最近、どこかの物理学者が、重力について
あらたな話題を出してきたようです。
そのままだとよくわからない文だったので、
わたしの思ったことと合わせて、
わたしなりに書いてみます。
まず、大本の話は、『重力という固有の現象は存在しない』
というもののようです。
それは、言い換えれば
『重力とは別の物理現象の下位存在である』とでも言えるでしょう。
たとえば、バナナの温度を思いっきり下げると、
バナナで釘が打てます。
この現象を、『低温ではバナナで釘が打てる現象』と名づけて
その原因は、
『超低温になると、【バナナに釘で打たせる力】というものが発生し、
それの力をためていくことにより、
バナナで釘が打てるようになるのだ』というものだと
いわれていたとしましょう。
でも、待って。と 外から声がかかります。
「『超低温でバナナが打てるのは、
【バナナに釘で打たせる力】のせいじゃない。
【バナナに釘で打たせる力】なんてものは存在しない。
水だってジャガイモだって凍らせれば硬くなるし、
釘を打てるようになるかもしれない。
それは、【凝固】という現象の末端、
下位存在に過ぎないよ」
と。
これが今回の話です。
たしかにいま、重力に見える現象はそこらへんで
確認されています。
でも、それは重力現象ではなくて、
別の現象の一端が重力に見えているだけなのだ
というようです。
これはなかなか面白い考え方だと思います。
わたしは宇宙についてちっとも興味がないので
知りませんでしたが、今回のことで関連するものを
見ていったら、重力は宇宙を考える際の
重要な概念であったようです。
今回初めて適当に見ただけなので
以下の話は間違っているかもしれません。
けれど述べてみると、
今の重力の考え方だと、宇宙や恒星・惑星の動きなどを
説明すると矛盾が生じてしまうのだそうです。
たとえば、片側だけに寄りすぎて、本来であれば
そちらに吹き飛んでしまうはずなのに、
実際はそうではない、というものだったとしましょう。
なら、今の状態を矛盾なく説明するにはどうすれば
いいのかと考えて思いついたのが、ブラックホールです。
片側に寄って吹っ飛んでいくはずのものが
吹っ飛ばずに同じ位置を保っていられるのは、
すべてを吸い込むブラックホールがちょうどいい位置にあって、
吹っ飛ぶパワーと同じパワーで吸い寄せてるから、
現在いいバランスを保てているのだ、という
つじつまあわせのトンデモ妄想だという話もあるそうです。
これを言い換えるなら、
あるところにとてもモテる女性がいたとします。
その人のそばに、とてもモテない女性がいたとします。
世の男性は、なぜかモテる女性に引き寄せられています。
それを見て、モテない女性は考えます。
『わたしにも、同じだけモテる力があっていいはず。
なのにモテないのはなぜだろう』と。
そこで考えたのが、モテブラックホールです。
自分のモテるパワーを吸い取るだけの存在が
どこかにあるから、自分はモテないのだというわけです。
宇宙におけるブラックホールも、
そういうものらしいです。
ここで重力に話を戻すと、その学者は
どうやら重力は、エントロピー増大の法則の一部であると
考えているようです。
エントロピー増大の法則とはどういうものかと言えば、
わたしの言葉で適当に述べるなら、
『みんな楽なほうへ向かおうとする』ということです。
水は低きに流れるという言葉があります。
これは自然に従えという意味でもありますが、
人の心は放っておくと堕落に向かうという比喩にもなります。
なぜ水は低いほうへ流れるか、と考えると、
今までの物理学の常識では『重力があるから』ですが、
今の新しい考えでは『そのほうが楽になるから』です。
これはエントロピー増大の法則の一端です。
その点においては、高潔な人が堕落して地に落ちるのと、
山にある水が低地へ流れるのと一緒というわけです。
ただ、熱力学でいうエントロピーは、秩序と無秩序を
あらわす言葉なので、本来の意味とは変わってしまいます。
わたしは世界に当てはめるなら、『秩序』よりも
『楽さ』のほうがぴったりくると思います。
その概念で人を見てみます。
人には、無職でだらだらして部屋も片付けず
黒い悪魔と同居生活を送って平気な人もいれば、
きっちり勤めて部屋も片付けて生活することが平気な人もいます。
この差はなにかと言えば――
これも、それぞれが自分にとって『もっとも楽である』
ことをやっているのに過ぎません。
黒い悪魔が苦手な人は、部屋を片付けておいて
出現をあらかじめ防いでおくほうが負担が少ないのですし、
気にならない人は片付けないほうが楽なので片付けません。
自殺する人は、本人にとってもものすごいことをするのではなく、
総合的に見て自殺を含めた人生が
自殺をしないで生きる人生より、苦痛が少なくて楽でいられると
思うから自殺をします。
逆に、どんなになっても生きている人は、
自殺の苦痛がなにより大きいので、
すこしでも楽をしたいために自殺はしません。
自分の身をなげうってでも他人のために尽くす人は、
その行為をしたことによって、しなかったときよりも
結局自分の心が楽になるからこそそれを行い、
他人を傷つけて喜ぶ人は、そのほうが自分が楽になるからこそ
平気で人を傷つけるのです。
みんなみんな、多かれすくなかれ、自分が今のところ
楽になろうとする行動をとっているに過ぎません。
そして、それは、宇宙も。
現在の宇宙も、高いところから低いところに流れようと
しているところなのでしょう。
なぜ高いところにあると不安定で、
低いところにあると安定するのかはよくわかりません。
星の重力が、表面でなく中心部にあるとすると、
中心部に『低さ』というものが暫定的に発生していることになりますが、
どうしてそこが低さの基点になっているのかもよくわかりません。
でも、もしかしたら。
人が表面に引かれて二人がくっついたあと、
人の深いところ、心の奥底にひかれていくのと
同じような法則が働いているのかもしれません。
知りませんけど。
んー面白い内容でした
神そのものであるという考えもあります。
今の個別に見えている現象は、
もしかしたらとてつもなく大きく、
とてつもなく美しいひとつの理に
まとめられるものなのかも知れません。