南部吟遊詩人の写真館2

今年は土日が天気がいい日が多くてうれしい!
(*^▽^*)

廃線になった「岩泉線」って今はどんな感じなんですか?

2023年09月12日 18時25分11秒 | 様々なる意匠(雑感・詩?)

岩泉線……、説明がめんどくさいんで

こっちのWikiか、→「岩泉線」のWikipediaを読む

こっちのブログ読んでください。→「風来梨」さんのブログ記事

(手抜き(*´Д`))

要は2014年、つい9年ほど前に廃線になった鉄道です。

鉱物資源採取のために北上山系の山奥にわざわざ鉄道を引くほど、昔の日本って勢いというかガムシャラさというか、そんなんがあったんですねえ。

 

わたしが岩手に来たのは15年くらい前のことなのでまだその当時は「岩泉線」はギリギリ生きていたはずです。

(2010年7月30日の土砂崩れで不通になったらしいので。)

ただ、その時はあまり鉄道に興味がなかったので、乗ってみようという気に全くならなかったのですが…。

最近、国道455号を走っていると、気になるんですよ。

盛岡から岩泉へ向かう国道455号線は岩泉に近づくにつれて、このような高架橋を何度かくぐります。

これ、廃線になった岩泉線のものなんですよ…。

鉄道は廃線になっても、高架橋は残っているわけですよ。

(これってけっこう危なくない???(*´Д`))

見たところ、そんなに腐食は進んでいないようですが…。もう廃線になって、いや、最後に列車が載って13年は経過しているんだから、そろそろヤバいんじゃあないのかなあ…。

どれどれ、橋脚の具合は…と、

ヨシ!!って。私、全然専門家じゃないから詳しいことは分かりませんわ…。

足元を流れるのは、小本川。

北上山系を源流とする(多分)川で、いまは流れが少ないけど、この川、辺りの沢や谷川をやたらとまとめるようで、岩泉に着くころにはけっこうな大河になっているんだよなあ…。そのせいで岩泉は過去何度も、洪水被害に見舞われているし…。

まだこのへんは上流域(多分)なので安全。

さて、というわけで、今回は岩泉線の旅です。

先ほどの「風来梨さん」のブログから拝借しました。この地図。

素晴らしいですね、便利ですね。

なにしろ、もう廃線になってしまったので、「岩泉線」は地図上から抹消されています。

ゆえに、岩泉線を辿るにはこの地図が唯一の参考資料とも言えます。

もう路線図とかがないんですもん。

ちなみに、観光協会とか町役場とかに尋ねても無駄です。

図面とか地図は残っていないし、発行もしていないそうです。(確認済)

ちなみに、上の地図の中で、岩泉線だけをなぞったものが以下になります。

岩泉には〇をつけています。

これをみると分かるように、国道で言えば455号を盛岡方面に少し遡って、左折して340号沿いに宮古方面へ降りていく道路(一部「大川駅」周辺を除く)が、かつての「岩泉線」とほぼ同じルートになります。

つまり、道路でそのように進めばかつての岩泉線を探訪できるというわけです。

もちろん、このように  発見した路線跡または岩泉駅などから映画「スタンドバイミー」のように線路を歩くという手段もありますが、

橋脚が崩れないのかという不安や、

また、線路上がどうなっているのか?件の映画のように歩けるものなのか???

結論から言うと、難しいです。

  線路はこんな状態です。

ただの藪を撮ったわけじゃありませんよ?ちゃんと線路上の写真です。

一応、この辺りは枕木もレールも残されているはずですが、草木がすごくて見えません。

雑草の丈が長すぎて本格的な除草をしないと地表部分が見えそうにありません。

廃線から10年以上、誰も手入れをしていないのだから、こういう状態になっているわけです。

かなりの藪漕ぎ上級者でないと無理です。つーか、「山刀」か

「なた」とか必要なレベルです。

 

それに、

先ほども言いましたが、小本川はけっこう暴れ川。しかも、この小本川沿いに伸びる道路は崖崩れの影響を受けやすく、しょっちゅう、いたるところで崩れています。山側からも川の側からも。

ですから、年がら年中工事している有様です。(私の感覚的に)

(*´Д`)しかも近年は集中豪雨が多くなりましたしね…。

地元民からしたら、もっと切実でしょうね…( ;∀;) こういう状態がしょっちゅうですから。

当然、高架橋も所々は、こんなんなってます。

岩泉線は総延長38.4km(Wikiより)なので、ちょっと体力に自信のあるクレイジーな方なら、「完全踏破」を考える方もいるかもしれませんが、この写真を見てきっと諦めるでしょう。

なんせ、空中は歩けませんからねwwww(*´Д`)

あと、途中、2010年の崖崩れで不通になった地点もそのまんまらしいです。

ゆえに、「完全踏破」は物理的に不可能と言えます。

 

さて、とりあえずは起点となる「岩泉駅」に来ました。

駅舎、昭和レトロ感漂う駅舎がいまだに残っています。

「岩泉驛」でございます。

隣はなぜか消防署です。

ちなみに、この駅舎なんですが、平日しか入ることはできません。

なぜなら、2階に商工会議所があるんです。そこが平日しか開所していないんですよね。

だからだと思います。

え???土日やらないって、ここは観光施設じゃないの????って私も思いました。

観光施設じゃないんじゃないですか?としか言いようがありません。

え?????   え?????

まあ、やっていないものは仕方がありません。私もたまたま平日に休みをとってここまで来たんです。

(この日はあいにくの雨でしたけど)

岩泉町の地図ですね、古いけど。

入り口にはこんなモニュメントが。開けて中の風除室に行けるようですが…。

駅舎入ると、こんな感じです。

黒板ありますね。落書き用黒板か…。

かつての切符売り場。なにやら人がいますよ。

かつての駅員さんのようです。(いかにも「田舎のオジサン」だなあ…)

国鉄wwww(*´Д`)

運賃表…。けっこういい値段しますな。っていうか、大阪とか名古屋とか書いてあるのは気のせい???

行けんの???こっから?????

とりあえず、「岩泉線」は「茂市」までのはずですが、「茂市」は「山田・釜石線」に含まれてしまっています。この料金表も廃線当時のものでしょうから、三陸鉄道がなかったりなんだりといろいろと鉄道マニアの方にはツッコミどころというかアレな感じではあります。

(「大志田」がこの当時既に廃駅だったためか「0」表示になっている点とか。)

とにかく、岩泉町はこの「岩泉線」以外は鉄道が来ていなかったので、他のどこに繋がるにもこの岩泉駅から「茂市駅」まで行くしかなかったはずなんですよ。

(冷静に考えると、不便すぎだろ…(´・ω・`))

って、この岩泉線って一日に3本しかないですからね。(*´Д`)oh…。

どんだけ陸の孤島なんだ、岩泉…。

ぶっちゃけ、バスの方がいっぱいあるという…。駅の意味ないじゃん。バス停メインじゃん。

もう、いくらツッコんでも足りないので、駅舎の中全体です。ベンチとか相当に、昭和。

奥の階段から商工会議所に行けます。

まだ、現役で使われているんですね、この建物。

ちなみに、階段方面からはこんなかんじになります。

さまざまに思い出の品が展示されています。

写真パネルもありますね。

なかなかいい写真、多いじゃないですか。(ぜひ当地に足を運んで見ていただきたい!(力説))

さて、ホームです。

当たり前ですが、草ボーボーです。

電車が走っていないので、当たり前ですが。(左側が線路跡です。念のため)

いや、もう、ボーボーですね。

「完全踏破」とか、コレ、絶対無理でしょ。「スタンドバイミー」ごっことか絶対無理。

名所…といっても、龍泉洞くらいしかないんですよねえ。

(ちなみに、2023年夏は集中豪雨で龍泉洞は閉鎖されています)

それ以外は……34kmとか44kmとか…って遠いわ!!!

しかも、何処っすか???「真崎」とか「島ノ越」とか???

龍泉洞は見る価値あるけど、他は見る価値あるのかなあ……???

もう、昭和ってツッコむところしかなくて、疲れる…。

ちなみに、駅舎は普段、電気消えています。真っ暗です。

この時はたまたま商工会の親切なお兄さんに電気をつけてもらっただけです。

ここ、観光施設とか、そんなんじゃないみたいです。じゃあ、なんなんだろう…(´・ω・`)

もう、よくわかりません。

 

とにかく今日は天気も最悪ですが、できる限り、岩泉線の跡を訪ねたいと思います。

 

まずは隣の「二升石」駅跡です。

ここは455号沿いにあるので比較的わかりやすいです。

待合室もトイレも当時のものが残されています。(とはいえ、閉鎖されている)

とはいえ、目を凝らしていないと見失うかもしれませんが。

線路は右手のちょっと高くなったところにあります。

ちなみに、写真にだしてはいませんが、手前には地元の方の農産物無人販売直売所があります。

立ち入り禁止ですね、ホームは。当たり前でしょう。もう老朽化でいつ崩れてもおかしくありません。

昔はココから乗る人もいたんでしょうね…。

レールも枕木も健在です。というか、雑草があまり繁茂していません。

もしかしたら、地元の方(というかこの近くの民家の方?)が手入れをなさっているのかもしれませんね。

いや、これは明らかに手入れされていますわ。

これなら、この辺だけは「スタンドバイミー」ごっこはできそうです。(笑)

(このネタ、さっきから使っていますが、往年の映画ファンじゃなきゃわからないですよね…。)

それから340号の方に入って「浅内駅」を目指します。

着きました。

おお、いかにも「昔の駅舎」って感じです。しかも、これは無人駅ではない規模です。

映画『鉄道員(ぽっぽや)』みたいに駅員が住んでいるやつですよ、コレ。

看板もありました。

往時の賑わいが書かれています。

…とはいえ、この駅の周辺はすごく狭いんですが。

「軒を連ね」るほどの建物が建っていたのかどうか…。とにかく往時の面影は一切なく、ほぼ限界集落です。

ホームの跡を見てみましょう。

右手奥に給水塔が見えますね。

ホーム跡です。雨のため、若干、レンズに水がついております。

線路っぽさがすごく残っていますね。

かつてはこの周辺がにぎわっていたなんて今では想像もできないですが…。

さて、国道340号を行きましょう。

国道340号は道幅も狭く、あたりに住宅や集落は点々としかありません。

ときどき谷川や道路の上に岩泉線の高架があります。

人家が珍しいので、商店どころかコンビニも沿線には一軒もありません。

時々、廃屋があります。打ち捨てられた空き家でしょう。廃墟マニアにはたまらんでしょうね…。

(私はあまり廃墟の中とか撮りたくないので遠慮します)

古そうには見えますが……空き家になって何年なんでしょう???

電気は来ていたみたいですけどね。

日本で一番最後に電気が来たのって「タイマグラ」なんですよね。まだ行ったことはないけど、たしか岩手県。北上山系の奥の奥の里らしいです。ここも電気が来るのは遅かったんでしょうねえ…。

歩みを進めると、またも倒壊の危険性のある高架橋が。

つーか、倒壊して片づけた後ですね。

パックリ逝っちゃってます。

片側(山の方)はしっかり補修された後です。綺麗に治っていますから、崖崩れかなんかがあったのはだいぶ前なのでしょう。それにしても、残りの方は大丈夫なんでしょうか。

よく見ると、道路も新しくなっています。

こんな崖崩れが多いと継ぎ接ぎだらけみたいで工事が一々大変だろうなあ、

と思っていると、トンネルを出たあたりで大きな看板が見えてきました。

どうやら、この辺一帯を一気に工事してしまって新しい道路を通そうという計画のようです。

こいつはすごい。……。でも、この工事、必要なんでしょうか…???

この周辺は道路も新しくなっているのですが、この地域って将来的にどうなんでしょう。

押角駅近くまで来ました。表示こそあるものの、このへんは工事の拠点になっていて、駅跡を見学に行くとかはできません。もっとも、崖崩れの影響から、橋がなく渡るのも不可能みたいです。

二重の意味で「押角駅」という遺跡を見ることは不可能のようです。

近くには空き家が一軒だけありました。

川の近くです。

たぶん、この一軒の家のためだけに作られた駅だったのかも…と思ってしまいます。

不法侵入になるのも困るので、中までは撮らないでおきます。

心霊写真とか写っても嫌だし( ;∀;)

しっかし、340号ってほとんどが狭いんですよ。

片側に土嚢とかよく積んであるし。がけ崩れしやすいんでしょうね…。

一番狭いのはココでしたね。山肌が迫って車道が車一台分くらいしかないのです。

右はえらい高さの崖です。

対向車も見えづらい。

実におっかないです。

ただ、この最後の難関を抜けると、だんだん視界が開けてきます。

里に出てくる感じです。和井内の里です。

なんだか、あの建物、学校っぽい。

いや、でもまさかね、大きめの民家でしょう…、多分…。

水田の中に神社が。

この和井内の集落の一番奥にある神社ということは多分ここが地域の境界線としての神社なのでしょう。

墓地もありますね。

なんの神社か額もないのでわかりませんが、多分、道祖神的な「塞の神」なのでしょう。

もう少し進むと、「岩手和井内」駅跡につきます。

  何やら消されていますね。

ここ、「和井内」は「鞭牛和尚」が生まれた地だそうです。

閉伊街道を開いた聖人と言われています。

こちらの駅舎はまた新しい。

なんだか最近つくられたもののように見えます。綺麗!!!

どうもここはレールパイクの拠点のようですね。

レールパイクの紹介HPへ

レールの跡を自転車のトロッコで漕げるなんて面白そう。

今年のような猛暑でなければやってみたいもんです。

この日は平日だったので、やってません。

ただ、そのレールパイク以外のところは、草ボーボーです。

そりゃ、まあそうなりますよね。

そういえば、押角駅あたりからずっと線路跡を見なかったなあ…。どこに線路があったんだろう…???

 

道路沿いに行くと、すぐに次の中里駅です。

この辺の道路はとても綺麗で整備されています。

人家も多くなってきました。すっかり人里という感じです。

さっきまでの区間は人家もほとんどありませんでしたからね。

駅舎はここは昔のままのようですね。

隣の「岩手刈屋」駅の看板もあります。と、いうことは隣の「岩手刈屋」駅はないのでしょうか…。

 

ないですね。

いや、もう、まっさらですわ。

枕木もレールも完全に撤去されて、バラスト(砕石)しかありません。

駅舎の痕跡もまったくなし。

ちなみに、この「岩手刈屋」駅跡周辺はだいぶ集落のただなかにあります。

このくらいの集落なら駅があってもおかしくはないかな、くらいになってきます。

次はいよいよ最後の「茂市」です。が、

時折、線路の跡が見えるんですよね。あれ、川にかかる線路の跡でしょう?

こんなんあると、決定的です。いや、久しぶりに見た。岩泉線の鉄橋跡。

しかし、線路らしき場所に足を踏み入れても、

あるのは雑草の山です。

かろうじて線路だった跡はあります。

この辺も枕木やレールは撤去されたようです。

廃校になった茂市小学校跡地に来ました。

まだ校舎なんて使えそうなもんですが、閉校になったんですね。

少子化の波は予想以上に早かったということでしょうか。

小学校のすぐ目の前にあったこの建物は何でしょうか?

ツタが生い茂り、建物としての使用はなさそうですが…。

児童館かなんかだったんですかね?

まもなく茂市駅です。

商工会議所がありました。

向かいには駅員用宿舎が。

泊まる人、いるのかなあ…???

茂市駅です。これはまた新しい。

キレイですね。

中も立派。

下駄箱みたいですが、本棚もあります。

とはいえ、無人駅なんですよね。

ホームはとても広めです。

ここは今でも山田線(盛岡から宮古を結ぶ線)で使われていますし、かつては岩泉線との合流に使われ、さらに貨物輸送(耐熱煉瓦用の土とか?)もあったというのですから納得の広さです。

ただ、そんな繁栄があったのは昔のこと。

 

【「岩泉線」について】

 今回の記事はここまでです。岩泉線の跡地を可能な限り(物理的に不可能な場所も多いので)全て探訪できたわけではないので、ちょっと消化不良の面もありますが、現状では割と網羅できた感があり、若干満足しています。

 以前から455号にかかる高架跡が気になっていました。それをきっかけに岩泉線を調べてみようと思っていてたわけです。

ん???…自分で書いていて、なんだか「夏休みの自由研究」みたいだなあと思いました(笑)

話を元に戻します。

455号から340号に入って和井内に抜けるまでの地域、ここが岩泉線のかつてのメインでした。

耐熱煉瓦の材料が取れるから、その輸送のために作られたと聞いています。

そんな岩泉線はそりゃあ、廃線になるよなあと思いました。

もはや耐熱煉瓦とかに用のない現代にとっては、貨物輸送の必要性もありません。

一方、人口も少なすぎて、鉄道を維持する云々の前にむしろ、「冬季通行止め」になるレベルです。

関東から来た自分には信じられないのですが、岩手は冬の間通行止めになる区間というのがけっこうあります。

そういう道路は冬の間除雪がされません。除雪にかかる費用を抑えるためでしょう。

そういうのが「冬季通行止め」区間です。もちろん、沿線にまったく人が住んでいない道路のみの話です。

そういう道路が岩手にはけっこういっぱいあるんです。信じられないけど。

今回の区域もそれに近いです。

実際にクルマで走ってみてわかりましたが、数えるほどしか人家がなかったです。

空き家ももちろん写真以外にもいっぱいありました。

その数えるほどしかない方たちに移住を勧めれば新たに道路を作る必要もないのになあ…。

いっそもうこの地域、閉鎖するとか…。それこそ秘境中の秘境ってことで。

ただ、もう道路工事は着手されているし…。

さらに、気付いたのは、いくつかの民家はまだ「新しい」んですよ。

たぶん、建て替えだったり、あるいは「田舎暮らし」を求めて新たに移住してきた方とかもいるのかもしれません。(プライバシー保護の観点からもちろん写真撮影は控えさせていただきました)

そういう方にとっては移住なんてさせられるのは困るでしょうなあ、さすがに…。

そんな人口減社会の問題についていろいろ考えさせられる今回の旅でした。

【終わり】

【撮影日:2023/08/28】

 

 


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