梨場貞人の日記(毎日書けないけど)

梨場が今思う事を徒然に書いてみます。

文学とは何か?

2006年10月07日 | 文筆業
非常に大上段に構えたタイトルで書いた本人も恥ずかしいと思う。
が・・・
「同人雑誌からの文芸復興」の特集で
「文学復権の砦としての同人雑誌」というテーマで
大河内昭爾氏が書かれている、大河内氏は文芸家協会理事で「文学界」の
同人雑誌評を長年やられこられた方だ。
その方がインタビュアーのアジア文化社編集長の五十嵐氏に
――今の芥川賞というのが、昔は同人雑誌からかなりノミ
ネートされて、丹羽さんが生きていたころは、しっかりそ
の辺が機能していた感じがするんですね。
大河内「機能していましたね」
――今は、もとんどもうそれが機能していないように見え
ますが。
大河内「もう無視されている。それはなぜかというと、若
手の編集者、今の「文学界」、「群像」、「新潮」なんかの
編集長は若いんです。昔の同人雑誌時代を知らない。だから、
昔の編集者みたいに同人雑誌なんかは目を配らない。それで
売れる作家、十七歳とか話題性のある、ちょっとあくどい、
何かを訴える力のあるもの、そういうのを取り上げる傾向が
ありますね。・・・・・以下省略。

・・・・
僕は前の記事に書いたように、仕事も無く先の不安の中
何かをしなくてはならないと自分に課して、時間はたっぷりあるし
それで書いただけだった。日本文学の行く末を真剣に考えて
いるという記事に触れることができただけでも、この雑誌に
自分の作品が掲載されたことを心から喜びたい。
物書きだけでなく、何かを創造する、音楽であったり
絵画であったり、写真であったり、芝居であったり、
自分のやりたいものと稼げるものの狭間で揺らぐ気持ち。
「人生正と負は最後にバランスする」と三輪明弘が言っているが
自分のやりたいものは必ずしも金を稼ぐものでない。
僕の場合、幸いにして仕事につけたので、なんとか糊口をしのぐことは
出来る。
だから、もう少し自分の書きたいものを書きたい方法で書いてみたい。
小さな懸賞でも、誰かに読んでもらうために、そしてどう評価されるのかを
確かめるために、これからも書き続けたい。
先日、ちょっと興味があってシナリオの技術なる本を買って読んでいる。
シナリオと小説は全く別のものだが、ひとつの作品を作り上げていく
構成とか技術的なところでは非常に参考になった。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
流れの変化 (吉松ひろむ)
2006-10-08 08:39:43
超近代化小説とは何か、たとえば木曽路という地名。携帯電話を耳にして歩く若者が木曽路を歩きながら友達と四次元空間のある会話をしている。又大正生まれのジジイが木曽路の明治の建物を見ながら戦友と大岡の[足摺岬」の初恋の娘像を語りながらあるく。文学の超近代化を論ずるのに小説の主人公と別のところから見ている全体像的な視線の存在も考慮する必要がある。木曽路の光景は江戸の昔も平成の今も変わってはいない。人生の正と負は一見バランスが取れているように思えるが其の密度の比重は超アンバランスと思う。だから人生に味が生まれる。差し引きゼロでは?。
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流れの変化 二 (吉松ひろむ)
2006-10-09 08:00:01
そうか、そうだった!シナリオライターへの流れがあった、、誰に、、保匡に,、、うってつけだ。今までなんとなく頭の片隅にシナリオライターを書かせたらと思ったことがある。シナリオには限りない夢、創作、意表をつく描写,叙情的な配置などなどの構成への楽しみがあり、作品をより肉華させる。好みの小説に挑戦してみては如何。私事だが三十七年前に三千人の出場する文化祭の台本、演出、を成功させたことがある。プロロ-グでの音楽はモルダウの雨だれ、原始の森(縄文)に発生したすざまじい落雷(特別の音響装置購入)の響きは観客の度肝を抜いた。そして人間生命の誕生、、、、NHKのある脚本家のI氏に激賞された。これから私の手がけたい分野である。
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シナリオ (梨場)
2006-10-09 18:31:51
伯父さん

シナリオを書くにはシナリオのルールを

覚えなければなりませんよね。

それで、ちょっと勉強しようと

思ったんです。

「グロット」の話は、出来たら

映画にしたいと思っています。

来年目指してシナリオの懸賞に応募するつもりです。
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青の向こうに (吉松ひろむ)
2006-10-10 05:08:38
小説グロットを読んで人間の生と死の世界のはざまに哲学的な青がたたずんでいる。この描写は優れたカメラによってのみ表現できるし其の手法しか昇華法がない。人間の持つ感性に訴えすざまじい感動を巻き起こすだろう。
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グロット (梨場)
2006-10-10 08:16:56
あの小説は11月に発表される日経創刊40周年の公募に応募した作品です。

どうなるのか分からないし、送ってからもっとこうしたほうが良かったと思ったりもしているので線に漏れるでしょう。

それでも、どうしても世に問いたいと思う作品なんです。
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推敲のキリ (吉松ひろむ)
2006-10-10 10:45:51
推敲は不思議な現象ではある。文法の誤りはいざ知らず表現とかストーリに手を加えるとか姿勢にあやふさのある作品は推敲は無駄である。作品に充満する根本思想、とか人間の闘い、愛、そして意外性、、、、是は必須のもの、、、少なくとも小説である限り、、最後まで一気に読者を引っ張って行けるか、それがかけたら推敲は無駄、結局もとも推敲したものも同じであろう。出した作品には絶対の自信を持つことが肝要。ゴルフで言えばフィニッシュまで同じ流れかどうかにかかる。

{泥の川}の一気に読者を引っ張る文章を何十回も読んで見てください。
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グロットのこと (吉松ひろむ)
2006-10-10 15:24:44
コメントにある通り突然見せられた小説にある衝撃をうけた.まさか保匡が小説なんてとの思いが心の片隅にあったからだ.何でそんなにせっかちに書くんだろう、、、とも思った。社会のある世界に浮遊してる一つの体験、それは貴重なものだが、人々の心の深部に迫るものが一人よがりになったのはせっかちなあせりかも.生と死の境、、現実に体験したかも知れないが、、、生半可な感じがした.読んだのは一昨年秋なので記憶が定かでない。決断を間違えたら即、死がまっている哲学的青,、、、水深十数米の世界、主人公はこのとき無言だった気がする。グロット野郎!俺の神経細胞はひりひりと白い肉体につき刺さった。、、、、とでも作者は白い肉体に、、、、なぜ叫ばないのか、そんな感想だった。
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