YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ウェールズの旅~ウェールズの美しい山河

2021-09-06 17:55:01 | 「YOSHIの果てしない旅」 第5章 イギリス
△イギリスで一番高い山、標高1085mのスノードン山~当時の絵葉
*スコットランドのベンネビス山が一番高い山でした。

・昭和43年9月7日(土)曇り(ウェールズの美しい山河)
 コーウェンのユースを出て、3km程歩いて街道へ出た。
今日は車が多く走っている割に、ヒッチ率が非常に悪かった。20分、30分、50分とヒッチ合図を送り続けても、いっこうに停まってくれる車はなかった。どの車も定員状態であった。昨日は向こうから停まってくれる車があったのに、今日は如何してなのであろうか。いずれにしても気長に待つしかなかった。
 1台目にやっと1時間位過ぎてから乗せて貰う事が出来た。その若者の言う事には、「ホリデーはヒッチに適さない」と言うのだ。そう言えば今日は土曜日、道理で家族連れの車が多いと思った。家族でピクニックやドライヴに行くのであろう。その多くは私と同じ方向のスノードン方面のようであった。。
その1台目の車には、かなり長く乗せて貰った。昼食は周りの山々に囲まれた誰もいない静寂な湖畔で済ませた。素晴らしい景観がありながら観光地化されていないのが、自然保護に良いのであろう。
 2台目は、直ぐに降ろされた。
 3台目は夫婦が乗っている車であった。そのおじさんに、「学生ですか」と聞かれ、「はい、学生です」とつい私は言ってしまった。そうしたらいろいろな事を聞いて来た。例えば、「日本の学生は、アメリカに対し敵意を持っているようだが如何してか。何故学生は安保反対なのか」とか、「日本人はソ連のチェコ侵入を如何思っているのか」《ソ連軍侵攻当日の8月21日はパリに居たが、私はこの件に関して全く知らなかった》とか、「東京、パリ、ロンドン等で学生運動が活発化しているが、如何思うか」等を尋ねられてしまった。
答えるのに苦労した。しかし英語が上手でない私だから、議論にならなかった。全く冷や汗をかかせる様なお堅い話で、嘘を付かなければ良かったと思った程であった。おじさんは、中々の知日家であった。私のヒッチの旅で、難しい政治問題を幾つも話したのは初めてであり、そしてこれが最後であった。
 その夫婦連れの車から降りたこの辺りは、山岳地帯であった。それ程高い山でないが、サウスウェールズの牧歌的な山々と対照的であった。道は片道一車線で、家々の作りは南ウェールズと対照的で、石造りが目立った。
 4台目も夫婦連れの車であった。その車でスノードンの麓のユースまで乗せて貰った。
午後3時頃、まだ誰も宿泊する人は見当たらず、オープンは5時からであった。ユースの裏手にスノードンの山容が見え、あたかも武甲山(埼玉県秩父市。昔の破壊される前の武甲山)と同じであった。そして四方山に囲まれたユースの前は、鎌北湖程の湖(埼玉県毛呂山町)が静寂の中に広がっていた。
イギリスで一番高い山、そして美しい湖があって自然美に富んでいるにも関わらず、全く観光地化されていないのであった。日本の不動産業者や観光開発業者であったら、喉から手が出る様な所であるのに・・・。自然に対する考え方が、こちらと日本では違うように感じた。多分こちらは・・・自然は自然のままに残してその自然や景観を楽しむ。日本は・・・資本家が金儲けの為に自然を開発(破壊)し、人々は造られた(破壊された)自然を楽しむ傾向になって来ている。車、ケーブルカー、ロープウェーで、昨今高い山にハイヒールで簡単に行けるようになった。しかし人々はそれらの山や自然に対し、どれほどの感動を感じるであろうか。手付かずの自然と破壊された自然、どちらが人や環境に良いのであろうか、考えられずには要られなかった。
 ユースがオープンするまで時間があったので、小鳥のさえずり以外、何も聞こえない自然に抱かれた湖畔の草の上で横になっていたら、私はいつのまにか1時間程、寝込んでしまった。
 夕方からリックを背負った登山者らしき若者達で、山小屋風のユースは賑わって来た。
 夜、イギリス青年達に発音を含む英会話の教えを受けた。


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