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移ろいゆく日々

移ろいゆく日々
気にとめたことを忘れぬうちに

母子家庭の貧困

2013-05-25 11:11:12 | 社会・エコロジー
 ここから記すのは、今朝のNHKの番組を見ての印象で、全く統計などの根拠を見ずに述べるものです。
 貧困率という数字があって、日本の母子家庭の貧困率は55%、先進国の中でも格段に高い(他国は高くても20%前後)こと。それで良いのかと言う主旨の番組でした。60歳代からの視聴者からの意見も紹介されていて、「昔の子供達はもっと貧しかった」「自助が足りない」ともありました。専門家からは、現在の貧困の質、子供達がおかれている環境の説明があって、緊急に取り組むべき課題だとの意見でした。
 貧困率という数字は、ある国や地域で平均収入からある範囲を下回る収入の世帯を示す割合で、前掲の年輩の方の意見とは矛盾しない。過去と比べると豊だけど貧困、ということになります。一方で貧困って絶対的尺度ではなく相対的、あいつ金持ちだよな、やつは貧乏だなという程度のものです。しかし、相対的であっても貧困は、子供達の教育や情操に影響すること大です。次世代を担う子供達を育てることは社会としての責務でしょう。
 さて、もう一つ過去と異なるのは、貧困の固定化です。現実問題として女性の方が収入が少ない、子供を養育しながらでは仕事が限られる(これは男性にも当てはまる)ということがあります。親の年収が子供の養育環境に繋がり、次の世代も低収入という悪循環になります。ここで、年収が低いと豊かな生活とは言えないという論点は、別の話としておくことにします。
 家人が偶々教育に関わる仕事環境ですので、その話を聞いていると、やはり片親の子供達は一般に貧しいようです。また土地柄祖父母が子供を育てている家庭も無視し得ない数あるようです。たまに新聞で話題となる、公的補助の給食費をパチンコ代に使う親なんていうのもままあるようで、先に挙げた悪循環の一例です。
 さて社会が、つまり国や地方自治が税金を使って支えるべきは誰か、という話です。単純に働けない人、今は働けないけど何時かは働ける人の二つで括れると思います。働かない人はその範疇ではなく、これは議論を別にします。
 働けない人は、さらに2つに分けられます。働く年齢でない人、そして障碍や病気の人です。前者が子供や老人ですね。働けないけど何時かは働ける人には子供、成人の今病気や障碍をかかえている人。子供は成人すれば当然次の社会の担い手ですし、病気や障碍の人は治ったり解消される要因ができれば、それに応じた働き手になれるわけです。
 上記を考えたのは、税金を使う訳ので納税者の公平感が必要だからです。さてそうすると、子供はやはり上に述べた2つの理由から厚く福祉の対象になるべきです。働けない(=自助は出来ない)、でも次の社会の担い手であるからです。だから母子(父子)家庭の子供の教育と医療扶助の充実が大事で、それに直接お金が使われる仕組みが必要です。
 さて、そうなると先の貧困率の算出にあって、このような仕組みがどのように反映されているのか、そこがわかりません。それを含めても貧困率55%なら由々しき事態です。含めなければ事態の把握ができません。
 女性の年収が低い話、これは関係はするのですがまた別の話。残念ながらその解消には相当の時間と社会の変化が必要です。それはそれで対応が必要なのですが、今の子供達の直面する貧困という課題に対応するには、国や行政は教育と医療扶助に徹するべきです。この時、現金給付はいけません。心ある親は現金は望んでいませんし、心ない親、心弱い親は他に使ってしまいます。お金と心の話は、また議論の尽きない話題です。

研修生制度という悪習を断ち切ろう

2013-04-07 12:00:33 | 社会・エコロジー
 一次産業、二次産業を中心に国内では、研修生制度が行われて久しい。一次産業である農業や漁業や、中小の工業では、腕のある優秀な人材によって成り立っている訳で、海外の若者に学んでもらうことも多い。一方で国内ではその人材の確保がままならないことから、海外の若者を研修生として働いてもらおうという制度、素人理解ではあるがさほど間違いではあるまい。
 しかしながら、移民を受け入れていない我が国では、研修生は結局のところ安価な労働力でしかなく、研修という名の元に不当労働行為の温床になりかねないことも当初からわかっていたはずだ。一方で、海外からの研修生の中には犯罪予備軍のなるであろう不良も入国する可能性があって、現に広島ではいじめられたという誤解から8人もの人が死傷されるという痛ましい事件も起きた。
 研修生を受け入れても国内で長く働いてもらう仕組み、あるいは選択肢がなければ、それは安価な労働力でしかなく、国内産業の振興や経済の発展には何ら寄与しない。面倒でも、本来は日本の若者を後継者として育成しなければ、その産業、業種、事業は撤退または衰退せざるを得ない。一方で働く海外の若者からみればどうだろうか。ワーキングホリデーのようなものと割り切れれば個人的には良いだろうが、実際には国に帰れば優秀な労働力なのだからそれを我が国で使うのは良いことなのだろうか。もちろん、技能を習って磨いて、帰国してから、一業を起こしてもらえば真の友好になるのだが、そのような好例はあまたあるのだろうか。
 単なる研修生制度はあらゆる意味でその場しのぎの悪習に思えてならない。

アベノミクス 私考愚考

2013-04-07 11:29:20 | 社会・エコロジー
 自民党安部内閣が発足して、百日。その経済政策を報道は、アベノミクスと称している。前民主党野田政権最末期から上昇に転じた株式市場は、日経平均8000円台後半から、6ヶ月を経ずして1万3000円台を窺うまでに伸張した。また一時期80円台前半まで進んだ円高は、欧州の経済不安が決して解消されたわけではないが、金融の量的緩和への期待感というか投機的な動きもあって90円台後半にまで円安に転じた。
 この経済政策の一つの山場が日銀総裁人事とその後の第一回金融政策決定会合にあって、日銀の大幅な量的緩和から短期的には株式市場の上昇および円高の裏づけを与えたものとして、評価されているように思う。
 安部内閣の経済政策は、実は実態としての政策というより、その政策の方向性を明確化したに過ぎず、また政策によって株式市場が持ち直したというよりも、実体経済と比して極端に評価が低かった日本企業の実態に即した形での株式の上昇と見るべきであろう。その時期が良かったという点で、僥倖であったとみることもできるし、機を逃さなかった点での一定の評価はなされるべきであろう。
 株式市場が上昇に転じて上場各社の株式評価が上がったことは、金融や投資市場への好刺激や3月末決算の好転をもたらしたので、景況感の底上げに寄与したと思われる。
 したがって、真に実体経済の好循環をもたらすには、この半年での実需としての内需の拡大に繋がるかだろう。残念ながら、業種にもよるが製造業の見通しは必ずしも楽観的ではなく、設備投資は限定的もしくは抑制的だ。したがって、消費市場の”気分”にも多分に左右されそうに思える。年度後半には消費税増税を見越した需要や消費動向が予想されるので、この半年が重要になると思われる。
 他の懸念材料は、欧州信用不安動向と、中国経済の綻び、それに資源エネルギーの世界的高騰と円安に伴う国内価格の上昇だ。円安は小麦など輸入穀物価格の上昇も誘発しており、消費者物価上昇、つまりインフレが必ずしもデフレ脱却の本質ではないことを認識すべきだ。デフレ脱却の本質は市場の拡大であるべきで、高齢化社会が進む我が国では、消費拡大は難題であることは自明なのである。
 安部内閣は、ここまでの経済政策には幸運を掴んでの及第点を与えられるが、真価はこの半年の運営で問われると思う。

福島原発の電源故障に関するマスコミの傲慢

2013-03-20 09:44:39 | 社会・エコロジー
 福島第一原発で、電源故障による燃料プールの冷却機故障が報じられた。このこと自体は大きな問題であって、報道で取り上げるべきことだろう。
 ところが、その論点にマスコミの傲慢をみた思いがする。事の発端は、3月18日に分電盤の不良から電源故障があって、1号、3号と4号の燃料プールの冷却が一昼夜以上止まったことだ。言うまでもなく、その問題点はなぜ電源なり、冷却器なりの二重化、冗長化がなされていないことにあるのは明かで、ネットでも専門家のみならず多くの人達がしてきしていることだ。その様な事態にまた地震や津波があれば、どうするつもりなのだろう。
 ところが、マスコミの論点は、「何故公表までに3時間も要したのか」という自分達の利益だけの追求になっている。これが国や原子力規制委員会、地元自治体への報告が遅れたのなら問題だが、それは約10分後には事態報告がなされたようだ。この報告後に事態を把握できないままに直ちに公表するよりも、3時間かけてより詳細な情報を踏まえて3時間後に公表することは、公益に反することはなく、許容の範囲だ。
 マスコミの傲慢をみるにつけ、自分達の使命を棚に上げて、自己の利益、センセーショナリズムに安易に走ることに苛立たしさを感じる。あるいは彼らはわざと論点を外すことで、知られたくない事実を目くらましをしている某かの権力にすり寄っているかと勘ぐってしまう。

娯楽番組の虚実

2012-10-20 16:31:30 | 社会・エコロジー
 鈴木拓という芸人が「逃走中」という娯楽番組の中で、制限時間までにゲームを自発的にやめる、いわいる「自首」をしたところ、彼のブログだかツイッターだかが炎上して、閉鎖に追い込まれたんだそうな。
 子供がたまに「逃走中」をみているので、何となく一緒にみてて、家人とともに出演者に「へたれ」とか「やるな」とか言ったりして見ている。しかし、視聴者はそもそもこのような娯楽番組に何を見ているのだろうか。
 娯楽番組は、番組を製作する中で虚構の上に成り立っている。たとえば、この「逃走中」は、出演者が遊園地やショッピングモールなどの限られたエリアの中で、時間内に捕まらなければ賞金が得られるという、番組上の「鬼ごっこ」だ。出演者にはカメラマンなどスタッフが張り付くので、数人単位で動いていることになり、おそらく真に鬼ごっこは難しいであろう。追っかけている鬼(名前が付いていたと思うが忘れた)にしたって、増えたり減ったりなので、実際に鬼ごっこのように探して捕まえている訳ではあるまい。
 そもそも娯楽番組といえども、台本があって、演出があってとするわけだから、その中で視聴者が面白くみられれば良い番組といって良い。その中で、ちょうど件の芸人は「自首」すれば面白い展開が得られるということで、「自首」したわけだ。
 だから、彼はこの虚構の範囲内で、へたれで人でなしと非難を浴びることになる。あるいは、この虚構の広がりは、彼の番組だけでなく他局も含めたテレビ、娯楽番組の中で「へたれ」なヤツという、ネガティブな評価をもらえればよい。そのことに彼自身が良しとしているかも知れない。
 ところが、テレビの枠を超えてその非難がおよぶとなると、この娯楽番組の虚実の境界を踏み越えたことになるように思う。それとも、今の時代は、テレビとネットワークの境は曖昧で、視聴者をも巻き込んでその範囲まで虚構がおよぶというのだろうか。
 娯楽番組といえば、今もたまに見掛けるが「熱湯風呂」といって、「熱湯」のはった透明な湯船の中につかって熱がる芸人などの様子をみて喜ぶというものがあった。今のなっては、熱がらない「芸風」の芸人なんかもいて、裏返しの見せ方をしたりする。
 視聴者となる一般市民が、公序良俗に反する「卑怯な振る舞い」を是認するような世の中、白けた世相であってほしくない。一方で、娯楽番組の虚実をわかるぐらいの心の余裕も欲しい。 

政府のエネルギー政策

2012-09-12 21:17:50 | 社会・エコロジー
 ここでは、政治というよりもエネルギー問題という観点で、近々発表される政府のエネルギー政策基本方針について書きたいと思う。報道内容は、リンク記事のほかNHKラジオの夜7時のニュースで聞き取ったものなので、記憶違い、聞き違いがあるかもしれない。
 その内容は、「2030年までに原発停止を目指して代替出来る自然エネルギーの開発を行う」「代替エネルギー確立まで、安全の確認された原発は稼動させる」というものだ。この2点については、このBlogでも書いてきた愚考と一致するもので、ひとまず評価したい。
 評価できる点は、特に二つ。一つは原発停止をエネルギー政策の一目標として掲げたこと。もう一つは、代替エネルギー確保までは安全取り組みを行いながら原発を動かすことを明言したことである。前者は、自然災害、とりわけ地震の可能性を抱えるわが国、人口密度が高い国土を考えると、原発を安全に立地できる場所がないことが理由である。福島第一原発の現状をみても、直接の人身事故がなかったのが奇跡的で、半径30km圏内のかなりの地域は、長期間使用できないことが予想される。さらには、廃炉に向けて非常に長い期間、莫大なコストをかけて管理せざるをえず、トータルとしての原発コストは高い。後者は、現在代替エネルギーはないことを考えるあわせ、今リスクをとらざるを得ないことを明言することが大事だからである。この場合は事実を明言することで、危機の認識を持ち続けるとともに、電力不足という別の意味での最悪の事態に陥らせない決意を示すことができると思う。
 さて、この政策も不備不足は多い。一つは代替エネルギーが、自然エネルギーに偏りすぎていることである。自然エネルギーによる発電は将来にわたって高コストであることは間違いなく、国の競争力を著しく阻害することを理解しておかなくてはならない。まずは限りある化石燃料による発電、すなわち石炭火力と天然ガス火力をより効率の高い次世代、次々世代型への置き換えを促すことが重要だ。市民生活の意識改革をはかり、徹底的な節電と低温熱源の有効利用のためのインフラを整備する、すなわち貴重な電力、電気エネルギーを冷暖房などに使わない取り組みが必要だ。送電ロスは大きいので、電源立地を消費地に隣接させて、スマートグリッドによる給電体制を整えることだ。これは国土が狭く、人口が密集している日本では先の低温熱源利用とともに最も重要な視点だ。では自然エネルギーはどう使うか。これは、低圧交流に変換しないことで変換ロスを回避するその場消費である。たとえば、市役所などの公共設備は、太陽光・熱発電を屋外に設置して、スタンドアロンで冷暖房に直に使うというやり方だ。発電所から遠隔な地域や離島なども立地によっては自然エネルギーを利用できるはずだ。ただし、それでも自然エネルギーの全発電量に対しての割合は3%にも満たないのではないかと思う。
 もう一つ足りないのは、放射性廃棄物の最終処分と廃炉の維持管理のための原子力政策、科学技術開発それに教育への投資だ。原子力産業そのものは、立地可能な諸外国にはどんどん売ればよい。重要な産業と位置づけるべきだろう。研究者、技術者がいなければ、原子力は安全ではなくなる。たとえ原発を全廃したところで、廃炉と放射性廃棄物、それに福島原発の後遺症は100年、200年の永きにわたって続く。
 長期にわたって解決すべき問題だからこそ、ただいまから準備する、その決意と姿勢と具体的進め方が大事だ。そしてその判断のための見識が今問われている。

混迷するエネルギー政策 原発を止めるために

2012-09-08 21:57:36 | 社会・エコロジー
 国のエネルギー政策は混迷を極めている。今夏、関西電力管内は全原発停止という事態を受けて、計画停電実施の危機に見舞われた。7月に大飯原発3,4号機を稼働させ、企業や市民の節電協力、それに何よりも大きな発電設備の故障や事故がなく、無事に盛夏を乗り切った形だ。最大電力は予想を約10%ほど下回った模様である。
 これをもって原発が停止できる、あるいは関電が自社に有利な情報を流したとみるのは早計だ。企業の節電は、大企業では他地域への生産シフトや、中小企業などでは休日振り替えなどコスト増加要因を含むもの、日本の、特に関西地域の活力を殺ぐものであったろう。昨年の関東・東北地域と比べると市民の意識は低いように思えた。この夏の気温を考慮すればやむを得ない部分はあるかもしれない。
 地域内の火力発電は、小規模・旧式設備を含めて相当量を稼働させざるを得なかった。燃料コストの増分は大きかったはずだ。二酸化炭素の排出量も相当嵩んだで有ろう。電力会社の値上げの口実を提供してしまった。
 一方、自然エネルギー・再生可能エネルギーで先行していたドイツでは、固定価格による買い取り制度の見直しが議論に挙がってきている。価格が高すぎて電気料金が経済に影響するし、質の悪いエネルギーである風力などの割合をこれ以上増やすと、電力供給不安に陥るらしい。
 政府から唐突に無理な節電目標を設定されて、鉄道各社は大いに困惑しているらしい。2030年までに10年比で20%の節電という無理なものだ。
 節電には、技術的な裏付けが必要だ。エネルギー効率を1%上げることは技術的に決して容易いことではない。技術開発に対する期待を織り込んでも、20%はおそらく不可能な数字だろう。
 以前に地熱発電に対する期待を書いたが、専門家の講演を聴いてきた部下によると、2030年までに発電量はせいぜい3倍、つまり120万kWが300万kW超ぐらいらしい。原発1、2基程度の増加だ。実に心許ない。
 原発は、地震や天災の多い日本ではやはり停止したい。そして今まで製造された放射性廃棄物の最終処分も決着をつける必要がある。企業活動と市民生活を維持しながらという、我々に科せされた課題は実に困難なものだ。
 それに対する議論の中身はあまりにも貧弱で感情論だ。

電気料金値上げ

2012-09-01 18:12:28 | 社会・エコロジー
 東京電力が産業用電力の値上げに続いて、この9月から家庭用電気料金の値上げも行う。報道によれば8.46%の値上げ、標準世帯で7,548円と8月に比べて347円になるらしい。
 福島第一原発事故とそれに伴う賠償などの費用の増大、それに原子力から火力に転換する費用などが主な理由であろう。東電がかかえる赤字と莫大な債務を思えば、収入源である電気料金を上げざるをえないのだろう。
 しかし、一方で割り切れない思いははっきりと残る。電力は地域独占で認可制とはいえ、値上げ回避についての選択の余地はない契約者にとっては強制に等しい。
 何よりも、東京電力がどのぐらいの経費節減を果たしているのか。役員報酬のような見える形のもの以外に、社用車などを役員が相変わらず乗り回しているのではなかろうか、現役の医療保険だけでなく、元従業員の年金にも切り込まねばならないのではないか。瀕死のシャープは、多くの従業員の希望退職を募るなど、目に見えて過酷なリストラを強いられている。民間の株式会社の宿命ともいえる。しかし、東京電力からはそのような動きは見えてこないが、本当に行われているのであろうか。
 値上げ申請は12%だったが、経済産業省の査定などで8%代半ばまで下がったが、もともとそのぐらいを予定したのではないか。そんな風に勘ぐってしまう、残暑厳しい折の昼下がりだった。

夏の電力は賄えたのか

2012-08-30 21:20:42 | 社会・エコロジー
 世間ではまだ残暑が厳しい。当分、エアコンが手放せない状況だ。
 ところが、一部の報道機関では、「関電の嘘 原発再稼働せずに電力が足りていた証拠データ紹介」なる記事などを早くも掲げている。関電がこの夏の電力予想を約3000kW/hと高めに公表し、大飯原発を再稼動させたが、実際には2600万kW/hで足りていたというのである。まともな報道機関なら決して取り上げない噴飯ものの主張だ。
 私のような素人でも、電力の不足は需要ピーク時に生じるものであること、そして発電所や変電所の事故や故障の時にその危険性が増すこと、さまざまな天災が影響すること、そしてこの全てが電力コストとして跳ね返ってくること を承知している。電力総量で需給を語るなど、愚の骨頂であるし、そもそも結果論を振り回しても全く意味がない。
 関西地区では、多くの企業や市民が節電に協力した。企業は生産を他の地域にシフトしたし、不十分ながらも節電が奏功したことは疑いようがない。何より発電所の事故や故障などがなかったことが幸いだったのだ。
 もちろん、これは関電の主張がことを裏付けるものでもない。関電に限らず電力会社は、「供給不安にならない限り」「出来るだけ電力は売りたい」のだ。電気を売れば、かならず儲かる仕組みなのだ。
 それでは、今回の電力供給不安を回避できた成果はなんだろう。それは、節電と電力シフトで、相当の電力需要を抑えることが可能であることを証明できたことだ。これこそが、原発を将来的にゼロにできる一筋の方法であると思う。自然エネルギー、再生可能エネルギーによる発電は非常にコストがかかる、したがって、科学技術を使って石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料による発電効率をさらに数%でも押し上げるととおに、電力需要地での発電所立地で送電ロスとコストを抑え、スマートグリッドで電力の弾力運用を実現し、そして何よりも市民の意識改革で節電と電力ピークシフトを実現する、これしか原発をゼロにする道筋はない。
 原発再稼動に悪戯に反対する人達は、是非とも市民生活や企業活動を損なうことなく、電力需要を抑制し、分散する方法を考え、実行に移すことを議論してほしい。民主党の某首相に食ってかかっても仕方がない。
 

原発再稼働を容認すべきか(2)

2012-08-04 08:50:36 | 社会・エコロジー
 多分、前掲の同タイトルと同じ主張を書くと思う。前に書いたときと今も、大きく意見は変わっていないはず。
 主張の要旨は、2040年頃を目処に日本国内での原発の稼働を全停止し、あわせて使用済み核燃料や廃炉のための最終処分の道筋をつくる、それまでは最大限の安全確保に努めながら安全性の高い原発を稼働する というものだ。
 なぜ、原発は2040年頃にゼロにするのか。日本は国土も狭く、地震などの大規模自然災害の可能性が極めて高く、原発事故のリスク、その事故の規模が大きいからだ。
 では何故、直ちに原発を廃止しないのか。理由は3点だ。代替するエネルギーがなくその道筋が出来ていない。仮に停止したとしても廃炉や最終処分の道筋が出来ていない。電力エネルギーが不足した場合に社会生活や経済活動への影響が大きい。この理由が解消される間、原発を稼働させるリスクを負わねばならない。
 代替エネルギーの可能性として漸く見えてきたのが、地熱発電だ。国立・国定公園内での開発、水・観光資源などの議論が進んできた。高効率化への技術開発によって40~50kWh級の大型発電所の実現に期待したい。潮力・波力発電などもう少し定常的な発電が可能な電源の開発が必要だ。風力や太陽光・熱は補助的なエネルギー源に過ぎない。小水力なども地域電源としては期待できるが、あくまでその用途において、つまり安定電力源があっての技術だ。そこで石炭・天然ガス火力は更なる高効率化が求められるが、天然資源はさらに高騰するので増設は難しいだろう。期待できるのは、2-5%程度の効率化の上乗せによる増分だ。
 原発停止は、原子力災害からの脱却を意味しない。単に災害の蓋然性を大きく減ずるのみだ。未償却の発電施設の廃炉は多額の負債を生み、今まで積み上がった放射性廃棄物の処分も行わなければならない。「反対」をいくら叫んでも、その道筋を、それにかかる費用を払うことを考えねば単なる独りよがりだ。作家や音楽家の中にそれに類する人が多いように思う。やめた後にどうするか、もっと建設的な議論をせねばならない。廃炉と放射性廃棄物の処理に本当に未開発、未研究の要素はないのか、主要大学工学部での学問分野の拡充と人材供給を求めたい。そのために、2040年目処なら28年の期間を費やす、やむを得ぬ期間ではないのか。
 将来の日本に対して描く姿は、どんなものか。現状のエネルギー水準で、つまり今原発に頼っているエネルギーを代替エネルギーになるべくコストも近づけて置き換える。スマートグリッドや、家庭用電源の200Vへの昇圧や60Hzへの統一なども重要ではないか。都市部での低温熱源の利用による省エネルギーなど、市民生活や経済活動のあり方を変えなければ、原発をやめた後に、”人災”といえるエネルギー危機が生じることになる。
 原発反対と唱えてデモして実現できるなら、こんな簡単なことはない。本当に原発廃止を考えるならば、その道筋づくりだ。今の世代は、未来のためにその責を負わねばならない。