個人的に気に入った漫画だったり、書籍だったりを気まぐれで紹介するモトブログおじさん

モトブログおじさん
ヒーロー名作漫画を僕なりの視点から紹介。オリジナル漫画もあります。
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仮面ライダー555(ファイズ)結花は家庭で虐待、高校でイジメ生き地獄の末、全員虐殺した

2015年05月31日 | 日記
長田結花は家庭では虐待にあい、ネグレクトの結果アルバイトで得たわずかなお金で文房具など調達していたが
上履きと鞄はいじめっ子らに落書きやカッターナイフで切り刻まれ使えなくなっていた

生き地獄の毎日、やっと自分で購入した靴下、上履き、鞄を取り上げられ

学校中を探す、、、やっと見つけるとそれはすべて切り刻まれゴミ箱に捨てられていた
そのまま家に帰れば、また、親に暴行を受けるのを解っていていじめっ子らはそうした

やむをえないであろう長田結花は、覚醒したオルフェノクの力でいじめっ子だけを切り刻み

いじめっ子らに呼び出された体育館はやつらの血の海と化した


上履きや鞄が切り刻まれたように、やり返しただけ そういじめっ子らは復讐され死んで当然だったのだ
家でも虐待の張本人を長田結花はオルフェノクの力で切り刻みキッチリ惨殺している


その後、仮面ライダー555(ファイズ)に見つかるが、罪も無い人を殺さぬならという条件で許される

なんと!!うはっ!!ヒーロー555(ファイズ)とともに人に害を加える悪人と戦うヒーローのサポートをすることになるのだ

怪人が悪いのではない、人を苦しめ、人の夢や希望奪う奴らを倒すと締めくくっている
:仮面ライダー555 VOL1後半

仮面ライダー555はちょっと危険なストーリーだが、心の奥で妙に納得できる作品になっている
また、その間のスマートブレイン社の刺客とファイズの壮絶な戦いもリアルで濃厚な作品


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仮面ライダー555(ファイズ)VOL.1 全てを奪われたとき絶望から木場勇治は怪物になった

2015年05月24日 | 日記



イメージを描いてみました

裕福な資産家の家に生まれ育った木場勇治は、誰もがうらやむ可愛い彼女「ちえ」と将来を考えるようになる

彼女にも優しくて美しい母、無口だが思いやりのある父、まさに木場勇治は幸福の絶頂だった

しかし、両親を事故で亡くし、自らも大けがをおい植物人間となるが奇跡的に回復 

そして木場が退院後

家に帰ると、自分の豪邸は売りに出されていた。木場勇治の資産は会社から家から

従兄弟の一族により全て略奪されていた

従兄弟が固執していたのは木場勇治の可愛い彼女「ちえ」

この事故もひょっとして従兄弟の策略だったのかもしれない


木場勇治が行く当てもなく「ちえ」の家に向かうと「ちえ」は従兄弟と同棲していた

従兄弟と「ちえ」から死んでてくれればよかったのにと追い払われると

心のささえだった「ちえ」を失った絶望から 木場はホースオルフェノクへと変貌した



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月の光がまぶしいほどの澄み渡る夜空の下で・・・僕はトボトボと歩いた

2015年05月23日 | ふと思ったこと
以前、立ち退きをしたときのことだが・・・

 母親は強い、精神力は男の比ではない。 
 
 鍵やリモコンの受け渡しに何故か娘も来ていて、飾ってあった絵を僕にくれるという。???

 そうなのだ自分の住居が競売にかかり、僕により立ち退きをされたことを母親から聞かされていないのだ。

  通常ならば逆恨みとはいえ僕はその不法占有者排除人ということで当事者には恨まれるべき立場だ 

 その2枚の絵は公表するわけにはいかないがプロ並みですごい。  

 母親も僕に自慢した。 娘は嬉しそうだった。一番の理解者でありファンである母親に色々話していた。  


  引越し先でまた明日も書き続けるという。

 「よろしくお願いします。」と娘は僕に言った。

 母親は僕に何か言おうとしたが、僕は機転を活かし「うん、こちらこそよろしくお願いします。」と言った

  実際、もう会う事はないのだが・・・ただ、どうかお幸せにとそう思いながらトボトボと遠くに止めた駐車場所まであるいた。


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、、、ACT-3 人は人からたよりにされる、、そんなことでメッチャ強くなれる、、そんな気がした

2015年05月22日 | 若かりし頃の話
紹介先の大手管理会社に訪問するには条件があった

今回、仙台の新規開拓は3泊4日であったが最終日だったために

もう一日、仙台に滞在しないといけない

新仙台支店の開設スタッフ(東京支社から派遣)以外の10名ちかくは翌朝 新幹線でそれぞれ東京、横浜へ帰る予定だった

京都支店は僕が支社長なので、福岡本社へ連絡し残ろうかと指示をあおいだが


福岡本社は「そんなことより早く京都に帰ってやって、君の採用した◯◯くんからしょっちゅう電話があってかなわん」

僕「はっ、そうか、、◯◯くんに電話してみます」

◯◯くんは僕が面接し採用してほしいと福岡本社にお願いして 採用してもらった、ちょっと変わったタイプ

前職は少年鑑別所職員~塾講師 といった教師のたぐいかな、、、その割には

電話をしてみると7時頃だったが、ちゃんと事務所に待期していて、なんらかの指示をまっていた


◯◯くん:「あっ、、あっ、支店長~~ よかったです~ 明後日にアポがとれてて、支店長に一緒に行って欲しいんです~」

僕:「はあ~~ キミ、前職は教師系じゃん、、説明するの得意なはずだけど、、一人でいけない?」

このときは最初に採用したこの人だけで、後は事務の女の子しかいないため、、どうしようもない


開設スタッフメガネ:「キミんとこも京都支社できたばかりで、支社長のキミがいないと厳しいでしょ・・いいや・・俺行くから・・・」

に僕:「ありがとうううう~ 成績はメガネでいいから やり残し感あってあれだけどたのんます」

なんかクビになるかもしれないのに、あっちもこっちも必要とされて

その当時の人生では、あまりないことだったので。

人から、たよりにされることなんてない人生だったので

強くならなきゃ、力強くいきなきゃと思ったのだ




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派閥争いに強きものは、、、ACT-2  まあとにかくいっちょうやろうか

2015年05月21日 | 若かりし頃の話
僕が裏切るはずはない

ただしかし、愚痴をこぼしていたことは確かだった

当初は連帯保証人不要システムは部屋を借りる人のためのものだったが、なかなか商品が売れず

次第に管理会社、オーナーからの要望を取り入れシステムを変更し

それから爆発的に申し込みが増えた

実際、僕自身も簡単に契約が取れ バンバン提携契約が浸透したことも事実だった


いつのまにか入居者審査システム、代位弁済後の債権取得システムに変わっていったことだ

自営や水商売などへは場合により保証システム+連帯保証人をつけなければいけない

入居者へはけっこう厳しいシステムに変わってしまっていた

そのことへの不満を、居酒屋などであちらこちらでしゃべっていたのを思い出した

メンドクセー奴と思われ始めたのかもしれなかった

理想と現実とのギャップに僕自身悩み続けていた

そんなおり、新規開拓の仙台の不動産業者さんにこのシステムを褒められた

このエリアは若い人で保証人のいない方が多く、早速、案件もあって使いたい

すぐに提携契約をすることになったのだが

お願いされた

最終的に 賃貸保証会社を保証人としてOKするかどうかは管理会社しだいなので

地元の大手管理会社にも説明をしておいて欲しいとのことだった

申し込んでも、、何コレ??といわれたら終わりだろ?とのこと

ごもっとも、、、

落ち込んでたけど、、クビになるまえに何か足跡を残そう

よし、、いっちょう、、がんばったるか!とやる気が出てきた



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派閥争いに強きものは、、、ぶっちゃけ(--)どーでもいい奴だったりするACT-1

2015年05月19日 | 若かりし頃の話
現在の僕の状況では考えられないことだが(数人しかいないので)

昔、金融保証や賃貸保証、、当時としては先駆け!!

そんな胸を張れる仕事をしていたことがある 今でも自慢だ 門前払い、ボロカスに罵られたが やりがいがあった

今は普通に賃貸保証が浸透しているが

2000年のその頃は不動産会社の肝っ玉の小さい担当によっては(ほんとやたら肝っ玉の小さい奴おったなあ)
 怪しい、、とか門前払いをくらうシステムだった

まあ、初めて聞くシステム  連帯保証人は不要という当時は無いシステムだったから仕方ないでしょう

しかし   僕は連帯保証人という理不尽な制度がなっとくがいかず  この仕事に飛びついた


今は不動産屋さんで「保証会社」といえば どこぞの賃貸保証会社のことを指す

ところで草創期の賃貸保証を浸透させる努力はのちのち語ることとして


そのころ努めていた保証会社は社員全体で(東京、横浜、福岡)で福岡70人+東京、横浜20人くらいの規模

そこそこの規模だった

僕はいきなり福岡採用で単身赴任  横浜支社で訓練、、現地採用の面接、営業研修(俺も新人だっつーの(汗))~東京支社と合同営業
~京都でいきなり支店長就任から現地採用面接、ライトな経理!!~営業研修(まだまだ新人ですがなワチきも)重要事項説明+契約から京都支社兼任で 大阪支店をだすため店舗下見~大阪仮支店長就任(人材が育つまで)

毎日、多忙すぎて めまいや吐き気がしても 一人でやらないといけないので鬱になるかと思ったほどだ

派閥なんてー感じのがあって懐かしいなあ


造反組がいて(メインの責任舎が退職して新たな金融保証会社を設立ごっそり顧客ももっていった)

その残党狩りみたいなのがあって(最終的には3っつの会社に分かれることとなる)

僕も造反組ではないかと疑われた

新仙台支店で合同研修兼営業みたいなのがあっって仙台の宿泊施設で懇親会の際に

同僚が小さい声で「出田さん、、、◯◯◯さんとも仲がいいでしょう?彼はクロらしいですヤバイです
とばっちり受けて出田さんもクビになりますよ」

とこっそり教えてくれたりした

民主主義とはいえ会社の中では、、王様は会長(金融関係では社長を会長と呼ぶ)だ

逆らえばクビだ 理不尽だがクビだ 

僕は思わず「ぎょええええ~っ マジかっ 偉いこっちゃ」とエセ関西弁みたいにリアクションしてしまった
  続く


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友達は大切にしよう~う~んなんだろ楽しい

2015年05月18日 | ふと思ったこと




















振り返れば人生なんてあっというまである

そのなかで思い出した時に楽しかったなあとニヤニヤしてしまうのは

いわゆるキャバクラくらなどでヘラヘラしているときではない

やっぱり友達と騒いでいるときなのだ


ふふふ、、、ふふふふふふふ



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時には立ち止まって~静かな街をそっと眺めてみよう

2015年05月17日 | ふと思ったこと






とてもいい天気です

僕の近所です

いいとこでしょう?

汗ばむほど世界は夏へ向かっています

ああ雨の日もあれば。。。こんな暖かい日ざしに包まれるような

こんな日もあるのか

ひっそりと散歩をしながら

鼻歌をうたいながら

どこまでも

歩いて行きました




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流れ星に約束などしていなかったが、君のかけらをつなごう 最終章

2015年05月16日 | ふと思ったこと





傷つくのをおそれて言えないことがあったが、今となってはどうなのか自分でも解らない


知人はもういなくなっても

あいかわらず毎日、、仕事で嫌なことがあったり、うまくいったり、飲み会に呼ばれたり

・・・・大変な日々だ

ふと思い出す  預かっていたレモン色のインコのことを


もうつなぐことがない物語と

今頃になってしまったが言いそびれていた言葉を書きとどめよう



さよなら、そしてありがとう


さあ、新しい物語を描いていこう



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流れ星に約束などしていなかったが、君のかけらをつなごう 第2章

2015年05月09日 | ふと思ったこと




知人のもとへレモン色のインコが帰ってほっとしていたが、それから2ヶ月ほどしてそのインコは亡くなったと言っていた

知人の落ち込みようは、それは表現できないほどであった。

知人は体が痛い、痛いといっていたが自らインコの墓を実家の裏庭にもうけた

ほんとうはそのとき僕も何となく・・気づいていたんだ

知人と会うのはこの日がもう最後かもしれないということを


だからこそ一日潰してでも遠い田舎の実家までたずねたりしていた

仕事でバタバタして、、しばらくしてある日・・

実家から通院していた病院で知人がなくなったと聞いた


僕は変わり者なのだろうか不思議と涙は出なかった、ただボ~~っとして

以前自宅に送ったときに、車の中で流していた「DoAsインフィ二ティ」のベストCDを知人がずっと聴き入ってるふうだったので

そのCDを知人にあげていてよかったと思った




それからだいぶ日がたって、知人の母親から形見としてもらったレモン色のインコの鳥かごを

ひとりながめながら、あのときインコが亡くなったのは溺愛する飼い主の死を予感していたのか

だからきっとそれでよかったんだと,ふと思った



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 流れ星に約束などしていなかったが、君のかけらをつなごう 第一章

2015年05月07日 | ふと思ったこと
         




ちょうど一年前の今頃だろうか?

春の暖かい陽光がさす日に知人がガンで亡くなった

未だにピンとこない。 フラッと福岡に遊びにくるのではとか思ってしまうほどだ

もう20年以上の知人ではあるが

ほとんど思い出はない

ガンの末期になってから何度か車で国立病院機構九州がんセンターから病院をかわるため荷物と知人を移転先の病院に送ったり

実家へ送り届けたり・・・・・その程度である

どしゃ降りの雨の日・・・九州がんセンターへ車をつけ、受付でまっていると

昔みたときとは信じられないほど憔悴しきっていた。連れてきた看護婦さんは僕をみるなり

「本当にすいません。ありがとうございます」と手を合掌してお辞儀してお礼を僕にした

皮膚から出血する別の病気も発症し、その治療期間、福岡徳州会病院に入院することになったらしいのだ


よほど悪いのか、、ひょっとしたらもう・・・悪い予感がよぎった


やっとこさ車内に体に負担がかからないよう乗ってもらい

移動先の福岡徳州会病院へ連れて行った


その入院期間・・・しばらくずっと知人のレモン色のインコを預かっていた

インコは普通に覚えたことばをしゃべっていた。 繰り返し繰り返し自分(鳥)の名前をしゃべったり

独り言みたいにコトコトしゃべっていた

インコは 普通の餌と水とカルシウム?の塊 みたいので飽きてるだろうと

僕は知人から聞いてたレタスをかごに挟んであたえてみたりした インコはブワワワっとレタスを興奮して食べまくっていた


そのうち、知人の母親から連絡があり、もう長くないので寂しいだろうからということで、インコを返すことになったのである





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