*第17話「発車オーライ!」は、記事を修正・加筆し、再度投稿しました
魚屋の親子──江戸っ子気質の金造と右京に惚れた出戻りの治子。
今回はこの親子が巻き起こす、ちょっと迷惑なドタバタ劇。
右京や園子の前ではハイテンションの治子だが、家で編み物をしているときは打って変わって
しっとりとした落ち着きよう。やさしい気持ちも溢れていて、なかなかのイイ女である。
●第17話「発車オーライ!」あらすじ
脚本:窪田篤人 監督:千野皓司
魚屋の治子(富士真奈美)は、右京(石立鉄男)への想いを日に日に募らせる。
そんな様子を見た金造(花沢徳衛)は、娘のために一肌脱ごうと精太郎(米屋のおじさん・大坂志郎)に
治子と右京との仲を取り持ってくれと頼む。一方、押しかけ女房っぷりがエスカレートし出した治子の様子に、
園子(松尾嘉代)は全く面白くない。嫉妬から右京の上司に気のあるふりをしてみたり、
恋模様が二転三転落ち着かない。
●富士真奈美、花沢徳衛のご近所名脇役
治子を演じる富士真奈美が、右京を追いかけ回す執拗な愛情をコミカルに演じる。その一方、家でチー坊を思う
治子の顔には静かで穏やかな女らしさがただよう。治子をただの「変人」として演じれば、
見る人の共感は得られなかっただろう。ヘンだけれどかわいげがあるという治子は、脇役として魅力的だ。
内田(江守徹)からも「なまめかしい人」と言われ、周りからの評判が悪いわけでもない。
また金造演じる花沢徳衛は、魚屋の大将としてうってつけの役。あの頑固そうな面構えも口調も、
義理人情には厚くおっちょこちょいという愛嬌も、花沢徳衛ならではのはまり役だ。
この親子が、お互いを思いやるやさしい気持ちが伝わる第17話。笑いの中にもホロリとさせる、名脇役たちである。
●三者三様、男と女
金造に仲人まで頼まれ、複雑な気持ちのおじさん。あまり意識もしていなかったが、右京の相手には
園子がどうかと思っている。だがおばさん(三崎千恵子)は違った。チー坊も右京さんのことも
気に入ってはいるのだが、自分の娘の婿となると話は別。子持ちの男などとんでもないと考えている。
そんなおばさんに、「おめぇもやっぱし、そのへんに転がってる母親とおんなしだな」と、
やや軽蔑を込めて呟くおじさん。それはおばさんもわかってる。わかっているけど、
「だって・・・」と言葉を濁らせる。一方、園子は右京の顔を見るとケンカになる。
どうしてもきつい言葉になってしまうのだ。だけど確実に右京に惹かれている。
チー坊を他の女に渡したくないと思っている。
不器用な娘と、それを見守る父親、子持ち男と娘の結婚には大反対の母親。
これはこの先、一筋縄ではいかなさそうだ。
●他人を預かる覚悟・別れの寂しさ
自転車に乗せてくれたおじさんに、チー坊は「ずっとみんなと一緒にいたい」と寂しげに呟く。
園子とケンカの絶えない右京の様子を見て、どこかよそへ引っ越すんじゃないかと心配なのだ。
おじちゃんとおばちゃん、園子姉ちゃん和子姉ちゃん、昇兄ちゃんとずっと一緒にいたいと
お願いするチー坊。どこにも引越なんかしないよと、約束するおじさん。
安心したチー坊は自転車を押すおじさんに、元気いっぱいに「発車オーライ!」と叫ぶ。
チー坊のこの言葉が“堅い家族の絆”を表すようで、ドラマを見ていて胸が痛くなった。
おじさんたちにとって、チー坊も右京もしょせんは他人。
どんなに情をかけようと、ずっと一緒にいるわけではない。
チー坊がなつけばなつくほど、右京と親しくすればするほど、別れの悲しみは計り知れない。
これまでも、何度か別れを覚悟するような場面はあった。
でもその度、米屋に居座ることになり、みんなほっと胸をなで下ろしていた。
そういうことを経て、皆、家族の一員みたいな気になっているのではないだろうか。
視聴者としては、右京が園子と結婚し、ずっと米屋で仲良く暮らして欲しいと
単純な願いを抱きながらドラマを見守っているのである。
●杉田かおるに泣かされる
チー坊を演じる杉田かおるだが、当時は天才子役としてその名を欲しいままにしていた。
これまでもドラマの中でその天才ぶりは発揮されてきたが、
今回の「おじさんとの自転車のシーン」は、何度見ても涙が溢れる。
右京と園子がケンカばかりして、米屋を引っ越すのではないかと心を痛めるチー坊。
だがおじさんに「そんなことはない」ときっぱり言われ、ぱあっと明るくなるその笑顔。
大坂志郎との掛け合いの妙といい、演技とは思えずグッとくるのだ。
●親父同士の絶品掛け合い
精太郎(大坂志郎)と金造(花沢徳衛)が公園でやりあう。
治子と右京の仲は取り持てないと、精太郎が金造に謝るのだ。だが精太郎には断るだけの
理由があった。一旦はケンカにもなりそうな50代を過ぎた親父対親父のシーン。
セリフ自体は格好いいことを言っている。普通なら浮きまくりそうだがそうならない。
これは江戸っ子言葉のなせる技だろうか。方言だからこそしっくりと人間味があるような気がする。