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直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

人の顔がわからないという話

2023年06月24日 | ちょこのひとかけ
なんでも、読み書き能力を鍛えていくと、
その能力強化に脳のパーツが侵食され、
顔を認識する能力が失われていくことがある
とかいう話を見ました。

それが本当だとしたら、なかなかおもしろいです。

わたしは昔から読んだり書いたりが好きで、
今も解読・解釈などやっているくらいですから
それで脳のほかの部分が読み書き能力に奪われる
というのなら、さもありなんというところ。

他の、読み書き好き、解読好きなどの人も、
人生の途中で他人の顔がわからなくなったり
しているものなのでしょうか。
大々的に、きちんと行われた調査があれば
読んでみたいですねえ。



わたしが人の顔がわからなくなったのは
だいたい中学二年ごろ。

人の顔がわからないのはどういうことか、というのを
せっかくなので述べてみると……
たとえば駅前で、大勢の人が歩いてくる中に
一人立っているような感じです。

歩いてくる人たち全員に、顔がついていることはわかります。
でも、じゃあ目を閉じて、今過ぎていった人の顔を
思い出してみろ、と言われて、一人でも思い出せるかどうか
というようなところでしょうか。

……普通の人が思い出せるのなら適切ではありませんが、
どうでしょうか。

その通り過ぎる中に、同じ人がまた脇から戻ってきて
実はぐるぐるまわっていたとしたら、気づくでしょうか。

わたしにとっての他人の顔はだいたいがそんなもので、
他人に『顔』というものがついていて
それぞれ異なっている、というのは判別できるものの、
じゃあ、どこのなにが異なっていたら、
それは『だれ』なのかと言われたらまったくわからなくなる感じです。

目に入ってはいても見ていないというか……
たとえば友達と歩いていて、人が通り過ぎたとき
「いまの、○○さんだったね」
なんて言われても
「えっ、気にしてなかったからわからない」
と答えるときのような。

ただ……中学二年あたりまでに知り合った人なら
顔は思い出せることもあるんですよねえ。


情報ゴーグルとかができて、相手を映したら
名前がさっと出るようなものが出てくれば
非常にありがたいと思います。
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