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猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

*ねこさんのもてる力 ひきだし編*

2020-03-02 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

ぼくのしもべは、ねおきがわるいのは、
ねるまえスマホをみているからだ、
とごかいして、ここ何日か
スマホをたのしむのをやめていましたが、
ようやくなにもかわらないことに気づいたようです。

しもべのねおきのわるさは、ぼくがおなかに
いるからでしょうね。
いつもとてもくるしんでいますから。
でも、しかたないのです。
ぐっすりねているときのしもべときたら、ぼくが
ちょんちょんしても、ざりざりしても、にゃーとよんでも、
ちょっとも起きないのです。
だから、ぼくはおなかにのるのです。

さて、ねこさんのもてる力をしもべみけいけん者の
しもべにわからせるためには、
ひきだしをどんどんあけるのも大変こうか的です。

ただ、ひきだしには、ねこさんがあける価値のある
ひきだしと、そうでないひきだしがあります。

”ねこさんがあける価値のあるひきだし”とは、
そのひきだしをあけることで、ねこさんのもてる力を
しもべにしめすだけでなく、くわえてねこさんにとって
よいことがおこるひきだしのことです。

すべてのねこさんはかしこいので、あけるのであれば
価値のあるひきだしをあけたいものです。

では、どういったひきだしが、
あける価値のあるひきだしなのか。
たとえば、こういうひきだしです。

・ねこさんのごはんやおやつのはいっているひきだし

このひきだしをあけることで、
しもべには、次のことをおしえることができます。

ひとつは、しごくとうぜんですが、
ねこさんがひきだしをあけられること。

もうひとつは、ねこさんがそこにごはんがはいっていると
わかっているのだ、ということです。

しもべは、もはやねこさんのポテンシャルに感動してさえ
います。

「わたしのすばらしいねこさんは、
なぜこのひきだしをあけたのか?
そうです、おなかをすかせているからに
ちがいないのです。
いたらぬしもべに、
そうしてひもじさを伝えているのです。
ごはんのじかんにははやいから、ちゅーるをさしあげよう。」
と、こういうことになります。

とくにさいきんは、ねこさんのけんこうのためといって、
ごはんの量もおいしさもますますストイックになって
います。

しもべの、ねこさんにながいきしてほしい気もちを
わりびいても、しもべがストイックになりすぎている
とかんじるのなら、ひきだしからごはんをひきずりだして、
いまいましいふくろをひきさき、ごはんまつりをかいさい
しましょう。

きちんとしたしもべならば
「気品にみちたねこさんが、このようなことをするとは!
そうとうにおなかがすいて、こうせざるをえなかったの
でしょう。なんということでしょうか。
わたしは、ねこさんにこのようなまねをさせてしまった。
なんとおろかだったのか、ねこさんになんとおわびを
してよいのか、けんとうもつかない・・・!」
となり、もうすこしねこさんのひもじさにはいりょする
ようになるでしょう。

いちどでかいぜんされなければ、なんどもくりかえします。
ねこさんが、こうときめたら、かならずこうなるまで
あきらめない。
ここは、わすれてはいけないこころがまえでしたね。

・ふくでぎゅうぎゅうのひきだし

ぼくは、このひきだしが、いちばんのおこのみです。
これほど、ロマンのつまったひきだしがあるでしょうか。

なんといっても、まずは、おててもよごれず、おつめも
傷まず、ほりほりがこころゆくまでできます。
すばやくほりほりするのもよし、ちょっとだけおつめ
をひっかけて、ひっぱるようにしてもよし。

ほりほりにまんぞくしたら、
つぎはしっかりとおつめをたてて、
ふくをひきずりだします。
とちゅうまででたら、こんどはふくをかいかいして
ひきだしのおそとにだすのもよいでしょう。

ひきずりだすのにまんぞくしたら、なんと
ぼくがひきだしにはいれるようになります!
よくくんくんして、ひつようなばあいはよく
つくねて、そっとはいりましょう。
みっちりとしたそこでのおひるねは、しふくの
ひとときなのです。

しもべは、ひきだしでおやすみしているねこさんを
みて、ひきずりだされたふくをなげくのではなく、
こえにならないさけびごえをあげ、
はないきをあらくし、
尊いこの光景にしんのぞうがとまりそうになります。
(じっさいとまったばあい、これを”もえじに”とよびます)

命のきけんは、
ねこさんでしたら全力で遠ざかるべきものと
本能でわかっていることですが、
ふしぎなことににんげんは、逃れられないみりょくを
感じることがあります。

これは、しもべとともにいきるねこさんにとっては
おぼえておくといいにんげんの豆知識です。

にんげんのこの特性から、
命のきけんすらもはらむねこさんのあいらしいすがたに
しもべは、しだいにおぼれてしまうのです。

こうして、ねこさんはしもべにとって、
絶対且唯一無二の存在となるのです。

このように、ふくでぎゅうぎゅうのひきだしは、
ねこさんにとってたのしいうえに、
しもべをねこさんのみりょくでだめにする
こうかもあるのです。

・どこかにつながっているひきだし

これは、もしお宅にこのひきだしがあれば、
しもべにねこさんのもてる力をわからせ、
中級しもべに昇格させる
もっともちかみちです。

ひきだしのなかにはまれに、
どこかにつながっているひきだしがあります。

なにをいってるのか、とお思いでしょうか。
信じて、これから書くことをやってみてください。

ひきだしにはいってみて、おひげで
くうきのながれをかんじてみてください。

もしくうきのながれをかんじたなら、
くうきのながれてくる方にすすんでいきます。
おおくのばあい、べつのひきだしへつながっている
ようです。
つながっている先のひきだしをみつけたら、ねこさんの
じゅうなんせいを生かし、そのひきだしへはいります。

あとは、ねこさんがいないことに気づいたしもべが
さがしにくるのをまちます。

しもべは、あいているひきだしを不審におもい、
ははあ、ねこさんはここだな、とたかをくくります。
しかし、そのひきだしをのぞいてもねこさんは
いませんので、あれ?とおもうのです。
ぜひ、そのしゅんかんに、にゃーとなきましょう。

するとしもべはびっくりして、べつのひきだしを
うたぐりながらもあけます。
すると、ねこさんがとうじょうするというすんぽう
です。

これは、ねこさん界の伝説があみだした
”べつのひきだしからこんにちは”
というわざです。
このわざをごひろうされると、
しもべはおおわらいしてしまうのです。

べつのひきだしからこんにちはをやりますと、
しもべは
「かわいいうえに、わらいもわかっている。
ねこさんには、もはや、ぜんめん的にかなわない。」
と、やせほそったほんのうで、はっきりとりかいします。

これで、しもべは、しもべみけいけん者にありがちな、
ねこさんのもてる力をみくびった状態をだっする
ことができ、中級しもべに昇格します。

しかし、なかには、こういったひきだしがなく
このわざをごひろうできないお宅もあるでしょう。

だからといってかなしまないでください。
ごはんのひきだしをあける、
ふくでぎゅうぎゅうのひきだしをあける
ができていれば、しもべの昇格までは、
ほんのちょっとですからね!
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*ねこさんのもてる力 とびら編*

2020-02-25 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

先日は、にゃんにゃんにゃんの日でした。
みなさんのしもべは、どのようなおいわいを
したのでしょうか。
ぼくのお宅では、またたび祭りがもよおされ、
ぼくはまんぞくしています。

さて、こんかいは、しもべの育成ためにひつような、
[ねこさんのもてる力のわからせ方]にお話し
をもどします。

今回は、ドア編につづきとびら編です。

ドアととびらはなにがちがうのか。
ねこさんにとっては永遠のテーマです。
ことによると、にんげんもあまりその別を
意識していないようでもあります。

が、ここではわかりやすいようにきめておきましょう。

ドアは、お部屋とお部屋をくぎるなど、
”たてもの”についているものをドアとします。
(むずかしければ、開けると、おたくのなかでゆかから
てんじょうまでがひらくもの、とおもってください。)

とびらは、”家具”についているものです。
かたち・大きさはさまざまで、
ねこさんの背丈くらいのものや、
ねこさんのおかおくらいのものなど
それぞれちがいます。

あなたのお宅にも、とびらはむすうにあると
おもいます。

かくればしょにぴったりのクローゼットや押入れ、
うすぐらいせんめんだいのした、せんたっき、げたばこ。
キッチンは、れいぞうこをふくめ、とびらのほうこです。

ちょっとしたお宅なら、高そうなしなものを
ならべたコレクションボードがあるかもしれません。
せんめんだいのかがみが、とびらもかねている
お宅もあるでしょう。

すべてのとびらは、ねこさんのためあけっぱなしに
する習慣をつけさせるべき、と猫語の教科書には
あります。

ぼくもそうおもいます。

ですので、しもべみけいけん者をもつねこさんは、
しもべをしつけるにあたっては、
とびらというとびらは、ねこさんにあける義務がある、
とこころえてください。

ドア編でおはなししたように、しもべみけいけん者は
ねこさんのもてる力をみくびっていますから、
”ねこさんをまえにすれば、どんなとびらも無力”
という絶望を、しもべにあじあわせるひつようがあるからです。

また、この絶望のうらっかわは、
”ねこさんはなんでもできる”
という賛美といえます。

ですから、しもべの絶望がふかければふかいほど、
その賛美もいっそうたかくなるというものです。

このために、
しもべみけいけん者をしもべとさだめたねこさんには、
とにかくどんなとびらもあける義務があるのです。

だいたいのとびらは、とびらのしたにおててをかけて
ちょいちょいすればあきます。
もしあかなければ、とびらにおつめを立ててしっかり
ひっかけ、あんよはしっかりふんばって、ふんぬとします。
だいたいこれでいけます。

また、かしこいねこさんですから、
とびらはあけたままでおわらせません。
ついでなので、しもべにもうひとつ絶望を
おしえておきましょう。

まずとびらをあけたら、ひとりしずかにおねんねするに
もってこいのばしょがないか、なかにはいって、
たんねんにくんくんします。

もしここ、というばしょをみつけたら、
そこでなんじかんでもすごします。

きっと、ねこさんのすがたがないことを不安に
おもったしもべがさがしだすでしょうが、
もちろん、すぐにでていくことはありません。

このとき、はつどうさせておくといいスキルは
”ヒッサツけはいなし”です。

おそらく、しもべがねこさんをさがしているとき、
じっさいねこさんがいるとびらのなかも、いちどは
さがすはずです。

しかし、このスキルをはつどうさせておくと、
しもべにはねこさんがまったくみえません。

よって、しもべは、お宅のどこにもねこさんがいない、
という、絶望をしることになるのです。
これは、しもべにとって、
一生にいちどあるかないかの絶望です。

しらないうちに、おそとへにげてしまったのだろうか。

もしおそとににげてしまっていたら、
みつけてさしあげられるだろうか。

あした、しごとがおててにつくだろうか。
いや、つかない。ゆうきゅう、ゆうきゅうをとるか・・。

なんだって?きょうのよるから雨だと!
いたいけなねこさんが、雨にぬれてしまったら!
あんなに水がきらいだというのに、なんとむごい!
もし、にどと、ねこさんとあえなかったら・・・!
もう、たえられない!

と、このようにかんがえ、ますます絶望はふかまります。

絶望がじゅうぶんふかまり、ささげもののちゅーる
(または最低でもごはん)がよういされたら、
ねこさんは、まんをじして、威風堂々とうじょうします。

このときしもべには、ねこさんが神々しくかがやいて
みえており、ひれふさんばかりです。
ふかった絶望と同じだけ、ふかい感謝の気もちが
しもべにめばえるしゅんかんでもあります。

また、しもべは
「あのとびらのなかをさがしたとき、ねこさんは
たしかにいなかったはずなのに・・・!
もしかすると、このねこさんは、
とくべつな力のあるねこさんなのだろうか・・・?」
ともかんがえます。

もちろん、ずべてのねこさんが、
ほかのどのねこさんとくらべても、
ひとしくとくべつであり、
”ヒッサツけはいなし”は、
ねこさんに標準装備されたスキルということは、
ねこさんにとってあたりまえのことですが、
このだんかいのしもべは、じぶんのねこさんだけが、
とりわけとくべつだと、しんじます。

だいじょうぶです。
このかんちがいはいずれなくなり、
ねこさんがすべからく
とくべつなのだとわかるときがきますので、
ごしんぱいいりません。

ねこさんは、しもべがどのようにかんがえているか
まったく気にとめないふうで、いつものとおり、ささげられた
ちゅーる(またはごはん)をいただいておきます。

そのほうが、しんぴ的というものです。

さて、ここでもうひとつ。

「ねこさんが、とびらをあけてひっそりとしたばしょで
おねんねし、しもべがさがすもみつからず絶望し、
ささげものをよういしたところで、ねこさんがまんを
じしてとうじょうする」
このいちれんのながれをくりかえしますと、しもべは
この絶望になれてきて、もう絶望しなくなりますし、
ささげものもよういされなくなります。

それでも、ぼくは、いまでもときどきやります。

なぜかというと、これは”かくれんぼ”という
あそびになるからです。

このあそびが、ぼくはたいへんお好みです。
もしよかったら、あなたもいちどやってみたらどうでしょう。
やりかたはこうです。

まずは、こっそり(それでもしもべの気づかれるように)
くらがりにいきます。
たとえば、まだだれもはいっていないおふろなどです。

そして、かぼそくしかしはっきりと”にゃぁーン”と
ひとこえ上げます。
これが、かくれんぼのはじまりのあいずです。

そうすると、たいていしもべは、
「あれれ、ねこさんがいないねぇ、どこいったのかにゃー?」
といいながら、”さがすふり”をします。

あちらととびらをあけ、こちらのカーテンをめくるなどして
しもべは、ぼくをさがしています。

ここが、とてもしっぽがビビビビビとなるところです!
ぼくは、おふろばでいきをこらえて、しもべがこちらに
くるのをいまかいまかと、まちかまえます!

そして、
「あれー、ねこさんこっちかなー?」
などといいながらしもべがこちらにきます。
ぎりぎりまで、とびだしたいのをぼくはこらえます。
しもべがおふろのちかくまできた、そのときです!

びゃっといきおいよく、しもべのまえにとびだしてあげます!
さらにぼくは、オプションで”にゃああん”とひとこえあげます。

すると
「ああ!ねこさんだ!!やーん、ねこさん、ここにいたのぉ!
ああ、かわいいねこさん!よかったー、ねこさんがいて
よかったー、かくれんぼしたのねー」
としもべは、たいへんなよろこびようで、
なでなで、ぶちゅっぶちゅをぼくにします。

このときは、たのしくてうれしくて、おひげのねもとも
ふくらんじゃいますよ。

ほそくですが、お宅には、もっとむすうに
”ひきだし”もあります。
これについては、ねこさんがあけるかちのある
ひきだしとそうでないひきだしがあります。
ですので、ひきだし編としておはなしするつもりです。


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*ねこさんのがいしゅつの自由について*

2020-02-21 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。

ぜんかいまでのおはなしのながれから、
このタイミングで、気になっている
”ねこさんのがいしゅつの自由”について、
ぼくのおもうことをおはなしします。

猫語の教科書では、
ねこさんのがいしゅつはねこの独立の
しょうめいのためにも、自由にみとめられるべきであると
いうろんちょうです。

がいしゅつしないということはつまり、
しもべによってとじこめられている、
ということになり、これはつまり
ねこさんの独立をほうきし、
にんげんのいいになりになっていることにほかならない、
というわけです。

そのことは、がいしゅつできないとなげくねこさんを、
そのつもりがないだけのなまけものだと断罪して
いることからもわかります。

しかし、このげんだいにおいて、自由ながいしゅつが
ねこさんの独立のしょうめいとなるのでしょうか。
ぼくは、すこしちがってかんがえています。

みなさんも、おそとのきけんについて、
おみみにはさんだことがあるでしょう。

猫語の教科書のじだいにくらべると、ねこさんの
がいしゅつは、いのちにかかわるきけんがふえています。

まず、こうつうじこです。
くるまのりょうがふえたため、
おおきなみちもふえました。

また、くるまを運転するにんげんもふえ、
ねこさんもしゃくしも運転しますので、
危険なようにしか運転をできないにんげんも
わがものがおでみちをとおります。

なわばりのパトロールをするにも、
くるまがいきかうみちをいくつもこえなければならないため、ちょっとしたゆだんで
にじの橋おくりになります。

さらにみちのほとんどが、季節によってはあっちあちです。
ねこさんの無防備なにくきうはやけどしてしまします。

それに、かくればしょもさまがわりしているのです。

ぜっこうのかくればしょとおもったすきまは、
じつはくるまのなかで、くるまがうごいたとたん、
ねこさんはにじの橋おくりです。

ねこさんがくちにすると毒なものも、
へいきでみちばたにおちています。

よい匂いのするとうめいの”ラップ”や”ビニール”
とよばれるものは、
じつはたべものではないそうです。
おさんぽのとちゅう、
こばらがすいたからといって
お気がるにめしあがってははいけません。

あんぜんなひなたぼっこのばしょとして、
にんきだったやねの上も、
さいきんはのぼれるお宅がすくないですね。

いぜんのように、あしばとなる”へい”や、
まどの”ひさし”がないからでしょう。
敵にわずらわされずのんびりできるところが
減ってしまいました。

さいだいの敵であったのら犬は、
すっかりいなくなりましたが、
そのかわり、ぼくのお宅のちかくには、
のらヌートリアやのらアライグマが
でるようになりました。

ぼくなどは、このようなきけんあふれるおそとに、
ねこさんの独立のしょうめいのためでかけていく
よりは、しもべをしつけ、かいてきなお宅を
おててにいれることの方が、
ねこさんの独立のしょうめいにもなり、
かつ、ねこさんの真のすばらしさのあかしにもなると
かんがえているわけです。

とくにぼくは、おはなししましたように、
おそとにでますとライオンさんになってしまいます。
ライオンさんのまま、きけんあふれるおそとを
かけめぐりましたならば、ぼくはじきに、にじの橋
送りになるでしょうね。

ですのでぼくは、お宅の中がかいてきなら、
おそとにはいけなくてけっこう、というねこさんです。
ぼくは、おそとにでる自由を、ぼくの方からおことわり
したのです。

そのかわり、お宅をかいてきにするために、かなりの
むちゃを、れいのネットワークにおねがいしたものです。

そのあたりは、またいずれおはなしすることにしましょう。

じかいからはほんだいにもどり、
しもべの育成についておはなしします。
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*ライオンさんになってしまったら*

2020-02-19 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう

こんかいは、ライオンさんになってしまったとき、
ぼくにもどるほうほうについておはなしします。
ライオンさんになってしまい困っているねこさんは
ぜひさんこうにしてください。

ライオンさんになってしまったとき、
ぼくにもどるほうほうは、たったひとつです。
それは、ぼくの匂いたちにかこまれることです。
そうすることでしだいにぼくは、ぼくだったことを
おもいだすことができます。

これはよそくですが、あまりにライオンさんの
じかんが長くなりますと、にどとぼくにはも
どれなくなる気がしています。

ですので、お早くお宅にもどって、ぼくの匂いを
せっしゅしなければならないのです。

しかしライオンさんのぼくは、
お宅がどこかなどまったくしりませんね。

たとえば、兄がしてくれたようにお宅のドアをあけて、
ほんのりぼくの匂いがしたならば、ぼくはほんのうで
お宅にもどれるようです。

もしぼくの匂いがとどかないところまで
行ってしまったら、それはしもべがなんとか
するしかないでしょうね。

むかし、こんなことがありました。

ぼくと兄がまだごいっしょのお宅にいたころ、
げんかんのドアごしに、ぼくたちにけんかを
うるねこさんがいました。

ぼくと兄も、げんかんのこちらがわで、
ドアの前でいったりきたりしながら、
こぶしをあたためていました。

そのときしもべが、ばたばたとやってきて
「ちこくするー」
などといいながら、ドアをあけました。

そのしゅんかん、いつもはおだやかな兄が、
びゃーっとおそとにはしりだしてゆきました。
ぼくもつられてびゃーっとはしりだし、
ライオンさんになりました。

ここからさきのことは、
ぼくはおぼえていませんから、
兄からきいたことです。

兄はよそのねこさんをおいかけて、
マーオマーオからの
ギャフベロハギャベバブジョハバを
やりました。

兄がいうには、しもべもさんかしてきたらしく、
兄とよそのねこさんは、しもべのぶざまなありさまに
すっかりやる気をなくし、そうそうにいちじ停戦となり、
兄はすぐにお宅にもどったそうです。

しかし、ライオンさんのぼくは、闘いがおわったあとも
おかまいなしに走りまわり、そして、ぼくはあまりに
ながいことごじぶんの匂いたちからはなれてしまいました。

ぼくは、かんぜんに野性と化したのです。

しげみにかくれて、しもべにうーうーうなり、
しもべがちかづこうもうなら、ぴゃっとにげて
本気のシャーをおみまいしたようです。

このあとしもべは、お宅で、ねこさん用かつぶしと
ねこさん用かにかまをいれたおさらをいくつか用意しました。

兄はゆめでみていた、かつぶし・かにかま祭りが
ついにかいさいされたと気づき、しっぽっぽのビビビビビが
とまらなかったといっていました。

兄はかつぶしにおめめがなく、かつぶしをいただくのに
むちゅうだったようですが、兄はそのおさらたちを、
しもべがおそとにもっていくのをみたそうです。

つまり、しもべはヘンゼルとグレーテルほうしきで、
ぼくのいるしげみからお宅まで、そのお皿を
てんてんとならべたのでした。

一ついっておきますが、本当のことです。

これはしもべが、のちのち、とうじお宅いた、
もうひとりのしもべにはなしていたので
わかったことです。
「まさか、せいこうするとはおもわなかった・・・」
としもべはいっていました。

もちろんぼくですから、そのまさかをやってのける
ことができるのですね。えへん。

次にぼくがぼくと気づいたとき、ぼくはお宅で
ねこさん用かにかまを、たいりょうにいただていました。

おもうぞんぶん、かにかまをたべられたのは
あのとききりです。

とくひつすべきは、このじけんは、ぼくがしもべの
お宅にまねかれて、4年はたったころだったのです。

ぼくもふんべつのあるおとなのねこさんでしたし、
お宅もずいぶんかいてきになっていましたし、
しもべにもまんぞくはしていないものの、
重大なごふまんはありませんでした。

それでも、いったんライオンさんになってしまうと
しもべのこともわからなくなってしまうのです。

ですので、ライオンさんになってしまうじかくの
あるねこさんは、そのあたりをしもべにもわから
せておくことを、わすれないようにしてください。
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*ライオンさんになるということ*

2020-02-17 | 日記
ねこのみなさん、ごきげんよう。


本題からはそれますが、こんかいは
ライオンさんになるということについて
くわしくおはなししようとおもいます。


というのも、ぼくとおなじようなしょうじょうが
でるねこさんがほかにもいるかもしれません。
どうしてかふしぎにおもっているねこさんに、
ぼくの考察がおやくにたつかもしれないと
おもうからです。


ぼくは、おそとに出るとライオンさんになって
しまいます。


しょうじょうとしては、まずひとつに、
あ゛ぁおぉーんとほえます。
やたらめったらにはしりまわります。
かいぬしのことはわからなくなり、ただの
にんげんにしかみえなくなります。
ライオンさんの間のきおくはありません。
(ですので、これらのしょうじょうは、兄やかいぬし
からおしえられたものです)


なぜこういうことがおこるかということを考えますと、
まず、ぼくは自由ねこさんとしてうまれましたが、
かなり高貴なたちのようです。おうじさま気しつなのですね。


ですので、ほこりがあったり、菌でよごれているような
ところは、おぞましいあれこれが、みえたりきこえたり
てしまいます。


また、ごじぶんのにおいが至高なので、ごじぶんの
においでないのものは、お好みではありません。
ごじぶんの匂いでないものでゆるせるのは、
かいぬしの匂いとごく身近なねこさんたちの
匂いだけです。


なので、かいぬしがかってくるぼく用のあれ
これには、こまることがあります。


下僕は、ねこさんのためにしきものをかいました、
ふかふかをかいました、とあれこれもってきます。
そのしせいはたいへんほめてつかわしますが、
しょしんしゃのころは、かってきたなり、
そのままどーんとぼくのまえにおくのです。


かったままのそれらは、ほこりや菌にまみれて
いますし、ぼくの匂いはついていないどころか
もう、かぞえることもできないほどしらない
匂いがべっとりついているのです。


ぼくの匂いにするためには、ぼくがすりすり
したり、けりけりしたり、ぺろぺろしなければ
なりませんが、なにしろほこりまみれですから
そんな気にはなれません。


ぼくの手入れのいきとどいた毛まみれに、
きたないあれこれがつくなんて、そうぞう
しただけでげぼがでます。


ですので、じっさいげぼをします。


すると、下僕はあらったり、ふいたりしますから
それでようやくぼくの匂いまみれにすることが
できるというわけです。


ぼくは、ぼくの匂いにかこまれ、おぞましいもの
のないせかいでしか、平常を保てないのです。


このように、ぼくは高貴なたちなので、
おそとなど、ほこりや菌にまみれた、
しらないにおいだらけのところに行ったら、
げぼどころではすみません。


おつむは混乱し、おめめはわまります。


ですので、ライオンさんになるのです。


ライオンさんという、ぼくではないものになって
ぼくではたえられないことをのりきろうとするのでしょう。


だいたいにおいて、おそとにでたしゅんかんに
おつむが混乱し、おめめがまわります。
ここまではきおくがありますが、つぎにぼくの
きおくがもどるのは、お宅でおいしいおやつを
いただいているところです。


なんどかライオンさんになるけいけんをしたことで、
どうしたらライオンさんからぼくにもどれるか、
わかったこともありますので、次回はそれについて
おはなしします。

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