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神のものは神に返す歩み

2022-10-24 | み言葉に生きる
神のものは神に返す歩み


マルコ福音書12:13-17

・人の権威か、神の権威か
・カイザルのものはカイザルに返しない。神のものは神にかえしなさい
 ①カイザルのものはカイザルに
 ペテロは、きっと主イエスのことばを思い出しながら、国家権力というものは、神のゆるしの中で立てられているので、それなりに敬意をはらうべきであると教えています。
「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」Ⅰペテロ2:13-15
 他にもローマ書13:1-2、7節でこのように語られています。
 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。・・・・・あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。」
私たちの理解としては、神のゆるしのもとに政治権力・国家、宗教・教会が存在しているという見方が必要です。万物の創造者なる神の統治のもとに、国家、教会などあらゆるものがそれぞれの領域で役割、責任そして尊さを与えられているのです。
②神のものは神に
 この世のものは、すべて神のゆるしの中であらゆるものがそれぞれの領域で役割、責任そして尊さがあるなら、何よりも「神」に対し、畏敬をもって愛を表す歩みをするべきではないでしょうか。「神のもの」までも自分のものとして奪い取ろうとするときに、国も、地域も、家族も、会社も、学校も、悲惨な結果を生むことにつながるのです。彼らが、主イエスに「わな」をしかけたその根っこにあるのは、やはり神を知らないことにつきると思うのです。神のゆるしの中で生かされている存在として、何よりも神に対して応答して歩んでいるのかを求められているのではないでしょうか。
 しかし、ただの義務では、喜んで神のものは神に返す歩みは続かないはずです。形骸化し、律法学者たちのように、神を知らず試したりする歩みになってしまうと思います。しかし神は、私たちが「神のものは神に返します」と全身全霊をもって歩むことができるよう、主イエスを与えてくださったのです。私たち一人ひとりは、神にかけがえのない命として愛されている存在ということがイエス・キリストを通して現わしてくださったのです。。神は、この世の権力者たちよりも、はるかに勝る権力を持っておられながら、どんな人をもかけがえないのないいのちとして愛されているお方なのです。そのことが最も現わされているのが十字架の主イエスです。この愛を知ることが神を知り、そして、真に喜び、感謝し、何よりも神に信頼し、愛する者へと変えられる歩みなると信じます。
・誰が真の権威者なのか
・神を知ることによって神のものは神に返していける


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