一応漫画を描いてみようと、キャラなどをぼちぼちと考えていました。
でも、ただキャラを考えるだけでも、話をどうすすめて、
誰がどういう行動をとるのかというキャラの役柄によって、
見た目も変わってくるので、話自体も一緒に考え続けます。
そもそも研究書の内容に絵をつけたくらいで
どうにかなるものなの? という疑問を持ちながら
いやいや考えている間に、
ライトノベルは文字を読むのは面倒で、
アニメで見るのはがちゃがちゃして苦痛でも、
漫画は案外おもしろく読める、ということに
思い至ったりしました。
そしてまた別のとき、逃避でネットの文を読んでいるとき、
ふと気づいたのです。
漫画にしてみたら、という言葉は、
研究内容に絵をつけるという話ではなく、
読んで、見て、おもしろい内容にしてみたら、という
意味だったのだと。
わたしは研究内容をまとめて読みやすく、わかりやすくしたので
それをそのまま発表するか、あるいは論文として出すかしか
考えていませんでしたが、そういう正統派の手段ではなく、
読んでおもしろくてためになる、エンタテインメント系で
書いてみたらと言われていたとは、まったく気づきませんでした。
たしかに研究書なんて、
そうそう他人に読んでもらえるものではありません。
かといって、わたしに、広く他人が読んでおもしろいと
思えるものを書けるとも思いません。
長い小説は10本くらい書いて、ショートショートは3000本くらい
書き上げましたが、結局十数年無駄にしただけだったし、
『おもしろいとは何か』さえつかめないままです。
わたしにおもしろい小説が書けないなら
まともな論文を書いてみたいものです。
わたしの論文はどうして通らないのか、どこがだめなのか、
どうしたら通るのか知りたいです。
闇の中で生きるのはもう疲れました。