山梨県は大和町の山の中、歴史好きには要所の景徳院へ行きました。
ここはあの武田信玄の跡取り息子、武田勝頼が逃亡の末、自害した場所です。37才だったそうです。
織田信長軍の滝川一益に追い詰められ、2~30人程の家来、妻等と共に命を絶った所です。
そして武田家は滅亡しました
その後、徳川家康によってこの場所に寺院が建立されたのです。
とりあえず境内の説明文を読みながら歩きました。
この辺りは川のせせらぎや、鳥の鳴き声などが心地よく響きわたります。恐らく当時も同じだったのでしょうが、勝頼にとってはそれどころではなく無念の中この地をさまよったのでしょう
500人近くいた見方も次々と去り、近くの家臣にも見放され、食料もつき恐らく体力も精神力も限界だったのではないでしょうか。
最後の決断が自害とは、実にむごいものです。
妻19才、嫡男(長男)16才・・・あまりに悲惨な最期でした
勝沼ICより約30分
ここはあの武田信玄の跡取り息子、武田勝頼が逃亡の末、自害した場所です。37才だったそうです。
織田信長軍の滝川一益に追い詰められ、2~30人程の家来、妻等と共に命を絶った所です。
そして武田家は滅亡しました
その後、徳川家康によってこの場所に寺院が建立されたのです。
とりあえず境内の説明文を読みながら歩きました。
この辺りは川のせせらぎや、鳥の鳴き声などが心地よく響きわたります。恐らく当時も同じだったのでしょうが、勝頼にとってはそれどころではなく無念の中この地をさまよったのでしょう
500人近くいた見方も次々と去り、近くの家臣にも見放され、食料もつき恐らく体力も精神力も限界だったのではないでしょうか。
最後の決断が自害とは、実にむごいものです。
妻19才、嫡男(長男)16才・・・あまりに悲惨な最期でした
勝沼ICより約30分
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