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移ろいゆく日々

移ろいゆく日々
気にとめたことを忘れぬうちに

科学論入門 佐々木力

2022-09-12 20:41:45 | Weblog
数学者から科学史家に転じた著者が、看護師養成の学校での講義録を岩波新書に書き下ろした本、1996年初版なので、すでに四半世紀を経たものである。手元の本は、2014年3月の第16版である。氏は米国留学ではクーンに師事し、西洋近代史を専門にするが、数学者の視点から、アリストテレスよりユークリッド、フランシス・ベーコンやデカルトに軸足があるように思われる。科学技術論と社会科学との関係であれば、マルクスを必ず視座に入れる。Wikipediaによると、彼は死語の感もあるトロツキストらしい。少なくとも西洋的資本主義経済を否定して、社会主義的発展が環境問題などの解決に導く科学的技術(彼は科学的テクノロジーと呼ぶ)を倫理を持って遂行できる政治的形態という。若いときにはまってしまうと、学問の高みに届いても、そこは抜け出せないものらしい。
この本自体は政治的記述は限定的で、氏の科学史家としての有益な論点に親しめる。例えば、ゲーデルの不完全性定理を数学者的に的確に高く評価した上で、誤った援用には批判を加える。そのゲーデルの先進性を理解し得た天才数学者として高名なフォン・ノイマンに対しては、倫理的観点から辛辣な批判を加えた上で、そのような例を「フォン・ノイマン問題」と名付けてしまう。確かに天才数学者が思想家として優れているかと言えば、さにあらず。科学技術が社会の発展に資するためには、優れた倫理観による運用が必要であることを指摘する。その論拠として、原子力発電、脳死と生態移植、そして地球環境問題を論じる。これらは今も論じられる大問題であって、四半世紀前に我が国で論じられることはなく、今も議論と思想の視点を「輸入」に頼っているように思われる。

AIの道徳

2022-07-27 20:42:00 | Weblog
3年前に出版された「AI以後 変貌するテクノロジーの危機と希望」という本を読んでいる。NHK番組の新書化であるが、AIの倫理とか意識についてのインタビュー記事だ。AIの倫理と言えば、AIに判断を任す社会では責任は誰にあるのが、という問いが浮かぶ。自動運転車の事故は誰の責任かというやつである。でも本書に出てくるウエンデル・ウォラックは一歩踏み込んで、AIに倫理を教えるという。
倫理と言えば浮かぶのは、マイケル・サンデルの「正義の話をしよう」だ。日本にはない、とても面白い議論だと思った。多人種の多文化国家であるアメリカにおいては、共通の倫理を見いだすのが難しい。だからアメリカ20世紀の哲学者、ジョン・ロールを下敷きにして議論を繰り広げるというものだ。ただその時に得られる結論は、日本仏教と神道の素朴な倫理観から得られる結論とあまり差がないと感じた。労多くして実り少なしと思ったのだ。
しかしAIが根幹を担う社会で、AIにモラルを教えるとなると、正義とはという先の議論は役立つように思われる。日本のように、ふわっとした認識に立ったモラル、哲学者や宗教家が言語化しないモラルでは、AIのモラルという新しい問題にはその解決は見いだされない。日本には知の集積が足りないと強く感じた。この本にある議論は、3年後でも日本では行われていない。これもまた問題と思われる。

国葬の政治判断

2022-07-15 17:52:10 | Weblog
安部元首相が銃撃されて亡くなる衝撃的な事件から、一週間がたった。政府は氏の国葬を考え始めたらしい。国葬となる基準はと問うてもあまり意味はない。最近の海外情勢の中、氏の衝撃的な死は世界に、特に政治の世界に一つのきっかけを与えることになった。政治の手段としての国葬、この側面で捉えれば、これは政治判断である。安部元首相も政治利用されるのであれば、これもまた政治家として諾とするのではないか。国葬の是非ではなく、国葬が政治利用できたかどうかで、岸田首相の仕掛けた国葬の真価が問われる。

節電要請と省エネ

2022-07-06 21:50:56 | Weblog
今年は東京電力管内で電力の予備率が数パーセント、ということで先週は大々的に政府から節電要請が発出された。電気料金はどんどん上げて、安定供給が出来ないことは批判に値するが、けしからん~から節電しないのはちと了見が狭いと思う。節電は世のため人のため、ホントに電気が必要な人や病院に途絶えさせないため。それに電気代を浮かして、良い消費につなげる方が良いでしょう。どこかの在京放送局が、家庭の電力消費の主因にテレビがあることを隠したニュースを流したらしい。姑息を絵に描いたような話である。東京にはほとんど店舗がないダイエーグループは、今夏は関西で屋外照明を落とす取り組みをする。これはシンボリックで良いかな。NHKのニュース番組は照度を落として報道する。効果のほどはゼロに等しいだろうけど、色の再生が悪くなるのかもしれないけど、個人的には色にこだわりはないのでOKだ。今の夜間の電力は火力が中心なので、CO2排出抑制と高騰する化石燃料の節約につながる。何より首都圏の節電は東京電力の売り上げ抑制につながる。ついでに全国的に節電したら良い。どこかのタレントが、政府の節電要請は気に入らんから節電はしない、といったらしいが、批判の方向が違うように思う。この夏は節電の夏、消費は良い消費にしたいものだ。

やぶ医者大賞

2022-06-26 07:52:53 | Weblog
世に眉をひそめるようなニュースが多い。ネットの記事を見ていると、表題のようなものを見つけて、どのような怪しげな医者がいるのだろうと思ってみると、男性二人の顔写真とともに、およそ次のような記事だった。一人は地域医療が脆弱なところで、ドクターヘリによる緊急医療に尽力し、もう一人は広島の医療過疎地で尽力している名医の方々だ。そう、元々のやぶ医者の意味が、兵庫県養父地方の出身の医者に名医がいたことに因んだ、地域医療に貢献する医者を評する賞だったのだ。ユーモアにくすりとさせられたとともに、この賞に選ばれた先生に敬意を表したい。そして、このような先生方が、体を壊されることなく、存分に腕を振るえる社会を目指したいものだ。来月7月10日は参議院選挙、選挙の投票もその微力ながらの一歩だ。

マグマの地球科学 鎌田浩毅

2022-06-18 09:42:01 | Weblog
好きなテレビ番組の一つにブラタモリがある。過剰なチャンネル数の埋め草の海外製ドラマに受信料を払っているわけではないぞ、と思うのだが、たまに面白い切り口の番組を創ってくれると、受信料を値下げしてくれれば、公共放送も大事かと思わないでもない。この番組の魅力は町や自然の成り立ちを地学をつかって教えてくれるところで、タモリさんのびっくりするくらい深い地学の知識がその魅力の呼び水になっている。さて何か身近に学べる本がないかと思っていたら、鎌田先生の本書にようやくであった。刊行は2008年なので、14年ほど前の本になる。先生は火山学者、地球科学者であるとともに、アウトリーチにも取り組んできた学者である。なので地球科学、プレートテクトニクスや地球内部の構造、マントルから生まれるマグマ、火山、自然災害から地熱エネルギー、地球気候変動問題まで広い範囲まで分かりやすく解説された入門書になっている。14年前の本とはいえ、理解の基本となることがしっかりと書かれており、とても勉強になった。今の世の中は、倫理や思想の点からも自然科学の正しい理解と、そこに立脚した考えに裏付けされた対応が重要である。感染症への対応でもそうだが、怪しげな思想やえせ科学の類いに惑わされない理性の態度が極めて重要な時代なのだ。その上で創造と芸術が花開くことを願ってやまない。特に地球科学は長い視座を持って、目先の経済的利益に惑わされない思想を涵養出来る学問である。日本は4つのプレートの上に成り立つ島国で、気象や地震、火山噴火など災害は常に起こる国であることから、地球科学の視点は何よりも大切である。そのような考えを巡らせるにあたって、本書は極めて有益で学ぶべき一冊である。

福屋警部補の再訪 大倉崇裕

2022-06-13 20:28:07 | Weblog
ある世代以上は土曜日の夜には、一家団らんを殺人事件とともに過ごすという時期があった。70年代の後半から80年代の前半にかけて、だったと思う。そう、刑事コロンボシリーズを長らくその時間帯にやっていたのだ。はじめに犯人による殺人があって、その後によれよれのコートをまとった風采の上がらないコロンボ警部が、独特の話術と鮮やかな推理で犯人を追い詰めていくというものだ。何が犯人を特定する決め手になるか、がその醍醐味になる。従って犯人もインテリや上流階級、名のある人物であって、それを冴えない小男のコロンボ警部がやり込めるというところが、一種の快感とも言える作品だった。
この倒叙法を採用してコロンボ作品をリスペクトした本が福屋警部補シリーズ、記事名はその二作目である。2005年頃はコロンボシリーズの雰囲気を忘れていて、一作目の福屋警部補の挨拶を読んだときは、面白くはあったが、そこまでのオマージュは感じなかった。しかし、またBSで再放送しているコロンボシリーズをみて、表題の本を読んでみると、大倉崇裕氏がいかに丹念にコロンボを下敷きにしているかが読み取れて、とても面白かった。そして~挨拶を読んだときに、オッカムの剃刀なる言葉も覚えたことを思い出した。
それにしても70年代のロサンゼルスの金持ちは豪勢な暮らしぶりだなと思う。子供心に何時かはあんなふうにと思ったものだが、さて今の日本であんな暮らしをしている人はどのくらいいるものか。実はあの頃よりも豊かに暮らしてはいないような気がする。そういえば、福屋警部補シリーズも、あのロサンゼルスの金持ちの暮らしぶりは、犯人たちにさせていないように思われる。

ココロ・ファインダ ちょっと前の本

2022-06-06 20:30:13 | Weblog
表題の本は相沢沙呼の三作目になる。雑誌への初出は2010から2011年、単行本は2012年なのでもう10年も前の本になる。光文社文庫でアイドルグループの装丁がつけられた2020年度版が手元にある。著者は若い女性を主人公にした本が多く、本作も写真部の4人の女子高生、がそれぞれの章の主人公である。女性をやや美化した、つまり生理や生々しい感じを抑えたきらいはあるが、思春期の思いの揺らぎとカメラ・写真技術や光学的な描写と日常の謎を上手く収めている連作小説のように思う。4章目は謎そのものよりも、進路の岐路にさしかかった青春の迷いのほうが大きくて、ミステリの味わいが薄いようにも思うが、相沢沙呼の初期の作品として、世間でもう少し読まれても良いように思われる佳作であろう。

虚構推理を少しだけ語る

2022-06-05 17:41:07 | Weblog
このブログの本に関する記事は、基本古めである。限られた時間の中で、いろんなジャンルの良いものを読みたいという動機があって少し前の話題作や、古典が多くなる。表題の「虚構推理」は2011年の作品、文庫化は2015年、アニメ化は最近で、アニメから本作にたどり着いた形になる。今さらなのだとも思うが、推理小説の一つの行き着いた形であろう。
怪異が出てくる推理ものなので、西尾維新の物語シリーズと通じるところはあるのだが、前提となる怪異と現象を認めてしまうと、論理思考に基づく推理ものになる仕掛けである。殺人事件はあるのだが、犯人はわかっており、しかも何故犯行が行われたか、などは解き明かされない。おそらくは読者も途中から、興味はどのようにして犯人を追い詰めるかの一点に関心が集まるようになるだろうし、そこに関心が向かわないようだと、読みとおすことはしないかもしれない。
推理小説は虚構の中にあるものなのだろうけど、それにしても謎解きの対象は、いかにして犯人を追い詰めるかにあるわけで、しかも虚構と実像の入れ替わりが肝にあるという、他に類を見ない小説に仕上がっている。

旅のラゴス 異世界ものの原点?

2022-05-11 18:37:36 | Weblog
ラノベやアニメでは異世界もの月の一大ジャンルを形成している。その原点はファミコンのゲームにあるのは疑いないのだが、さらに元をたどればSFになる。広く見れば、レンズマンのようなスペースオペラやターザンものも異世界ものなのだが、狭義には主人公が「転生」して別世界に至るというパターンだろう。その異世界は魔法を使えたり、ホビットやエルフが出てきたりすれば、その典型となる。表題の「旅のラゴス」は筒井康隆が1984年からSFアドベンチャーに連載した物語で、新潮文庫版を手に入れて読むことが出来た。読み出したときに、「あっ、異世界ものだ」と思ってしまったのが、この一文を書くきっかけになったのだ。
表題のとおり、主人公ラゴスが異世界といえる世界を旅する物語だ。いきなり空間の転送や動物との感応といった異能力が出てくるし、地球上のどこかを思わせる記述もない。人間世界ではあるが、文明度は産業革命前、文字はあるが印刷や内燃機関はなく、奴隷がいたり、都市国家よりも小さい町や村が出てくる。異能力があるからか、宗教色は薄く不思議な文明度である。その理由は後である程度は解き明かされるが、多くのことが説明される訳ではなく、伏線回収を楽しむ小説ではない。新潮文庫版では驚いたことに、解説を村上陽太郎が書いている。僕と必ずしも同じ視点ではないが、この解説もまた示唆に富むものであった。
筒井康隆は、好きな小説がいくつかあって、七瀬ふたたび、や文学部只野教授、ロートレック荘殺人事件などSF、ユーモア、推理など多岐のジャンルにわたる。でもこの小説は知らなくて、題名だけで手にした小説である。掌編よりは長い連作短編集であり、このラゴスの旅は空間だけではなく、時間でもある。村上先生曰くの、ビルディングスローマンスとも言えなくもない。でも荒唐無稽から物語を紡ぐとすれば、今の異世界もの、良質なという形容詞は必須だが、と通ずるところ、原点をみるような思いがした。おすすめの本である。