猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

おさんぽしょくたく

2023-05-28 | 日記
おさんおぽしょくたく

ねこさのみんさんごきげんよう。
きょうはぼくのおはながとてもちべたいです。
しかししもべはぼくをぬくぬくにするための
すべてものをかたしてしまいましたので
ぼくのおはなはちべたいままです。

きょうはみなさんに、ぼくがじっせんしている
おさんぽしょくたくのについておつたえします。
なぜぼくがおさんぽしょくたくをやめられないか
みなさんにつたわればよいとおもいます。

おさんぽしょくたくのはんたいは、
さだめられししょくたくです。

おおくのねこさんはさだめられししょくたくで
おしょくじをしていることでしょう。
ぼくもしもべでないにんげんがおたくにいたときは
さだめられししょくたくでおしょくじをしていました。

ひるがえっておさんぽしょくたくとは、
ねこさんがすわったところがおしょくじのばしょときまり、
ねこさんがうごけば、しょくたくもつられてうごきます。
こうしておしょくじがおわるまで、ねこさんは
きのおもむくままにおすきなばしょでおしょくじをとる。
これがおさんぽしょくたくです。

ねこさんがねこさんのおめしあがりになりたいところで
おしょくじができるということは、
ほんらいあたりまえのことであって、
このようになまえをつけたりして
とくべつなことにするのはおかしいのですが、
こうしなければならないのは、
この、かんたんであたりまえのことは
しもべによってみすごされている
ねこさんのじゆうのうちのひとつでだからす。

なにせ人間であるしもべのしょくたくは
おさんぽするにはあまりにおおきいので、
しょくたくをおさんぽさせるというはっそうの
たねすらもっていないのです。

人間たちはねこさんにくらべればどこもかしこも
10ねこさんぶんくらいのおおきさがありますから、
しょくたくがおおきくなるのもしかたのないことです。

そしてそのおおきさのせかいを
あたりまえとしてくらしていますし
10ねこさんぶんおおきいということは
10ねこさんぶんいろいろなことをおぼえてしまうので
おしょくじはさだめられたしょくたくでおこなう
というきおくをなしにできなくしています。

ですから、ねこさんがうっかりしては
このじゆうをたのしむことはできないわけです。

このおさんぽしょくたくによってもたらされる
ねこさんにおこるすてきなことは
ねこさんほんらいのじゆうをねこさんが
たのしめる、というだけではありません。

まず、しもべにねこさんのじゆうについて
かんがえさせるよいきかいになります。
ねこさんのじゆうをそうとうに尊重している
しもべであっても、やはり人間としていきていますから
こういうきっかけがなければ
ねこさんのじゆう、そのものをそっくりそのまま
かんじることはできないからです。

ねこさんがおしょくじのとちゅうでしょくたくをはなれて
ねこさんらしくお行儀よくおすわりになっているせなかを
しもべにみせれば、しもべはしぜんと
おなかはまだすいているはず、
おしょくじもねこさんがおすきなものなのに
なぜおめしあがりにならないのだろう、
おからだがどこかよくないのかしらと
しんぱいになったしもべは
ねこさんにごはんをたべてもらいたいいっしんで
しょくたくをねこさんのまえにはこびます。

そうするとねこさんは
しもべのしんぱいをよそにげんきに
おめしあがりになります。
しもべは、ねこさんのおからだの
ようすがおかしいわけでないことをしって
あんしんします。

これをなんどかくりかえしますと
ねこさんはおさんぽしょくたくを
したいのだなということが
しもべにわかるようになり、
このときねこさんのしょくたくは
どこにあってもよいのだ、
ということをしもべはりかいするのです。

そして、ねこさんのしょくたくをここときめているのは
人間のせかいのあたりまえなのだ、と
しもべとしてのいたらなさおろかしさに
はじめてウォーターするわけです。

おさんぽしょくたくをする価値は
これにあるといってよいと、ぼくはそうおもいます。

しかし、ほかにもあれこれあります。

まず、おたくの床がせいけつになることです。

ぼくは、おもにぺっとりごはんを
おめしあがりになります。
つねづねおはなししているように
ぼくは、ねこさんにあたえられし
ちいさなしんじゅのような前歯のうち、
したの前歯がありません。
しかもねこさんにあたえられし鋭く光る孤高の牙も
かたほうなくしてしまいましたので
いちだんとおめしあがりかたがワイルドになりました。

ゆえに、ぼくがおめしあがりになったあとは、
しょくたくをこえてゆかや、ちかくにあればかべなどにも
ぺっとりごはんのかけらが、おちたりくっついたりしています。
しもべは、このぼくがワイルドにとばした
かけらたちをひろいあつめ、
ゆかやかべなどをきれいにふかざるをえません。

ねこさんは、しもべよりもゆかに
ちかいばしょでいきています。
ですから床のせいけつは
ねこさんのすこやかなくらしのためには
かならずまもられていなければなりません。

おさんぽしょくたくの
移動回数がおおいほどに
おきれいなゆかがふえていくことになります。

また、これはほんとうにとっておきのひみつですが、
いどうするたびに、おなじごはんのはずなのに
じつは、おあじがかわるのです!
ぼくはあじにうるさいほうのねこさんですから
これにきづいたからには
あちこちでためしたくなるわけです。

おしょくじのじかんのたのしみを
ひとつふやせたことは、ぼくにとって
このうえないよろこびです。
たのしみをふやすことは、
ねこさんのゆたかなくらしには
かかせないことですからね。

みなさん、なぜぼくがおさんぽしょくたくを
やめられないか、おわかりいただけたでしょうか?

ねこさんのなかには、ぼくがおさんぽしょくたくを
やめられないよう、さだめられししょくたく方式を
やめたくないねこさんもいるでしょうね。

さだめられししょくたくも、ねこさんにとっては
せんたくしのひとつですから、
むりにやめようとすることはありません。

どのねこさんにも、そのねこさんがのぞまないことをする
じゆうはないのです。




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