ろるかの徒然まび日記

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七回忌

2008-11-14 21:02:51 | リアのこと

今日は私の祖母の七回忌です。

もう7年もたってしまったんだなぁ。。。なんて

早かったような、まだ7年という感じです。


自己満足な感じな文章だと思うので、

いつものごとくみたい方のみどうぞw

私にとって祖母は、

亡くなって初めて、その奥深さをしった人でした。

生きているときには、

あっちいっちゃだめだ、こっちいっちゃだめだ

あれしちゃだめだ

なんて、口うるさい人でした。

幼いころ私は、絶対100まで生きるなこれ。

と思っていましたし、回りもそれが当然だと思っていました。

しかし、病気に倒れ、見た目によらず心臓が弱かった祖母は

87歳でこの世を去りました。

大往生といえば大往生ですが、

家がごたごたしていただけに、

誰よりも長生きしててほしかったと思いました。

昨年亡くなった伯父は、祖母がなくなるのをずっと待ってました。

内縁の奥さんが、祖母が死ななきゃ家に入らない。

なんて言っていたので。

その伯父が、最後は祖母を看取ったと言ってましたが、

絶対に祖母は一人でこと切れたに違いない。

死体は語る。

合掌させられなかった手が、

手首のところで帯紐でしばられていたのをみて

悲しさと切なさを覚えた7年前。

もしかしたら、祖母は14日ではなく13日に亡くなっていたかもしれない。

でもその祖母は、長男である伯父をあわれに思い、

絶対に見捨てることはありませんでした。

最後まで子供を心配していたであろう母の愛。

わが道のために子と母と親戚すべてを捨てた伯父。

何がこんなに回りを巻きこんで軸が外れたのか。

なぜ祖母はあんな姿で亡くならなきゃいけなかったのか。

今なら色々やってあげられたのに、

何故あの時出来ることをしてあげなかったのか。

最後に会ったあの日。

疲れた体で田舎に戻って行った私たち。

料理を作るであろう母のことを考えて、私の提案で

「冷凍食品のパスタ」

でお昼を済ませました。

レンジの火力が弱くて、

うまく火がかからなくて、芯が残っていたパスタを食べながら

「おいしいおいしい」

と食べてくれた祖母。

なんであの時、私が作ろうって思わなかったのか。

一度も祖母には手料理を食べさせてあげなかった。

仏壇に料理をそなえても、喜ばないと思うのに。


何も言わない祖母から教わったのは、

口にださない優しさ。無償の愛。

生きているときにやってあげなければ。

そんな当たり前のことを、祖母の死で知って7年目。

私は、少しでも成長してるのでしょうか?

少なからず、7年前より成長しているはず。

そう思いたいです。