摂津国 安威城 [アイジョウ] | ||
別称 | 安威館 | Coming Soon |
城郭構造 | 平城 | |
築城年 | 永正間年 | |
廃城年 | 1586年 | |
指定史跡 | 指定なし | |
住所 | 大阪府茨木市安威[MAP] | |
スタンプ設置場所 | ||
御城印販売場所 |
概要 安威城は、土豪の安威氏によって築かれた城で、北の花園山にある砦と一対の城郭と考えられています。 安威氏の記録は、「六波羅蜜寺文書(1363年)」の中に記されていることから、鎌倉時代の終わり頃には在地領主として居かれたと考えられ、城郭もこの頃に築かれたのではないかと考えられている。 城の規模は、「大阪府全志」によると東西百間(約180メートル)、南北百五十間(約272メートル)とされ、また「東摂城址図誌」には、小字城垣内とされる南北五十五間半(約100メートル)、東西二十二間余(約22メートル)の地域に御殿台と呼ばれる土檀の存在を伝えています。 現在、安威小学校の東側道路と村の中央を南北に走る道路との間が内郭(主郭)で、中央道路に沿って流れる溝は、城の堀であったと伝えられています。 外郭は、今もその多くが竹林となって旧地形を残しています。さらに東南の一角には、城の井戸と伝えられる井戸が残っており、もとは石積みの井戸であったといわれている。 |
遺構の確認を行うのは非常に難しい城郭となっている。茨木市地域包括支援センター裏にある竹林などに遺構が残っているのだと思われるが、私有地のため未調査となっている。
天王文庫と書かれた建物の前に城址碑と説明版が設置されている。