はい、どーもー。メゥリリー族(筆者が妄想したオリジナル種族)の姫路鹿之助です。
筋トレで身体が温かいからと薄着で過ごしていたら風邪気味になりました。
某騒動が原因でマスクが売って無くて困っております(涙)。
今回、日本は社会主義国のテーマでコラムをお送り致しますが「お前のコラムの社会主義は違う」と言われてしまうかもしれません。
が、細かい話ではなくて大雑把な話です。どうか広い心で見てやってください。
日本社会主義国
日本って国は「社会主義」の国なんですよね。
社会主義ってのは、文字通り「社会(集団の人々の生活)」が「主義(考えの行動の指針)」の事です。
人々の生活が良くなるためにみんなが協力する「ひとりはみんなのために、みんなはみんなのために」そんな考えです。
「社会」を良くするためには個人の考えは我慢しましょう。
「社会」で作られたルールを「善」として行動しましょう。
そうすれば治安も良くなるし災害時の混乱が抑えられます。
災害の多い日本には必要! ってことなんでしょうね。
この主義の悪いところは「社会が良くなるためなら個人の考えはダメ」ってところです。
社会の安定の為ならば個人の考えは「それが正当な理由」でもダメ。
例えば学校の校則で「日本人なら黒髪」という校則があって、それが「社会」が作ったルールならば「日本人だけど生まれつき赤毛」って人でも「黒に染める」なんていうのがまかり通っています。
「社会」がこういうのが「正しい」と決めてしまったからには社会に従わなければならないのです。
なぜかルールが善悪になってしまう
法律というのは「善」ではありません。
スポーツのルールみたいなものです。
サッカーでいうところの「手を使っちゃダメ」とかいうのと同じです。
別に手を使う事は「悪」ではありません。
サッカーというスポーツが「手を使っちゃダメ」ってルールを課しただけで「善悪」なんて無いのです。
しかし日本では「法律」を「善」としてしまっています。
社会というスポーツを円滑に進めるために作られたルールが善悪の判断になってしまっているのです。
なので法律の制定が遅く「トライアンドエラー」をしません。
ルールは時代に合わせて作り変えていかなければならないのに「善悪にしてしまったために変えられない」という縛りが出来てしまっています。
変わりつつある社会の考え。旧来の考えとの摩擦
日本が社会主義として人々が生活をしていましたが、近年だんだんと自由主義や個人主義が台頭してきました。
そして日本の社会がそちらに移行しつつあります。
企業などでもそうです。
今までは全体の人々が円滑にいくよう、社員同士が一丸となって行動する。
会社組織という社会を構築していくのが最も大事な事とされてました。
そのためには社員同士で飲みに行ったり家族のような付き合いをしたり、皆が残業しているなら自分も残業したり、上下関係に縛られたり、会社の為に個人の考えは我慢したり。
そんなのが常識であり「善」だったのです。
現在「そういうのは止めよう」という考えが社会に入り込んできました。
いえ、昔から入り込んでいましたが、今までは拒絶されていました。
しかし近年、個人主義の考えが受け入れ始めたのです。
旧来の社会主義に染まった社員たちはこの個人主義の社員に戸惑い、いろいろと手を焼いているようです。
社会主義のルールを「善」としてきた社員たちにとって、個人主義の考えを認めるのが難しいのでしょう。
私は個人主義の台頭を嬉しく思っておりますが、日本の法律が個人主義に追い付いてません。
早いところ法律を改正していき、個人主義と上手く付き合えるようになるといいなと思っております。
「個人」に染み付く「社会主義」がオワコン糾弾をつくる
社会主義では「一つの考えに対してみんなが歩調を合わせるべき」という面があり、自由主義や個人主義の方々と意見が合わない部分であります。
とある人が何かのコンテンツのファンだったとして、そのコンテンツが嫌いになって別のコンテンツに移った際、他の人も一緒に移ってないと「それは間違っている」と感じ「〇〇はオワコンだ!」っと糾弾する。
オワコンオワコンと叫ぶ人はそんな感じだと思います。
例え本当にそのコンテンツがオワコンだったとしても、別にそれを言う必要はありません。
本当にオワコンならば、ほおっておけば消えるのですから、わざわざ叫ぶ必要はないのです。
社会主義な考えを持っている人にとっては「犯罪者を擁護する人に対してイライラするような気分」があるのでしょう。
「悪を叩く正義の味方顔」して糾弾。困ったちゃんですね。
自覚と利用
私は個人主義で利己的主義者ですから、日本の社会主義の考えとは真逆です。
しかし「日本の社会主義を変えよう!」とかは思っていません。
日本が社会主義の国であることを自覚し、さまざまな事を「これは社会主義の考えで発生しているのでは?」と考察し、それに対して「どのように対処すれば楽に生きれるのか」を追求したいと思っており、皆さまにもお勧めしたいのです。
社会主義の考えの人たちは上手く扱えば生活が楽になります。
最近は「親戚付き合い」という「社会のためになら個人の考えは捨てろ」の典型的な物に対し、自分の個人主義は侵害されないよう気を付けながら上手い事合わせたら楽になることが分かりました。
案外世の中、楽に生きようと思えば楽にいけるものかもしれませんね。
それではまた。