日本航空時代の同期が、小澤さんの大ファンだったというのは、驚きだった!
たまたま「日本航空一期生」の話から、いまわたしが何を書いているのか、という話になり・・・・
小澤征爾さんの評伝・・・というと、「うちの主人が小澤さんのファンで、よく知っている」というではありませんか!
小澤さんは、航空会社の人は、わりあい心を許しているようで、全日空の熟女のキャビンアテンダントの方からは、小澤さんとニューヨーク便で一緒になることが多く、そういうときは、みなでニューヨークついたらご飯食べようよ、というので、何回もごいっしょしたました。。。というのである。
さて、白崎さんとわたしの同期の妻と、三人で恵比寿の蕎麦会席の店で会う。
半個室である。
「一度、会ってみたかった」といわれました。というのは、彼は「嬉遊曲鳴りやまずー斎藤秀雄の生涯」も、「オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練」も読んでくださっていて、妻の同期でこんな本かいているのは、どんなやつだろう、と思っていたようなのである。
さて、蕎麦をすすりながら、本題にはいる。こうなると、ランチどころではない。
だから取材のときは、なるべくお茶にしているのだ。
箸をつかうより、ペンを走らせ、メモをとるほうが忙しいのである。
それなのに、それにも慣れているわたしは、箸とペンを両方、使い、食もすすんでします。
さて、本題にもどる。
白崎さんの場合は、JALだったから、というメリットはだいぶあとに訪れる。
彼は札幌生まれで、小学校から管楽器を・・・・札幌放送管弦楽団ジュニアにも所属していたそうだ。
小澤さんを最初に聞いたのは、まだ日本フィルが分裂するまえの札幌公演だそう・・・。
そのあと、JALに訓練生としてサンフランシスコでの訓練中・・小澤さんがサンフランシスコ交響楽団の音楽監督をしていた時代も、聞いたそうである。
そして、彼は機長になり、世界の音楽会に行くようになった・・・・。
そして、ある日、ニューヨーク便の操縦桿をにぎっているとき、スチュワーデスから「機長、きょうは小澤征爾さんが搭乗なさっています」との報告をうけるのだった。
じゃあ、会おう、ということになり、小澤さんを操縦室に見学に誘い、ーそのころはテロという危険もない時代ー公演くるなら、いってよ、といわれ、カーネギーホールのボストン交響楽団を指揮する小澤さんを聞きに行くことになっていたとのことで、それからの長い付き合いがはじまったというわけだそうである。
パリでは小澤さんとご飯をたべ、ボストンでは小澤さんにシンフォニーホールを案内してもらった。
ロンドンのウィーンフィルのときはチケットが入手できず、楽屋まえで小澤さんを待ち伏せ・・・チケットを用意してくれた。
ウィーンのニューイヤーのときは、チケットつきのツアーで、ウィーンにのりこみ、リハーサルからきかせてもらう・・・・。
と。。。徹底してます。
なんと一時から6時まで、三人も話はつづいたのであった。「日本航空一期生」の話も混じり、それだけの時間があっても、それでも話足りない・・・盛り上がりでした。
たまたま「日本航空一期生」の話から、いまわたしが何を書いているのか、という話になり・・・・
小澤征爾さんの評伝・・・というと、「うちの主人が小澤さんのファンで、よく知っている」というではありませんか!
小澤さんは、航空会社の人は、わりあい心を許しているようで、全日空の熟女のキャビンアテンダントの方からは、小澤さんとニューヨーク便で一緒になることが多く、そういうときは、みなでニューヨークついたらご飯食べようよ、というので、何回もごいっしょしたました。。。というのである。
さて、白崎さんとわたしの同期の妻と、三人で恵比寿の蕎麦会席の店で会う。
半個室である。
「一度、会ってみたかった」といわれました。というのは、彼は「嬉遊曲鳴りやまずー斎藤秀雄の生涯」も、「オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練」も読んでくださっていて、妻の同期でこんな本かいているのは、どんなやつだろう、と思っていたようなのである。
さて、蕎麦をすすりながら、本題にはいる。こうなると、ランチどころではない。
だから取材のときは、なるべくお茶にしているのだ。
箸をつかうより、ペンを走らせ、メモをとるほうが忙しいのである。
それなのに、それにも慣れているわたしは、箸とペンを両方、使い、食もすすんでします。
さて、本題にもどる。
白崎さんの場合は、JALだったから、というメリットはだいぶあとに訪れる。
彼は札幌生まれで、小学校から管楽器を・・・・札幌放送管弦楽団ジュニアにも所属していたそうだ。
小澤さんを最初に聞いたのは、まだ日本フィルが分裂するまえの札幌公演だそう・・・。
そのあと、JALに訓練生としてサンフランシスコでの訓練中・・小澤さんがサンフランシスコ交響楽団の音楽監督をしていた時代も、聞いたそうである。
そして、彼は機長になり、世界の音楽会に行くようになった・・・・。
そして、ある日、ニューヨーク便の操縦桿をにぎっているとき、スチュワーデスから「機長、きょうは小澤征爾さんが搭乗なさっています」との報告をうけるのだった。
じゃあ、会おう、ということになり、小澤さんを操縦室に見学に誘い、ーそのころはテロという危険もない時代ー公演くるなら、いってよ、といわれ、カーネギーホールのボストン交響楽団を指揮する小澤さんを聞きに行くことになっていたとのことで、それからの長い付き合いがはじまったというわけだそうである。
パリでは小澤さんとご飯をたべ、ボストンでは小澤さんにシンフォニーホールを案内してもらった。
ロンドンのウィーンフィルのときはチケットが入手できず、楽屋まえで小澤さんを待ち伏せ・・・チケットを用意してくれた。
ウィーンのニューイヤーのときは、チケットつきのツアーで、ウィーンにのりこみ、リハーサルからきかせてもらう・・・・。
と。。。徹底してます。
なんと一時から6時まで、三人も話はつづいたのであった。「日本航空一期生」の話も混じり、それだけの時間があっても、それでも話足りない・・・盛り上がりでした。
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