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直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

朝と夜の語源?

2021年06月06日 | ちょこのひとかけ
最近は方言や語源についても考えていますが、
沖縄弁はすごく古語っぽい感じのものが残っていて
考えるとわくわくしてきます。
沖縄弁と古語、という観点で考えていたら、ふと思いついたものを。


『あさ』という言葉は、おそらく日が『出る』イメージを元として、
発音は『widu(ぅいづ)』。

これが揺らいで、

 widu ぅいづ
  ↓
 watu ぅあつ
  ↓
 asu あす/あさ

というような流れを経て、『あさ』になったのだと思います。
『東』の『あずま』系も、おそらく『あす』系統の変化なのでしょう。

『よる』という言葉は、おそらく『あさ』の対義語で、
日が『入る』イメージを元として、
発音は『yiru(ぃいる)』。

これが揺らいで、

 yiru ぃいる
  ↓
 yoru よる

というような流れで、『よる』になったのだと思います。
おそらく、『ゆう』も

 yoru よる
 yuru ゆる
  ↓
 yuu ゆう

で、元は『よる』と同音だったように思います。

ならば『昼』はなにかといえば、
日が『出る』のと『入る』のとの間で、
日がそこに『ある』。

 aru  ある
 wiru ゐる(居る)

系統の概念から、

 aru  ある
 wiru ゐる(居る)
  ↓
 hiru (ひる)

なのではないかと思います。

あるいは『ひがし』も、

 widu いづ
  ↓
 wigu ウィグ
  ↓
 wagu ぅあぐ(上ぐ)

あたりからきていて、

 wagu ぅあぐ(上ぐ)
  ↓
 wagari アガリ
  ↓
 higasi ヒガシ

と、沖縄弁系の変換をしたものなのかもしれません。

もしヒガシに沖縄弁のような概念が入っているとしたら。
『ニシ』は『入る』の変換で、

 yiru ぃいる
  ↓
 disu ディス
  ↓
 nisi にし

と、『いる(イリ)』と『にし』は語の揺らぎであると
説明することができるようになります。
同概念で『ひがし』と『アガリ』も説明できるのが
ちょっとおもしろい気がします。

沖縄弁変換が日本のどこまで使われているのか、
いつごろの言葉まで残っているのか、
変換の種類はどんなものがあるのか
というのをしっかり固めていくと、
日本の古い言葉へのつながりが見えてきそうな予感はします。


今のところ、『いる』が『いす』や『でぃす』に変換されることがある、
なんていってもほとんどの人は理解もできずにこじつけだというでしょうけど。
言葉には揺らぎ方、というものがあって
ひとつの言葉が、元の姿をまったく想像もつかないレベルで
揺らぐことは事実としてあるのです。

言葉について考える人が、言葉の揺らぎについてみんな知るようになれば
もっと言葉の研究も進むはずなのに。

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