
初夏のある日、課外活動でピクニックに出かけた。
女の子たちばっかりだったらやだなと思ってたら、男の子も参加するって聞いて、安心した。僕は男の子だから、やっぱり同じ男の子どうしで行きたい。
残念だったのは同じグループの男の子たちが女子に負けず劣らず意地悪だったということだ。何かというと女子の味方になって、彼女たちと一緒になって僕を責め立てる。男の子たちは僕が日頃から女子に意地悪されるのをよく知っていた。僕は男の子たちのリュックを持たされ、ひとりだけ大荷物でよたよたとしんがりを歩いた。
「さあ、お弁当を食べましょう」と引率の先生が言った。ひげもじゃの大柄な男の先生で、女子にえこひいきするので有名だった。
弁当のふたをあけると、右隣に座った男の子に海老フライを取られた。左隣の男の子には鳥の唐揚げを奪われた。
「先生、お弁当を忘れた子がいます」と女子のひとりが言った。弁当を忘れたのはその女の子の弟だった。僕たちより三つ年下の弟は大柄で、僕よりも背丈があり、太って力士のような体格だった。そして食べる量も多かった。どれくらい多かったかというと、ちょっと異常と思われるレベル。中学二年生にして大人の六人前は軽くぺろりと平らげるそうだ。
これ以上弟に分け与えたら自分の食べる分がなくなるということで、その女子は先生に訴えたのだった。先生は僕たち男子のほうへ歩いてきた。そして、まだ三分の一も食べ終えていない僕の弁当箱を覗いた。
「エリオくん、ミナミ子ちゃんの弟に少し分けてあげて」
「わかりました。いいですよ」僕が弁当の蓋の裏側に分けてあげる分を移そうとすると、意地悪男子が僕から弁当を取り上げ、「先生、こいつの分、全部あげてください」と言った。
「え、いいの?」と先生は驚いて、意地悪男子から僕の弁当を受け取った。いや、そこは驚くところではなく、普通に僕に返すところだろう。それなのに、先生はにこにこして、「ありがとう。きみ、ほんとに優しいな」と、僕にではなく、意地悪男子に礼を述べた。「あの」と僕は口を開いた。さすがに黙っていられなかった。「それ、僕の弁当なんだけど」
「いや、これはもうミナミ子ちゃんの弟くんのものになったよ」と先生は平然とした顔をして言った。僕はこの先生が大嫌いなのだけど、先生も僕のことを毛嫌いしているようだった。先生は僕からプイと目を逸らすと、ふたたび意地悪男子のほうを向いて、「ほんとにありがとな」ともう一度頭を下げた。
ミナミ子ちゃんの歓心を買いたいのが見え見えだった。「おまたせえ」と媚びた声を出して、ひげもじゃ先生が弟くんに弁当を渡しに行った。ミナミ子ちゃんもにこにこ笑って上機嫌だった。
「ありがとうございます、先生。このお弁当、どこにあったんですか。なんか食べかけみたいだけど」
「ん、ごめんね。これしかなかったんだよ。なんか食欲ないって子がいて、いらないみたいだからもらってきたよん」
でへでへと鼻の下を伸ばして、ひげもじゃ先生がみなみ子ちゃんに答えている。
弟くんはたちまち僕の弁当も平らげると、もっと食べたいと騒ぎ始めた。
「落ち着いてくれよ、弟くん。もう弁当はないんだよ」と、ひげもじゃ先生がなだめても、弟くんは聞かなかった。
「弁当、おいしかった、おいしかった、もっと食べたいよお、食わせろよお」
弟くんが怒鳴った。その声はオーケストラのように大きく、向こうの山にこだました。
「ごめん。こういう状態になったらもう、もう手が付けられないのよ」
ミナミ子ちゃんが困った顔をして、溜め息をついた。弟くんはひげもじゃ先生よりも大柄で、暴れ出したら、先生の力をもってしても押さえつけるのは無理らしい。先日も、路上で消防士ふたりをぶちのめしたという。肩がぶつかったという、それだけの理由で。
ウオオオオオ。
弟くんは奇声を発して、草をむしり、木の枝をぽきぽき折り始めた。まずい、なんでこんな奴を連れてきたんだよ、と思うけど、後の祭りだった。弟くんの怒りの火がこれ以上広がらないうちになんらかの手を打つしかない。弟くんは木の幹を抱えて、しゃがみ、それからすっと腰を上げた。同時に木の根っこが土から飛び出した。弟くんは引き抜いた木をぶんと投げた。意地悪男子のひとりが下敷きになった。
女子たちから悲鳴が上がった。弟くんが彼女たちのレジャーシートを引っ張り上げたのだった。いくつもの弁当が芝生に飛び散った。
「まずい、どうしたらいいの、みなみ子ちゃん」ひげもじゃ先生がおびえた目をして、みなみ子ちゃんに相談した。
「生贄が必要。誰かひとり、弟の慰み者のなってくれる人が必要」とみなみ子ちゃんが神妙な顔をして言った。「そうすれば弟の怒りは鎮まる」
弟くんはあちこちを異様な高速で走り回り、広場の柵や道案内の看板を引き抜いてはこれを振り回して、投げた。このままでは被害が拡大するいっぽうだ。
「生贄か。ひとりでいいのかな」と、ひげもじゃ先生が問うと、みなみ子ちゃんは黙ってうなずいた。
気づくと、全員の視線が僕を向いていた。え、なんで僕?
「ということだ。すまないがエリオくん、きみが生贄になってくれたまえ」ひげもじゃ先生が、全然すまなそうではない顔をして、僕に命じた。
「元はといえば、おまえの弁当を食って、暴れ出したんだからな」
「そうよそうよ、エリカくんのせいでこうなったんだから、責任取りなさいよ」
男子も女子も一緒になって、僕に生贄になることを求めた。みなみ子ちゃんまでも、キッと目を細めて僕を睨み、僕が生贄になる決心をするのを待っている。
「わかったよ。そんなに言うなら僕が生贄になるよ。生贄になればいいんでしょ?」
やけくそになって生贄になるのを承諾すると、みんなはホッとしたような顔をした。引っこ抜かれた木の下で男の子が「頼むぞ、エリオ」と掠れた声を出した。
「で、生贄って、何をすればいいの?」そもそもこの場合の生贄が何を意味するのかもよくわかっていなかった。僕の問いに、みなみ子ちゃんは下を向いて、目を泳がせながら答えた。
「まず、服を脱いで」
「え、なんだって」
「服を脱いで、裸になってほしいの」
「え、服を? なんでまた、そんな」
「いいから脱いでよ。シャツもズボンも靴も靴下も」
「やだよ。恥ずかしいし」
「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ。みんなの安全がかかってるのよ。早く脱ぎなさいよ」
みなみ子ちゃんは顔を上げて、急に遠慮しいしいの口調をかなぐり捨てた。
うつむいてじっと地面を見つめる僕の耳に、意地悪な声の数々が聞こえてきた。
「脱ぎなさい」「早く脱げよ」「生贄なんだから服を脱ぐのは当たり前だろ」「そうよ、早く脱ぎなさいよ」「おまえ、裸になれよ。早く裸になれって」
服を脱がなければとても許されそうもない場面だった。
「わかったよ。脱ぐよ。脱げばいいんでしょ」僕はとうとう覚悟を決めた。
女子も男子もひげもじゃ先生も僕をじっと見つめている。こんなにみんなに見つめられながら、服を脱ぐのはたまらなく恥ずかしいけど、逆らったり、「やっぱり脱ぐのはやだ」なんて前言撤回したら、もっとひどい目に遭わされそうだった。力ずくで脱がされる心配もあった。
まずシャツを脱いだ。みんなは僕の裸になった上半身を見て、「おお」と言った。どういう意味の「おお」かは不明だけど、山の中でこの格好が場違いなのは明らかだった。
「早く、ズボンも」女子が言った。そんなこと、言われなくてもわかってるけど、やっぱりズボンを脱ぐのは抵抗があった。しかもみんな見ている。だけど、諦めるしかない。ほんのいっときのことだ、と自分に言い聞かせてベルトを外し、ズボンを下ろした。白いパンツがみんなの目に晒された。
「だせえ。白ブリーフかよ」と意地悪男子がにやにや笑いながら言った。みなみ子ちゃんが「靴下も、靴も脱いで」と言うので、素直に従って、これも自分の体から抜き取った。
とうとう僕は白ブリーフのパンツ一枚になった。周囲にいたみんながさらに僕との距離を縮めて、じろじろと僕のパンツ一枚の体を観察した。
や、やめて、そんなに見ないで、恥ずかしい。
「エリカくん、とうとうパンツ一丁になったね。そしたら、あの木に寄りかかって」
みなみ子ちゃんが指さしたのは、休憩広場の端っこの一本の木だった。僕はそこまで歩いて、言われたとおり、木の幹に背中を預けて立った。
ウゴコゴゴゴオ。
かなり離れた場所から弟くんのわめく声が聞こえた。
「今から弟を呼んでくるから。弟には絶対に逆らわないで。いろんなことされるかと思うけど、我慢して耐えてね。パンツ、脱がされないように気をつけてね。たぶん脱がされちゃうと思うけど」
そう言うと、みなみ子ちゃんはテヘッと笑って、芝生を横切り、小高い丘のほうへ走って行った。
「がんはれよ、エリオ。おまえの服とか靴はおれたちが預かってるから、しばらく裸で耐えてくれ。みんなのためだからな」
意地悪男子たちはそう言って僕の裸の肩をポンと叩くと、僕の衣類一式を僕のリュックに詰め込んで、この場所から避難した。
「ちょっと待ってよ。僕を置いてかないでよ」
「だめ。エリオくんは生贄なんだから、パンツ一丁のままここで待ってなさいよ」
心細くなって訴える僕をぴしゃりと叱って、女子たちが走って行った。
よく晴れたよい天気だったのに、急に空が曇ってきた。
地響きが伝わってきた。弟くんがこちらに近づいてくる足音のようだった。
こわい。こわいけど、今さらどうしようもなかった。
小学生の頃弟君みたいな子いましたね。生贄という表現が和製ホラーの理不尽な神を思い起こします。
このあと弟君にパンツをとられたエリカ(エリオ)君が山中独歩みたいに素っ裸で山をさまよう展開を妄想しました。
>更新お疲れ様です。すごく良いです。... への返信
ありがとうございます。
現在、まとまった長編、短編も用意しているところですが、これらの小品はつなぎで書いているものです。かなり荒い部分もあるかと思いますが、まあ、改めてきちんと整理したいと思います。
>ありがとうございます。... への返信
ありがとうございます。長編、短編ともに楽しみにしています。