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たどりついた場所にあったものは~親父への感謝状(独り言)

2020年08月04日 | ふと思ったこと
たどりついた場所にあったものは~親父への感謝状(独り言)
2015年04月26日(日) 15時11分16秒
テーマ:ブログ










不動産屋をやっていると様々な場面に遭遇します。

生活保護のご高齢の方が老衰により自宅で亡くなって

通常だと生活保護ケースワーカーがお世話するらしいのですが祝日だったために連絡がとれません

それで、そのかかりつけの病院の急患に連絡があったわけですが亡くなった後の対応は当然、病院の仕事ではありません葬儀屋の仕事です

急患担当者はキッパリ断ればよかったのでしょうが善意で知り合いの葬儀屋の連絡先をスマホから探して伝えたりしてみます。

今度はその遺族は葬儀費用も生活保護費から出るらしいのでその葬儀屋ではつまらんとか、予算枠でしないといけないとか色々要望がエスカレートしてきます

僕は部外者でありまじきことではありますが話に割り込み、病院の急患担当者にその対応を断らせました

なんだかなあ~優しすぎるのも実際どうなのかなあとか思いながら

ふと、中学生の頃を思い出しました

その頃、恐ろしく貧しく、遊園地やサンシャインプール的なプールなど入場料がかかる所には行けませんでしたが

・・・・親父がよく川や海や山に連れていってくれました。

ビックダディみたいな生活でした。

家族5人で一日平均の食費は朝昼晩3食で1,000円以下、当時もし消費税が導入されていたら死んでたかもしれません

当時の親父は遊びたい盛りでも、我慢して働き、安い居酒屋にはいることすらなかった。

借金返済のため一生懸命働いた

親父の洋服はいつも一張羅 いつも同じ服だった ヨレヨレだった

選択肢としてあったのは

嫁を捨て、子を捨て、もっと自由に生きることもできたはずだ

借金だって連帯保証人になったあげくそうなった。

何も悪くない

その頃は不動産業ではなく博多の美野島で和食の店をまじめにやっていましたが、ある金貸しの取り立て担当者がみかねてコッソリ破産申請を勧めたことがあるぐらいでしたが

きっぱりことわり返済計画を仕切り直し事業を継続した

本当に頑固な親父だった
(後日、店の常連の不動産業者にスカウトされ不動産業に携わることになるのですが)

ビデオデッキもステレオも何もなくても それでも充分楽しかった

お金などなくとも、親父は休日に家族を遊びに連れて行ってくれた

ずっとかばってくれた

お弁当を作り、ボールなどを持って山や海や川などへ出掛ければ  子供は普通に楽しいものだ
今の時代では考えられないほど家族は結束していた

ところで川は気をつけた方がいいですね海よりかなり沈むしおぼれかけて大騒ぎ(笑)ヽ(;´Д`)ノ

僕はパンの耳50円くらいだったかな、最初10円だったけどいっつも買いにに行くから値上がりしたんだよな
美野島商店街で干からびかけの野菜の見切り品を買って水につけてパンパンの新鮮にしたり、、、懐かしいなあ

あと、借金取りからいつも督促の電話がかかってくるので電話を毛布でグルグル巻きにしていた

玄関のチャイムを取り立て屋が鳴らし続けると、親父は僕らや母さんに心配かけまいと
強気の親父がちょっと来い!!と外へ連中をつれだし道路脇でワーワーやり合っていた

ある日電話が鳴らなくなりホッとしていると、その内に「お客様の都合により現在通話できません」って言われるよ???と友人に言われた 滞納により電話はとうにストップしていたのである

だけどさすがに水道や電気がポッと使えなくなるとホントに困り、慌ててこれだけは入金した(笑)

中学生の頃の、今では懐かしい 大切な思い出



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