酔ったいきおい
ネット空間は居酒屋だと思って書いております。




 

 人によってさまざまな価値観というものがあります。
 人が何千年もたっても分かり合えないのはだいたいこの価値観が原因だと私は思っております。

 同じ人類なのに地球に線引きして国を分ける理由を
 もし子供に聞かれたら「価値観が違うからだよ」と答えるつもりです。

 例えば猫を悪魔として殺してまわる文化の人たちが居たら、同じ人類とは思いたくないですね。
 一人二人なら止めるようお願いしますが、集落ができるほどの規模でしたら、それはもう国を分けるしかありません。

 人付き合いの仕方が分からないという人は、まず「相手の価値観はなんなのか」を見つけるつもりで行動すると対応できるかもしれません。
 質問攻めや尋問をするというのではなく、判明していない価値観部分には当たり障りのない会話で受け流し
 なんらかの話題があれば「あ、それ好きなの?」「〇〇があるらしいけど、好き?」などと聞いてみて価値観を確認していく感じですかね。

 確認して好きと言ってたものをどんどん持っていくと相手が疲れますので、記念日などにひょっこり出すぐらいがいいでしょう。
 やることは苦手なものに触れないという事。

 価値観が違いすぎる場合、付き合う必要はありませんが
 それがどうしても避けられない付き合いだとしたらなんとか折り合いをつけねばなりません。

 職場であるならば、会社の方針を見ます。

 自分の価値観が会社と同じならば、違う価値観の人はそのうち会社から去ります。
 手を下す必要はありません。
 あくまで「貴方の考えは会社の方針に合わないよ」と注意するに留め
 去るまで距離をとりましょう。

 自分の価値観が会社と違うならば、居続けるのはどんどん苦痛になります。
 精神がやられる前に会社から去りましょう。

 それが親戚付き合いの場合、自分に著しい負担を強いているならば
 自分の価値観をはっきり言い、距離を置くようお願いします。

 我慢して付き合うよりも「お互いにとって」離れた方が良いでしょう。

 負担がそれほどでも無いならば「そういうの苦手で」というぐらいに留めて
 あまりその事について触れないようにするのがいいでしょう。

 さて「平等」という言葉があります。

 人間が社会を形成する中で、本当に大事ものです。
 しかし価値観の相違によって、この平等も様々な解釈がされ、争いの種になることがしばしばです。

 「平等」という言葉が出る運動で醜い争いを目の当たりにし
 「平等」という言葉に眉を顰める人もいるくらいです。

 さまざまな種類がある平等の中でこんなものがあります。

 100キロの荷物を持てる人がいます。
 そして50キロの荷物を持てる人がいます。

 100キロの荷物を持てる人に100キロの荷物を。
 50キロの荷物を持てる人に50キロの荷物を。

 これで賃金が同じ。
 これを平等という人がいます。

 100キロ持てる人にしてみれば、50キロしか運んでいない人が
 自分と同じ賃金というのは納得がいかないでしょう。

 そして両方に同じ重さの荷物を持たせて同じ賃金。
 これを平等という人がいます。

 50キロの荷物を持てる人にしてみれば、生まれつきの差で辛さが違うのは
 自分は悪くないのにズルいと思うでしょう。

 この価値観の差で争いが起きます。

 同じ重さの荷物を持たせるのが平等という会社にて
 フィジカルの強さに比例して
 荷物の重さを変えてやる事が平等と言う人が訴える。

 自分はこれだけ弱い人間なのだからと
 生まれつき弱い事の証拠をどんどん突きつける。

 しかし会社の価値観の人はなぜ怒っているのか分からない。

 お互い視点の位置が違うのだから
 この価値観の争いは永遠に終わらないと思います。

 私はこれについて解決は求めませんが
 「どうして争いになっているか」は知ってほしく思っております。

「フィジカルの強さに比例して荷物の重さを変えてやる事が平等と言う人」
 と
「どんなフィジカルでも荷物の重さが一緒なのが平等という人」
 では

 話が合わなくて当然だよ。
 と。

 同様に、さまざまな場面で起きている「平等」に対する訴え。
 まず、お互いの「価値観」を調べて提示することが重要な事だと思います。

 平等は正義かもしれませんが
 価値観に正義は無いのだから。



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