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刺激的安楽日々

本、映画、ドラマ、料理や日々の雑感

水曜どうでしょう放送事典

2009年12月18日 | Weblog
水曜どうでしょう放送事典!
これは読むだけでなく、読んで笑わせる超極上記録本です。
一話一話の放送が彷彿できる内容だけでなく、
プロデューサーやスタッフのインタビュー、大泉クンのトークネタもきっちりまとめられていて、
思わずDVDを見返してみたくなる内容でした。
近所の三省堂書店で購入しました。

どうでしょうのことは「クイックジャパン」にも特集されていましたが、
この「放送事典」には放送話数に沿って細かに記事がまとめられていて、
まさに「読む水曜どうでしょう」といったところ。

キーワードの逆引きができるのにはオドロキ!
自分の気になるキーワードから放送話数のページが検索できたり、
これはかなりスグレモノ。
アイウエオ順に並べられたキーワードのページを読むだけでも相当笑える!

「エアーウルフだね」「喧嘩太鼓」なんて、
あ~あ~あったあったって思いながらも、どういうシチュエーションで
大泉クンが言っていたか、あれはどの旅だっけ?なんて急には思い出せない。
でも逆引き検索では、放送話数も、どういうふうにその言葉をしゃべっていたかも
全部わかる仕組みになっていて、手持ちのDVDで確認する手間が一挙に減ります。
まさに放送事典。

放送を見ていた私のおぼろげなる記憶では、
とにかく大泉クンはよく風邪をひいてディレクターと
ケンカしていました。
「風邪」というキーワードもちゃんと載っていて、
「風邪」の出てくる放送話数が全部読める!
マレーシアのジャングルでもフリース着てる! 
こんなトコでも彼は風邪を引いて我々を笑わせてくれていたのだ。

旅の経路も細かく書かれているので、いまさらながら
サイコロの旅をマネしてみたくなったり、
韓国に食い道楽の旅に出かけてみたくなったり、
「旅マニュアル」としても相当貴重ですね。
これって、どうでしょうを見ていなかった人にも、
ある意味楽しめる本じゃないかな?

それと特筆モノは、大泉クンの初期の頃の写真。
いまでは全国的人気のタレントさんですが、
当時はまだ大学生で素人っぽさの残る、
リクルートカットのような短髪や、ボサボサ頭の
コギタナイ姿に、妙にニンマリ。

ただ、この本に収録されている内容は、放送話数の3分の1強。
マレーシアジャングル探検までの初期の頃だけです。
ということは、これから続きが出るのでしょうか?
この後のアラスカの旅とか、アメリカとか、
もっともっと見てみたい。
最近のバラエティ番組ってほとんど似たようなものばかり乱れ打ち状態だけど、
あらためて「どうでしょう」の面白さ、素朴でリアルでチープな面白さを、
読んで一覧して再確認しました。
そして思わず「スゴイことをやってたんだ・・・」と。

真剣に、韓国行きたい気分です。みんなが食べられなかった店に行ってリベンジしたい。
いまその店があるかどうかはわからないけど。

カムバック昭和・71年~73年テレビドラマと時代のあれこれ~2~

2009年04月20日 | Weblog
72年(昭和47年)の娯楽、経済、事件

さて、前回は71年(昭和46年)を振り返ってみたので、
今回は72年(昭和47年)について・・・。この年、私は小学校3年生。
髪も肩より長く伸ばし、オシャレにも気づかい始めた時期である。とは言っても
ベルばらを読んで、レースのいっぱいついたワンピースを買ってくれとせがんだくらいかな。

72年の9月に「気になる嫁さん」が放送終了し、10月からは「パパと呼ばないで」がスタート。
幼心に「気になる嫁さん」のメグ(榊原ルミ)をリカちゃん人形のように、
小夜子(水野久美)をバービー人形にのように感じていた。
いまでこそバービーの方がオシャレだと理解できるのだが、当時は「意地悪なオバサン」
みたいで女のコ友だちの間でも全く人気がなく、髪なんか躊躇なく切り刻んだりしていた。
もうお人形ごっこをする年齢でもないせいか、人形に対しては残酷な態度で臨んでいた。

そんな1972年(昭和47年)から・・・・

●テレビ番組
・「飛び出せ青春」
・「太陽にほえろ」
・「ウルトラマンA」

●アニメ
・「科学忍者隊ガッチャマン」
・「魔法使いチャッピー」
・「デビルマン」
・「マジンガーZ」
・「ド根性ガエル」

●漫画
・「ベルサイユのばら」池田理代子
・「ポーの一族」萩尾望都
・「ママはライバル」忠津陽子
・「漂流教室」楳図かずお
・「ドカベン」水島新司

その他

ちあきなおみ「喝采」大ヒット
ぴあ、ロッキング・オン 創刊


●横井庄一さん、田中角栄の「日本列島改造論」
みんなが驚いたのは、グアム島で発見された元日本兵の横井庄一さん。
すでに戦死公報が届けられ、戦没者として弔われていた横井さんの帰国には、
日本中がどよめいた。帰国時の言葉から、「恥ずかしながら~」という
フレーズはその後大流行。子供の間でも頻繁に使われた。
その数年後、同じく残留日本兵の小野田さんも帰国するが、衝撃度でいえば、
やはり横井さんの方が大きかった。70年代前半は、まだまだ戦後の空気が
匂っていたんだなあと思う。

そしてめっぽう元気のいい男も登場。田中角栄首相だ。
この年に出された田中角栄の「日本列島改造論」は、地方が一気に活気づく
きっかけとなった経済政策。日本中の道路が整備され、地方を走る新幹線網が
拡大した。むこう15年間、年10%の経済成長をはかったこの政策は、70年代の
狂乱地価も招くことになる。そして公害問題もより一層ひどくなる。
とにかく田中角栄については、「日本列島改造論」により、これ以上はない凄い男
という印象が強かった。また小卒という学歴もヒーロー性をさらに高め、
テレビでも角栄の「まあ~しょの~」というモノマネが大流行。
角栄が汚れた英雄として堕ちていく、ロッキード事件が発覚するのは74年。

●過激派の脅威!連合赤軍、浅間山荘、テルアビブ空港事件
71年から72年にかけては、新左翼の武装戦闘組織・連合赤軍が世間を
震撼させる事件を次々と起こした年。
特に72年の「浅間山荘事件」は、警察による人質解放作戦決行の様子が
リアルタイムで中継され、テレビの前で釘付けになっていたことを思い出す。
長野県の「浅間山荘」に武装した連合赤軍の数名が管理人の妻を人質に籠城し、
警察の機動隊が突入作戦をとった事件だ。
『突入せよ!あさま山荘事件』(原田眞人監督)や『実録・連合赤軍』(若松孝二監督)
など映画化もされた事件だが、テレビ中継もまるで映画のような迫力だった。
ただ、中継を見ながらも子供心に一体何が起こっているかよくわからず、
そばで主観的、そして誇大に事件の模様を話す母親の方が恐かった。
しかも母は「親の言うことをきかないと、あんな風になるよ!」と、
ところどころに私に対する具体的な説教を挿入して話すので、テレビ中継の模様が
自分の暗い未来のようでもあり、泣きだしたほどだ。
この「浅間山荘事件」で発覚したのが、彼らが「総括」という名の
もとに行った内部粛正。平たく言えば残虐なリンチであり、なんと仲間を
12名も殺害していた「連合赤軍リンチ事件」
またイスラエルのテレアビブのロッド国際空港で、日本赤軍によるテロが発生。
銃撃による民間人の無差別虐殺は、遠い外国の事件であっても背筋が凍った。
しかも主犯二人は大学生。
「日本赤軍」という名称は、恐怖の象徴のごとく幼心に影を落とした。



















カムバック昭和・71年~73年テレビドラマと時代のあれこれ~1~

2009年04月04日 | Weblog
71年(昭和46年)の娯楽、経済、事件

71年10月~72年9月に放映された「気になる嫁さん」、72年10月~73年9月に放映された「パパと呼ばないで」の
番組所感連載をブログで始め、その時代のことが気になりだした。
特に「パパと呼ばないで」は、だるま船で暮らす子供達が日々の生活のために働いていたり、
大坂志郎演じる精太郎が50代くらいの年齢で登場し、戦時中の話などを普通にしている。
そのせいかこのドラマが随分昔のように感じてしまうのだ。
自分自身、小学生時代に見ていた番組のはずなのだが、それほど今と違っていたのか?

ここでは番組の内容から離れ、少しでも時代の空気感を思い出せるように綴っていきたいと思う。

今日は1971年(昭和46年)から・・・・

●テレビ番組
・「帰ってきたウルトラマン」
・「仮面ライダー」
・「スター誕生」
・「おれは男だ!」

●アニメ
・「天才バカボン」
・「ルパン三世」
・「ふしぎなメルモ」
・「アンデルセン物語」(カルピスまんが劇場)

●漫画
・「侍ジャイアンツ」井上コウ
・「バビル2世」横山光輝
・「空手バカ一代」つのだじろう
・「11月のギムナジウム」萩尾望都
・「アラベスク」山岸涼子
・「きみどりみどろあおみどろ」土田よしこ

●任侠映画大盛況
映画でいえば、東映の任侠映画全盛期。『昭和任侠伝』『網走番外地シリーズ』など高倉健が大人気。
「気になる嫁さん」でも、文彦(石立鉄男)が頻繁に任侠言葉を使っている。
第11話「誓いの言葉を」でも、文彦は「おひかえなすって!」と、姉の小夜子の部屋に入るときに
長い挨拶をしているのだ。任侠映画大全盛とは対照的に、映画界全体では斜陽のどん底だったという。
大映が倒産し、日活がロマンポルノへ移行。

●ニクソンショック・1ドル360円時代の終焉
71年8月、「失業・インフレ・国際収支の赤字」を解決すべく、当時のニクソン米大統領がドル防衛強化策
を発表。これにより金ドル交換の停止、10%の輸入課徴金等々が行われ、世界中の経済界に打撃を与えた。
これが俗に言う「ニクソン・ショック」。為替レートがいまのように完全に変動相場制になるのも、この年
からなのである。「ニクソン・ショック」というキーワードは、「気になる嫁さん」でも経済に敏感な文彦が
頻繁に口にしている。
71年は高度成長で浮かれていた日本に激震が与えられた年だった。東京外国為替市場はドル売りが殺到、
株価も大暴落し「ドルショック」と呼ばれた。非常に暗い時代である。
一方、外資系ファーストフードがお目見えしたのもこの年だ。
「ミスタードーナツ」しかり、「マクドナルド」(ハンバーガー1個80円)しかりである。
またカップヌードルの発売もこの年(当時100円)。73年に放映された「パパと呼ばないで」第21話では、
昇がインスタントラーメンが一袋35円だと言っている。そのことからもカップヌードルの100円というのは、
決して安いものだとはいえない。
「気になる嫁さん」でばあやがスーパーマーケットを「外国かぶれ」と言って嫌がっていたが(第8話)、
外資の波はズンズン押し寄せている。スーパーマーケットどころではない。

●大久保清連続殺人事件と過激派事件
ベレー坊をかぶり、画家や詩人になりすまし、女性を誘っては強姦殺人に及んでいた大久保清。8人もの女性を
殺害した「大久保清連続殺人事件」に、世間は震撼させられた。
他には成田空港建設地に近い東峰十字路で、機動隊と空港反対派、過激派学生が衝突し、神奈川県警の警察官
3名が火炎瓶や鉄パイプによって死亡させられた「成田空港東峰十字路事件」も起こっている。

前年70年(昭和46年)には「よど号ハイジャック事件」、翌年72年(昭和47年)には「連合赤軍リンチ事件」
「連合赤軍浅間山荘事件」「日本赤軍テルアビブ空港事件」など、70~72年にかけては過激派による大事件
が起こっているのも特徴だ。

私には当時、京都の立命館大学に通う大学生の従兄がいたのだが、「大学生はうさんくさいもの」という印象があった。
学生闘争やさまざまな運動が激しく、その兄が何をしていたというわけではないのだが、大学生であるがゆえの
「恐ろしさ」があった。本人はとてもやさしかいお兄ちゃんなのに根拠もない疑いをかけ、申し訳ないと思っている。
だが私のような子供がそう思うのも、母や同居している祖母が「いまの大学生は恐ろしい」と日々噂しあって
いたからである。家の近くには同志社があり、少し離れて京大もあった。そして従兄の通っていた立命館もまた
学生運動の大変盛んな大学で、母も祖母も悪口・憎まれ口三昧であった。
「ろくでもない大学生になるな、大学生は悪い」と言い聞かされていたので、当時私は勉強を放棄しまくっていた。
その分漫画を読みまくったり、見られる限りテレビを見続けたりして時間を浪費していたが、
それはそれで叱られることになる。