一般的に『邪馬台国』と呼ばれている、古代日本のあの国。
実は『台』の字は本当は何と書かれているのか、あいまいなままです。
なぜか、と言われたら、昔は文章はデジタルではなく、
コピーもできず、手で書き写すしかなかったため、
書いていく途中で文字を書き間違えることがあったからです。
現代人でも、年賀状で住所を書いていたら、
宛先住所に自分の住所をうっかり書き出してしまって驚く
ということがあるでしょう。
昔の人ももちろん、そんなことをやってしまったわけです。
わたしの研究、竹取物語でも、写本によって文字が変わる、
表記揺らぎがありました。
たとえば、『さ●きのみやつこ』の『●』は何なのか、
『つくのあな』なのか『つくのある』なのか、
といった問題です。
そのせいで意味がわからなくなっていたため、
それの元の漢字は何か、復元できないかというのを
ひたすら研究した結果、元の字と、元の意味を復元できました。
そんな経験から、似た手法で邪馬台国の文字揺らぎを
解消できるのではないかとすこし見てみたら、
別に深く考えなくても答えがわかりそうでした。
論文でもないので厳密には見ていかず、適当にざらっと考えます。
まず、最初の資料で書かれていたらしいのが『邪馬壹』。
数字の『壱』みたいな字です。
魏志倭人伝では日本の『壱岐(いき)』のことを
『一支(イキ)』と書いているようなので
イリャンサンスーあたりからひいて『イ』と読むのでしょう。
すると、『ヤマイ』国になるわけです。
次の時代の資料で書かれていたらしいのが『邪馬臺』。
『台』の難しい字で、現代はこれの略字を使って『邪馬台』国と
呼んでいます。
そこに、
「正しくは『邪馬臺』だったわ。
『邪馬惟』って読むのかと思ってたけど今で言えば『邪靡堆』だわ」
というようなことが付け加えられます。
昔の資料はデジタルなどではなく、アナログです。
おそらく竹かなにかに書いていたのでしょう。
紙に書いてあったとしたって、経年劣化で痛みますし、
虫に食われて穴が開きます。
よって、中国では書物は人の手によって
何度も書き写されてきました。
最初の原本などはもう存在していません。
そのため、「かつての文章にこう書いてあった」
というのは、純粋な最初の書物に同じ文字が書いてあったという
証拠にはなりません。
純粋な最初の書物では違う文字で書いてあったのに、
それを書き写す人が間違えて写したすえに、
「最初の文書にはこう書いてあった」
と書いた可能性があるからです。
それを踏まえて。
新しい邪馬台国の記述では、
漢字は『壹』じゃなくて『臺』だ。
読みは『惟』じゃなくて『堆』だ。
と書いてあります。
『惟』は、思惟などに使われる『イ』
『堆』は、堆積物などにつかわれる『タイ』。
これらに読み仮名をそれぞれ振れば、
漢字は『壹(イ)』じゃなくて『臺(タイ)』だ。
読みは『惟(イ)』じゃなくて『堆(タイ)』だ。
と書いてあるということになります。
並べてみると、それぞれ似た文字について述べているのがわかります。
では、ヤマイとヤマタイとどちらがより正しいでしょうか。
といえば、漢字でも読みでも、『タイ』のほうが正しい
という結論になります。
じゃあ、「邪馬台国」は「ヤマタイコク」なんだ!
……と向かってしまうのは早急すぎます。
『邪馬臺』は『邪靡堆』だと書いてあるのが問題になるのです。
馬の漢字は『マ』や『バ』。
靡の漢字は『麻(マ)』と『非(ビ)』
ヤマタイなのかヤバタイなのかヤビタイなのかそれとも違うのか
という問題が出てきます。
ヤマタイかヤマイかという話よりも、
こっちのほうがよっぽど重要な問題だと思います。
そもそも『邪馬臺』は、だれがどこの位置で書いたものなのでしょうか。
古文では、発音に甲類と乙類があると言います。
それがあやしいものは偽物だとすら言われます。
……が。本当にそうでしょうか?
それは絶対的な真実でしょうか?
たとえば、現代語で、ふとんをつかえる状態にして床に置くことを、
うちのほうでは「ふとんをひく」と言います。
一般的には「ふとんをしく」ですが、わたしはそれを「ひく」と
発音するわけです。
いまだに布団はひくのかしくのかよくわからなくなりますが、
文字で書くときは悩んだ末、しくとします。
考えるのすらめんどうなときは、ひくと書きます。
甲類と乙類記載もそれと同じでしょう。
甲類と乙類を正しく発音できるものがしゃべったことを、
甲類と乙類を正しく発音できるものが書けば、
甲類と乙類は正しく記載されます。
甲類と乙類を正しく発音できないものがしゃべっても、
甲類と乙類を正しく発音できるものが単語を理解して書けば、
甲類と乙類は正しく記載されます。
では逆に、甲類と乙類を正しく発音できないものが、
甲類と乙類を正しく発音できる者の言葉を書くときはどうなるでしょうか?
甲類と乙類を正しく発音できないものが、
甲類と乙類を正しく発音できないものの言葉を書いたらどうなるでしょうか?
昔は、文字を書くというのは一般人にまで浸透してはいませんでした。
その文章のその文字を書く任務をあたえられた人が、
甲類と乙類を正しく書いていたからと言って、
世界のすべてにおいて甲類と乙類が正しく口にされていたとは
限らないでしょう?
書く人は、文字を書けるような集団の中にいたので、
その集団では甲類と乙類が正しく話されていたからそう聞き書きできただけ。
特に古代日本では、言葉や文字をまだうまく扱えなかったため、
役所には外人を雇うなんてことがザラにあったと言います。
たとえば、中国に日本人街があったとして。
ブラジルに日本人街があったとして。
アメリカに日本人街があったとして。
それぞれの二世が話す日本語の発音は、
ずっと日本にいて、育ち暮らし続けた人の発音と、
まったく同じだと思いますか?
分かれた4部族が、まったく同じ発音で日本語を喋ると思いますか?
わたしは、喋らないと思います。
現地語に引っ張られて、発音が変わるはずです。
現代だって、外国人タレントなどが話す日本語は、
日本人が話す日本語とは発音や喋り方、イントネーションなどが
違うでしょう?
そういうこともあって、わたしは、古語における
甲類と乙類の発音とは厳密なものではないと思うのです。
ですが、一般的に今の権威は
「古語には甲類と乙類の発音がある。
これは絶対的に正しく、甲類と乙類の発音が正しくないものは偽書である!」
とさえ言えるような考えを持っています。
基本的に日本ではどんな学会でも、
権威者の考えから外れるものは異端者であり、
権威者の考えに対立する説は、権威者と同等かそれ以上の権威者から
発言されない限り議論の俎上にも上げてもらえません。
現代の権威者が「地球の周りを太陽が回っている」と言えば
学会ではそれが正しく、どんなに「太陽の周りを地球が回っている」と
言っても覆りません。もしくは、言うことすら許されません。
それが日本の学会です。
外国や外国人がからむ学会だとぜんぜん違うようですけれど。
……というところも含め、わたしは言霊信仰を持っているため、
言葉の観点からヤマタイコクを考えます。
そもそも、「ヤマタイ」って誰の言葉なのでしょうか?
日本側は正しく「ヤマタイ」と言ったのでしょうか?
中国側は正しく「ヤマタイ」と聞き、
正しく「ヤマタイ」と書いたのでしょうか?
誰がなんと言って、誰がなんと書いたのか。
それぞれの言語上の齟齬はどこにもないのか。
そこを考えないといけません。
わたしとしては、日本側は「ヤマタイ」と言わなかったと思います。
古代語を使う日本人は、「ヤマタイ」と言わなかったはず(※1)です。
一方で中国人は「ヤマタイ」と読める言葉を書いていますから、
日本人は発音できても、中国人は聞き取れず、
発音できない言葉だったという可能性が高いと考えます。(※2)
たとえば、英語の「lice」と「rice」は、
英語圏人は聞き分けられて言い分けられますが、
純日本人にはどちらも「ライス」のように聞こえる上、
発音しても「lice」にしかなりません。
これと同じことが、中国人側で起きていたと考えられるのです。
では、中国人側に発音できず、日本人側で発音できる言葉、
「ヤマタイ」っぽいけど「ヤマタイ」そのものではない言葉、
『邪馬臺』や『邪靡堆』に表記ゆれ、発音ゆれが起こる言葉には
どんなものがあるでしょうか。
それを日本側資料でひたすら探してみました。
基本的に日本の歴史書は、邪馬台国のことを表立って書いていません。
知っていたのか知らなかったのか、というレベルで出てきません。
実際、知っていたのか知らなかったのかといえば、
知っていた、と考えられます。
その第一証拠は「つしま」です。
日本人に対し、「つしまは周りを海に囲まれた、二つ海の島だ」
と説明し、漢字で書いてみてと言ったら、どう書くでしょうか?
たぶん、「津島」か「(二)つ島」などと書くはずです。
でも、実際の漢字は「対馬」。
なぜ、「対(つい)になってる馬」なんて書くのでしょうか?
といえば、魏志倭人伝に「對馬(対馬)」と出てくるから
と考えられます。
魏の人は、当時の日本人が言った言葉を、
自分たちの音に当てはめて書いていますから、
日本人は「ついま」「ついば」というような発音をしたようです。
すると、「ふた」というような長い音節が聞き落とされることは
まずありませんから、「つしま」と元々言っていたようです。
日本は島のことを島と呼び、「し馬」なんて言いませんから、
魏志倭人伝のころから「つしま」は「つしま」として
日本の領土として存在し、それに対し、
魏志倭人伝の漢字を逆輸入してあてたと考えられます。
第二証拠は、和歌です。
こちらは半分研究テーマですが、歌人たちが後漢書東夷傳で
述べられた地名を書いたものがあります。
和歌を詠む時代の人は、魏志倭人伝よりも古い、
後漢書東夷傳すら読んでいたという事実があるのです。
以降の証拠は省きますが、こういったことからも、
旧日本は邪馬台国や、魏志倭人伝を知っていたと思われます。
知っていたのに、中国の歴史書にも大きく書かれているのに、
無視しているように見えるのはなぜかと言えば、
歴史書の編集者は、依頼者から、
はっきり書くなと言われたからと考えるしかありません。
では、まったく書かれていないのか、
それとも、はっきりじゃなく書かれているのか。
結構がんばって探してみたところ、
日本側にも邪馬台国の記述があるのを発見しました。
もちろん、ヤマトのことなんかではありません。
たとえば、『飛ぶ鳥の明日香』と言えば、
今や飛鳥京のことだとは周知の事実です。
『飛ぶ鳥の明日香』が都のことだとわかっているから、
明日香を飛鳥と書くこと、明日香が地名であることもわかります。
では、都だとわかっていなかったら?
というものが、邪馬台国にもありました。
邪馬台国の漢字は当時どう書かれていたか、
邪馬台国は当時正しくはどう読まれていたかはわかりませんが、
当時の人間が、すくなくともあだなとして邪馬台国をどう読んだか、
五畿七道のどこらへんにあり、
古代地名ではなんという場所にあったのか、
というところまではわかりました。(※3)
よって、結論から見るに、
「邪馬台国」は「ヤマタイ」のほうが日本人の発音に近いです。
「ヤマト」とはまったく違いますが、
現代発音の「ヤマタイ」とも違いました。
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資料を全部読んでいって解釈すると、
冗談じゃなく一生以上かかる量がある上、
わたしのメイン研究でもないので、
上記の結果を踏まえながら適当につまみ読みしたところ、
どうもヤマト国は、「ヤマタイ」国の音をわざとまねて作ったようです。
その上で、ヤマト国はすべての起源です、
と言おうとしているように見えます。
本物に対して、似たものを用意して、「こっちが起源だ」と言い張る。
自分が外人なのに、「日本人だ」と嘘をついて悪いことをする。
他人の家や人を殺して、その人に成りすます「背乗り」をする。
メディアに仲間を送り込んで、組織内でどんどん仲間を増やしていき、
最終的には乗っ取る。
実は天皇が嫌いで、いつもどうにか貶めようとしている……。
こんなことをしている民族が、現在でもありますよね?
かつての日本の歴史においては、
いきなり出てきて日本人になり、日本の名前をもらい、
この名前は自分が起源だから自分以外使うの禁止!
などと言いながら、天皇を利用して無駄に偉くなり、
自分が偉くなったら天皇をお飾りにして、
無駄に増殖したあげく、周りに暴虐非道の限りを尽くしたという、
どこかの民族にそっくりな一族があるでしょう?
あれが、日本の歴史書をめちゃくちゃにしたようです。
でも一部がそれに抵抗して、明記したら処罰されるので
目立たないように、でも伝えられるように、
内容を書いていたようです。
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※1 ※2 ※3
根拠はすぐにでも示せますが、
メイン研究のひとつ、竹取物語の不明文字の解読法に
一部関わるので、今は省きます。
結論も、今のわたしが述べたところで
発掘できるわけもなく、証拠も出せるわけもなく、
たわごとで終わってしまうので無駄でしょう。
もし、竹取物語の、「さるきのみやつこ」や「つくのあな」、
「はうかんるり」、「十六そをかみに」など、
何を言っているかわからない箇所を解読したことが認められれば、
1000年間も誰もわからなかった文章を解読したのだと、
解読法やその内容にも信憑性が出て、
邪馬台国の名称などについてもようやく
考慮してもらえるようになるのではないかと思います。
……でも、おとぎばなしの不明文章の解読論文なんて、
「それがどう世界に役立つの?」
「その論文を載せて、誰にどういう得があるの?」
と訊かれたところで正直、言葉に詰まります。
「誰だかわからない作家の書歴をまとめて思想や筆致などの
推移を示すよりは意味があるんじゃないですか?」
とか
「1000年間だれもわからず、辞書すら間違って載せていたことの
本当の姿がわかるなんてすごくないですか?」
とかくらいしか言えず、論文誌に積極的に
アピールできる要素がないのが悩みどころです。
内容自体は間違ってないと思っているんですけどねえ。