常世……本物であって、仮ではない世界。つまり、あの世です。
発音は『とこよ』。
では、常にはなくて仮の世とは?
仮の世であるこの世とは、なんと発音するでしょうか。
と言えば、夢かうつつか幻か、の『うつつ』。
仮の世であるこの世は『うつつ』です。
この言葉の語源はなんでしょうか。
意味のわからない言葉、意味がわからないけれど、
特定の言い回しの時にだけ表れてくる言葉というのは
かなり古いものであることが多いです。
さらに、神道の研究上、日本の古語の研究上、
かなり古い日本語は、母音言語ではなかったと考えられます。
(参照:https://blog.goo.ne.jp/nanmo-nanmosa/e/e659ba1f849ebf3ffea2df15776e0045)
すると、仮の世『うつつ』に似た意味で、
別の発音をする単語があるかもしれません。
そう思って考えると、浮かんでくるのは
本気で寝るのではなく、仮に寝る『うたた』寝。
うたた寝は漢字で仮寝とも書くはずです。
これを思うと、
仮の世である『うつつ』と、
仮の寝である『うたた』寝には共通概念が見て取れます。
すなわち『utt』で『仮』をあらわす、ということです。
こうすることで、ひとつの対応が見えてきます。
永遠の、揺らぎない、動かない、ゆるぎない、本番の、しっかりした
などの概念を表す言葉、『トコ(tok)』。
これの対義語、反対概念として、
仮の、揺らぐ、ぐらぐらした、変化する、かりそめの、ぼんやりした
などの概念を表す言葉、『ウタタ(utt)』。
すると、本番でなく仮にちょっと寝るのを仮寝(ウタタね)
と考えることができますし、
本番でしっかり寝ることを本寝(トコね)
と考えることができるようになります。
トコ寝をする場所だから、床(とこ)になるのではないか、
とも考えられます。
動かないもの、基盤、固定されたものを『トコ』と呼ぶと考えると、
『ウタタ』の語源はもう一段古い場所にあるのかもしれません。
動くもの、固定されていないもの、変化の概念である『ut』です。
ut-ろう でうつろう=移ろう
ut-る でうつる=移る
ut-t でうつつ
ut-t でうたたねのうたた
ut-ろ でうつろ。ぼんやりした
調べてはいないので適当ですが、この概念が正しいとするなら、
時間を表す『トキ』も、
無変化・固定を表す『トコ』の変化形である可能性があります。
すると、時が移ろうは『tok(固定)』が『ut(変化)』ろう、
という意味になります。
ところで、古語で、『意味があるように感じるほどの程度』という言葉は『いみじ』。
『いみじくも~~』というように使われる言葉です。
日本で古い水菓子と呼ばれるのは『ときじくの かぐのこのみ』。
『ときじく』の元は『ときじ』だとすると
『tokじ』で、変化しない、そのままの、などの意味を表しそうです。
漢字にすると『非時(ときじく)』と書いたりもします。
これだとトコに非ずで、変化する意味に見えますが、
おそらく 時が移ろわ非 という表現なのではないかと思います。
tok を使った言葉には、『とこしへ(永遠)』があります。
『ゆくへ(行方)』、『いにしへ(往にし方)』、『まへ(目の方)』
などと同類の言葉です。
『とこしへ』の『とこ』は『tok』。『へ』は『方』。
では『し』はなにかといえば、副詞かなにかの語尾、
『とこし』で、『ときじく』の『ときじ』につながる、
『tok-し』というような発音の言葉だったのではないか、とも考えます。
あわせて、『tok-し-方(とこしへ)』。
形容詞『よろし』に『なへ』がついて『よろしなへ』という言葉があるので
形容詞『とこし』に『なへ』がついて『とこしなへ』という言葉もできそうです。
前は 『tokし-な-方』かと思っていましたが、
こちらのほうが近そうです。
おそらく、永遠、固定、不変をあらわす言葉に『とこし』、
あるいは『とこじ』というものがあったのでしょう。
こういうのは本腰を入れて調べたらおもしろくなるのですが、
個人が文献を調べるのはとても大変です。
わたしに力があれば、お金があれば。
後の世のため、研究のため、
現存する古文を全部データ化して、
個人でも簡単に調べられるようなものを作りたいところですけど。
発音は『とこよ』。
では、常にはなくて仮の世とは?
仮の世であるこの世とは、なんと発音するでしょうか。
と言えば、夢かうつつか幻か、の『うつつ』。
仮の世であるこの世は『うつつ』です。
この言葉の語源はなんでしょうか。
意味のわからない言葉、意味がわからないけれど、
特定の言い回しの時にだけ表れてくる言葉というのは
かなり古いものであることが多いです。
さらに、神道の研究上、日本の古語の研究上、
かなり古い日本語は、母音言語ではなかったと考えられます。
(参照:https://blog.goo.ne.jp/nanmo-nanmosa/e/e659ba1f849ebf3ffea2df15776e0045)
すると、仮の世『うつつ』に似た意味で、
別の発音をする単語があるかもしれません。
そう思って考えると、浮かんでくるのは
本気で寝るのではなく、仮に寝る『うたた』寝。
うたた寝は漢字で仮寝とも書くはずです。
これを思うと、
仮の世である『うつつ』と、
仮の寝である『うたた』寝には共通概念が見て取れます。
すなわち『utt』で『仮』をあらわす、ということです。
こうすることで、ひとつの対応が見えてきます。
永遠の、揺らぎない、動かない、ゆるぎない、本番の、しっかりした
などの概念を表す言葉、『トコ(tok)』。
これの対義語、反対概念として、
仮の、揺らぐ、ぐらぐらした、変化する、かりそめの、ぼんやりした
などの概念を表す言葉、『ウタタ(utt)』。
すると、本番でなく仮にちょっと寝るのを仮寝(ウタタね)
と考えることができますし、
本番でしっかり寝ることを本寝(トコね)
と考えることができるようになります。
トコ寝をする場所だから、床(とこ)になるのではないか、
とも考えられます。
動かないもの、基盤、固定されたものを『トコ』と呼ぶと考えると、
『ウタタ』の語源はもう一段古い場所にあるのかもしれません。
動くもの、固定されていないもの、変化の概念である『ut』です。
ut-ろう でうつろう=移ろう
ut-る でうつる=移る
ut-t でうつつ
ut-t でうたたねのうたた
ut-ろ でうつろ。ぼんやりした
調べてはいないので適当ですが、この概念が正しいとするなら、
時間を表す『トキ』も、
無変化・固定を表す『トコ』の変化形である可能性があります。
すると、時が移ろうは『tok(固定)』が『ut(変化)』ろう、
という意味になります。
ところで、古語で、『意味があるように感じるほどの程度』という言葉は『いみじ』。
『いみじくも~~』というように使われる言葉です。
日本で古い水菓子と呼ばれるのは『ときじくの かぐのこのみ』。
『ときじく』の元は『ときじ』だとすると
『tokじ』で、変化しない、そのままの、などの意味を表しそうです。
漢字にすると『非時(ときじく)』と書いたりもします。
これだとトコに非ずで、変化する意味に見えますが、
おそらく 時が移ろわ非 という表現なのではないかと思います。
tok を使った言葉には、『とこしへ(永遠)』があります。
『ゆくへ(行方)』、『いにしへ(往にし方)』、『まへ(目の方)』
などと同類の言葉です。
『とこしへ』の『とこ』は『tok』。『へ』は『方』。
では『し』はなにかといえば、副詞かなにかの語尾、
『とこし』で、『ときじく』の『ときじ』につながる、
『tok-し』というような発音の言葉だったのではないか、とも考えます。
あわせて、『tok-し-方(とこしへ)』。
形容詞『よろし』に『なへ』がついて『よろしなへ』という言葉があるので
形容詞『とこし』に『なへ』がついて『とこしなへ』という言葉もできそうです。
前は 『tokし-な-方』かと思っていましたが、
こちらのほうが近そうです。
おそらく、永遠、固定、不変をあらわす言葉に『とこし』、
あるいは『とこじ』というものがあったのでしょう。
こういうのは本腰を入れて調べたらおもしろくなるのですが、
個人が文献を調べるのはとても大変です。
わたしに力があれば、お金があれば。
後の世のため、研究のため、
現存する古文を全部データ化して、
個人でも簡単に調べられるようなものを作りたいところですけど。