数学者から科学史家に転じた著者が、看護師養成の学校での講義録を岩波新書に書き下ろした本、1996年初版なので、すでに四半世紀を経たものである。手元の本は、2014年3月の第16版である。氏は米国留学ではクーンに師事し、西洋近代史を専門にするが、数学者の視点から、アリストテレスよりユークリッド、フランシス・ベーコンやデカルトに軸足があるように思われる。科学技術論と社会科学との関係であれば、マルクスを必ず視座に入れる。Wikipediaによると、彼は死語の感もあるトロツキストらしい。少なくとも西洋的資本主義経済を否定して、社会主義的発展が環境問題などの解決に導く科学的技術(彼は科学的テクノロジーと呼ぶ)を倫理を持って遂行できる政治的形態という。若いときにはまってしまうと、学問の高みに届いても、そこは抜け出せないものらしい。
この本自体は政治的記述は限定的で、氏の科学史家としての有益な論点に親しめる。例えば、ゲーデルの不完全性定理を数学者的に的確に高く評価した上で、誤った援用には批判を加える。そのゲーデルの先進性を理解し得た天才数学者として高名なフォン・ノイマンに対しては、倫理的観点から辛辣な批判を加えた上で、そのような例を「フォン・ノイマン問題」と名付けてしまう。確かに天才数学者が思想家として優れているかと言えば、さにあらず。科学技術が社会の発展に資するためには、優れた倫理観による運用が必要であることを指摘する。その論拠として、原子力発電、脳死と生態移植、そして地球環境問題を論じる。これらは今も論じられる大問題であって、四半世紀前に我が国で論じられることはなく、今も議論と思想の視点を「輸入」に頼っているように思われる。