中村如水随想録

身体論、体癖論、潜在意識、NLP、アレクサンダーテクニーク、インナーゲーム、引き寄せの法則、音楽。今、ここ。

178. The Gateway Experience

2013年09月29日 14時02分54秒 | Hemi-Sync
半年の試用期間の間、MetaMusicやMindFoodをほぼ休みなく聴き続け、しかもじんわりと効果を感じているので、遂に The Gateway Experience を購入。Wave 1, Discovery 1 からえっちらおっちら始めている。

MetaMusic では Eternal Now というのが特にどうもしっくり来るようで、ここ数ヶ月は専らこれを半跏趺坐で聞いて、瞑想するというのを続けていた。なんとも言い難いが、非常に心地よいのである。

正直体外離脱にはそれほど興味はないのだが、生きている人間の囚われた思いですら retrieval では救うことが出来る、というのをだれでもヘミシンクで読んで、 The Gateway Experience の購入へ踏み切った。ちょっと期待していたまるの日さんによる、オマケの守護霊のイラストとメッセージだけれど、内容はもっともなんだけれども、今の私へこれを言うかなあ、というちょっとちぐはぐな感じを受けた。もう少し時間を置くとああやっぱりこの時にこれだったのか、と腑に落ちるのかもしれませんが。

177. イシューから始めるな。愛から始めよ。

2013年09月29日 14時01分32秒 | スピリチュアル
安宅和人氏の「イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」」についてはこれまでも数回取り上げてきた。最初に読んだ時にはたいへん感銘を受けたものの、後になってみると納得がいかないところが出てきた、というのがだいたいのところである。

解の質」(= Skills)をひたすら向上させることが、「問いの質」(= Issue)の向上に繋がると漠然と信じて、まず「解の質」の改善にがむしゃらに取り組み、その後でその延長線上で大問題を扱おうとする態度のことを安宅和人氏は「犬の道」と呼んだ。つまり多くの人はそもそもこのように2つの軸が独立直交で存在していることに気がついていない、ということを彼は看破したのである。目標は質の高い問いに答えることであり、解の質はそのために要求される手段である。犬の道を歩む人は(私もこれまでそうだったが)、解の質の向上が目的そのものになってしまっている。

しかしながら、彼の定義するような優れた issue を選定する作業から始めて、仕事を組み立てて、それでうまくいくか、というとそういうものではないだろう。だが本書にはそのような視点が抜けて落ちている。

私の上司に、「教科書を書き換える」ということを信条に仕事をする研究者がいた。「教科書を書き換える」というのはお分かりの通り、非常に質の高い issue に答えを出す、ということに他ならない。彼は issue からはじめていたのである。事実、彼は教科書を書き換えるに値するような業績を残している。素晴らしい、本書の指摘の通りではないか、と思うだろう。ところが、である。「教科書を書き換える」そのために、彼は同僚や部下との人間関係を犠牲にすることを厭わなかった。行く先々で部下の溺愛と、離反/追放劇を繰り返している。さらにいうならば、仕事の方もたしかに重要な問題を扱ったが、もし彼に仕事が無かったらその分野が何十年も遅れたかというと、そういうことはなかっただろう。というのはいつでも切迫する競争相手がいたからである。彼の仕事がもし世に出ていなくても、それほど困る人は出なかっただろう。果たして、希望通り、教科書を書き換えることに成功したとして、身の回りにその喜びを分かち合える仲間と呼べるような同僚が一人も居ない状況で彼は心底満足できるだろうか。私ならこれはとても辛いだろうと思う。

「解の質」という軸だけでは物事がよく見えず「犬の道」へ陥らざるを得なかったが、そこへ「問いの質」という独立した軸を導入することで「イシューからはじめる」という新しい道が見えた。しかし、実はもう一つ、第三の直交軸、を導入する必要があったのではなかろうか。強いて名付けるなら、第三の軸は「愛の質」であろう。圧倒的に優れた問題(issue)を、自我意識にまみれた欲望に基いて解こうとすることもできるが、これでは「鬼の道」であろう。しかし、全く同じ問題を、愛に基いて解くということもできる。



愛と調和のある状態こそ目標とするべきで、よい Issueというのはそれを実現するための手段と見做すべきなのではないだろうか。それを、質の高いissue を解くことが目標であるとし、手段と目的を取り違えることから苦しみが生まれるのではないか。

さて、愛に溢れた状態で、かつ犬の道を歩むということは可能であろうか?この点、犬の道のもたらす報われぬ苦労というのは愛と調和のある世界とは相容れないものであるので、愛の質の高いところからはじめると、自然と犬の道を歩むことはなくなるのでは、と予想するが、実際にはどうだろうか。