前回は私の情けない寝坊を紹介しながら、「暗示の発見」という大それたタイトルをつけました。一体どこが?と思われたかもしれない。今回は種明かしです。
まず「本当にすいません、明日は来れるかどうか分からないんです」という相手の女性の言葉。これはかなり強力な暗示作用があると後で気づきました。ご本人は気がついていないと思うけれど。ただ単に明日は来れないかもしれない、と言うなら暗示としては弱い。だが、ここで「本当にすいません」と謝っている、ここがミソです。来ないか、来るか、まだ分かっていないのになぜ謝っているのか?ということです。別に謝らなくてもよい状況でしょう。とりわけ申し訳ない感じを強めてこのように言っていたのが、私の潜在意識には「おや、待てよ、この人は謝ってるぞ、ということはもう来ないつもりだな」というように響いてしまったわけです。
その後に私が9時半に待機しますと述べた後、「いや、それはちょっと申し訳ない.....」と相手が言ったのも実は暗示になっています。ここで私が「断固として9時半には待っています!」と吠えていれば状況は違ったのでしょうが、相手の女性の申し訳ない光線にやられてしまっています。「いや、それはちょっと申し訳ない.....」と言われた時に、ふと、「あ、そうなのかな、それはやり過ぎなのかな」という思考が一瞬立ち上った訳です。
さらにその日の晩には、彼女の旦那さんから「明日は妻が行けるかどうか分からなくて申し訳ない」と言われました。これは最初のものと同じです。「まだ来るかもしれないんだから申し訳なくないじゃないか!」とやり返していれば暗示を受けずには済んだでしょうが、大人としてはそうもいきません。
かくして、翌朝の9時に目が覚めた時に、「そういえば昨日、かなり申し訳ないって言ってたな。つまり彼女は来ないって言うことだな」と寝ぼけ頭で考え、惰眠を貪った挙げ句、彼女の怒りを買った訳でした。
単なる未来の可能性を述べる言葉に、それが実現した時にのみに感じる「感情」をくっつけると、強力な暗示になる、ということに気がついた次第です。
まず「本当にすいません、明日は来れるかどうか分からないんです」という相手の女性の言葉。これはかなり強力な暗示作用があると後で気づきました。ご本人は気がついていないと思うけれど。ただ単に明日は来れないかもしれない、と言うなら暗示としては弱い。だが、ここで「本当にすいません」と謝っている、ここがミソです。来ないか、来るか、まだ分かっていないのになぜ謝っているのか?ということです。別に謝らなくてもよい状況でしょう。とりわけ申し訳ない感じを強めてこのように言っていたのが、私の潜在意識には「おや、待てよ、この人は謝ってるぞ、ということはもう来ないつもりだな」というように響いてしまったわけです。
その後に私が9時半に待機しますと述べた後、「いや、それはちょっと申し訳ない.....」と相手が言ったのも実は暗示になっています。ここで私が「断固として9時半には待っています!」と吠えていれば状況は違ったのでしょうが、相手の女性の申し訳ない光線にやられてしまっています。「いや、それはちょっと申し訳ない.....」と言われた時に、ふと、「あ、そうなのかな、それはやり過ぎなのかな」という思考が一瞬立ち上った訳です。
さらにその日の晩には、彼女の旦那さんから「明日は妻が行けるかどうか分からなくて申し訳ない」と言われました。これは最初のものと同じです。「まだ来るかもしれないんだから申し訳なくないじゃないか!」とやり返していれば暗示を受けずには済んだでしょうが、大人としてはそうもいきません。
かくして、翌朝の9時に目が覚めた時に、「そういえば昨日、かなり申し訳ないって言ってたな。つまり彼女は来ないって言うことだな」と寝ぼけ頭で考え、惰眠を貪った挙げ句、彼女の怒りを買った訳でした。
単なる未来の可能性を述べる言葉に、それが実現した時にのみに感じる「感情」をくっつけると、強力な暗示になる、ということに気がついた次第です。