会った。だけど僕はその前から、彼女のことを知っていた。彼女を迎えに行く前に、クロイス博士が彼女について話してくれたから。そして、彼についても。
 旧世界最大の負の遺産とされる人型無差別殺人兵器。俗称“種子”と呼ばれるその存在が、最初の試作品である僕の後に二体も作られていたという事実にも無論驚かされたけど、何より彼女の存在そのものが、激しく衝撃的だった。まぁ、彼女にとっても、僕の存在は少なからず衝撃的だったろうけど、でも、彼女よりも僕のほうが絶対に衝撃が大きかったはずだ。
 だって、彼女には『神〈マスター〉』がいて。
 『神の種子』という人工生命体である僕たちにとって、それはつまり、完全を意味していて。
 同じ種子でもお粗末なほど不完全な僕にしてみれば、それは本当に、物凄く衝撃的だった。
 だけど、彼女を初めて見たとき、僕の頭に浮かんだのは、彼女が完全であるという事実に纏わること―――、つまり、『神〈マスター〉』のこととか、彼女がかつて招いたと言われている『第二の審判』のこととかじゃなくて、ただひとつ、宝石という言葉。
 蜂蜜のような金色をした彼女の瞳があまりにも綺麗で、それは瞳というより、宝石に見えた。
 後々僕がそのことを話すと、彼女はどこかはにかんだように、この瞳は自分の宝物なのだと答え、そして、とても嬉しそうに、ありがとうと、満面の笑みを咲かせた。


 彼女は、お喋りが好きな明るい女の子だった。
 世界から遠く隔離されたこの施設で、彼女は僕に沢山の話を聞かせてくれた。
 小さい頃に彼女がいた島のことや、好きな食べ物のこと、育った街、そこに住む人達のこと。
 そうやって彼女が自分のことを話すとき、必ず出てくるのが“ファルコ”だった。
 “ファルコ”について話すとき、彼女はいつも「内緒ヨ?」と言ってから話し始める。
 遠い海の向こう、トラビアのリムシティという街に住む、空賊の“ファルコ”。
 とても強くて優しい人で、彼女に世界と自由をくれたのだと嬉しそうに言っていた。
 彼女の金色の瞳を誰より最初に宝石に譬えたのは、“ファルコ”なのだと、少し照れくさそうに、けれどやっぱり嬉しそうに言っていた。「だからラビが、宝石みたいって言ってくれたとき、すごく嬉しかったネ」と、それはとても嬉しそうな笑顔で。
 この三年間、彼女とした沢山の話の中でも、“ファルコ”の話が一番多かったと思う。思い出を懐かしむというよりも、何か大切な宝をこっそり見せるように、いつも話してくれていた。
 そして、そういうときの彼女はまるで、夢の世界の人のように見えた。


 けれど、もう、夢見る時間はおしまい。
 もうじき、夢の世界は終わりを告げる。
 彼女の中の種はやがて、媒体であるその身を崩壊させるだろう。
 それを止める術は、ただひとつ。


 ――― 終焉は 愛した土地で 愛したすべてと共に ―――


 裏切り者が突き付けた、陳腐で残酷な挑戦に、どう出るかは彼女が決めることだ。
 だけど、僕には分かる。
 彼女の決断も、彼の気持ちも。
 だからこれは、賭けなんだ。
 不完全な僕達の中で、唯一完全で、特別な彼女への、最後の賭け―――。


 恐らく彼女はもう、気づいているのだろう。
 だから、僕は知らないフリで、彼女の傍にいるしか出来ない。





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