常陸国 芹沢城 <セリザワジョウ> | ||
別称 | ||
城郭種別 | 城郭 | |
縄張り | 平城 | |
築城者 | 芹沢秀幹 | |
築城年 | 天文年間 | |
廃城年 | 不明 | |
主な城主 | 芹沢氏 | |
指定史跡 | なし/不明 | |
住所 | 茨城県行方市芹沢 [Google] [地理院地図] | |
城址碑 | あり | |
現地案内板 | あり | |
スタンプ | ||
現存建造物 | なし | |
復元建造物 | なし |
概要
常陸大掾一族である芹沢氏は、吉田氏系(水戸地方からの別れ)の玉造氏とは違う大掾本家の多気氏の末裔にあたります。南北朝時代に芹沢氏の祖となる平竜太が相模国高座郡に所領を持ち芹沢の地に館を構えたとき氏を芹沢とし、成人後は幹文と改め、良幹、高幹、望幹四代にわたり鎌倉御所に仕えました。その後芹沢良忠が常陸へ戻り館を構え、秀幹の代天文年間(1532~54)に芹沢城が築かれたとされます。
また、芹沢家は医薬の術を持つ豪族として戦国武将にも知られていました。相模国在住の時から医術と関わりを持ちながら、芹沢家四代当主範幹は京都へ赴いたとき医術を学んでおり、今に伝えられる白薬、万病円など疵の治療薬を提供していた。この医術にまつわる民話が「カッパの恩返し」の伝説となって今に伝えられています。
※現地看板より
説明板
城址碑
2024/8訪問
周辺地図
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※ 城址等は、私有地になっている場合もありますので、有権者の確認を行うなどをし他の人の迷惑になるような行為はやめましょう。
※ 自分で出したゴミは、家に持ち帰り処理を行うようにしましょう。
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