涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

2024.1.14

2024-01-14 00:00:00 | チラシの裏
正義フォビアという言葉を目にした。



実際問題、リベラルさん達の言うことに対してそりゃそうだよな~と思う反面、でもウゼェこと言ってんな~(笑)と思ってもいる。

保育所か小学生くらいのころだったか。まあまだチンコに毛の1本も生えない頃のハナシ。
友達と外で遊んでた時、役場のババアとかに「ソコは許可なしじゃ遊んじゃいけないところなので、別のところ行ってね~」とか言われたことがあって。
それは至極当然なハナシで、遊んじゃいけないところで遊んだらいけないことなのでババアが正しい。
そのため、もちろん従うわけだけど、心の内じゃ「クソうるせぇババアだ。死ねばいいのに」とか思ってたわけ。

また、俺らが何かする度にPTAのババアがしゃしゃり出て来た時も同じような想いを抱いたことがある。アレは子供心ながら本当に鬱陶しかった。
とはいえ、それも言い分からしたらPTA側の方が正しいんだ。
やっぱ何かあってからじゃ遅いし責任も取りたかねぇだろうからな。
なので、これもまた正しいのだ。だけど、あのウゼェババア達の言いなりになっちゃうのがスゲェ腹立たしかったな。

これもまた、一種の正義フォビアなのかもしれないな~と今更ながら思った。
まあ単に大人の言いなりになって好き勝手できないことへの我儘みたいなもんなんだけども。

正義の問題っていうのは面倒なことが多くて、基本的に主張がぶつかる時はどっちも正義ヅラをするわけで。
だからどっちの方が道理に通っているかというのと、そもそも正義って何?っていう定義づけから始めなきゃならんこともある。

ただまあ、最近の迷惑系だったり私人逮捕系のヤツ等の正義漢ヅラや、ネトウヨの愛国者ヅラっていうのは明らかに正義でも愛国でもない。
なので、俺は渋々ながら当時毛嫌いしていたPTAババア側の立場であるリベラルさんに肩入れしなきゃならんわけだ。

そういう意味では正義フォビアっていうのは好き勝手出来ないことへ対しての癇癪みたいなモンなんじゃないかと思った。
まあ癇癪なんか抑えてくださいダメなら医者に行ってくださいってハナシなので、結局正しくないのはこっち側なんだろう。
だから、社会的な大人としての建前で言うんだったら、正しいこと言ってる方に着いていく方が皆ハッピーになるんだろうな~とは思うし、実際直面したら正しい方につく。
例えば表現の自由戦士(笑)とかな。絶対アイツ等表現の自由守りたいとかじゃねぇもの。エロ表現の自由にしか興味ないぜきっと。

とは言ってもそれで気分が晴れたら人間やってねぇよってハナシでもあるので、行動ではリベラル側につくことはあっても、やっぱリベラルの連中は嫌いだし、一緒にして欲しくない。
人間は感情の生物だからな。理屈じゃねぇのよ。こういうのは。


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