中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

朝日新聞 吉田純子さん 朝比奈から吉田へ

2016年03月01日 11時20分25秒 | 日記
朝日新聞の朝比奈さん連載も、終わったのです。これだけ13回も数えたことはよろこばしい。
吉田さんから、「中丸さんの朝比奈さんの評伝よみましたよ」といわれていて、お役にたてたということだろうとおもう。
そういえば、朝日の最終回は朝比奈さん、(わたしが取材させてもらっている当時は、編集者とは、御大とよんでました)御大が靴紐を結んでいるところ。

キャプションは「演奏が終わり普段着に。靴紐といっしょに心の緊張もほどけてゆく」
となっていました。
けど、御大は、東京で宿泊するのは、ホテル・オークラで晩年は、そのタキシード姿のまま楽屋口からハイヤーにのって、そのままホテルに帰っていました。
普段着になるのは、オークラでシャワーを浴びて、それからでした。

楽屋口には、御大のファンクラブである朝比奈会のかたがたが詰めていました。
この会は、非常にアーティストのことを真摯に考える会で、御大が若いときには懇親会もあったらしいが、長寿の御大に負担をかけまいと、晩年はそれをやめました。
そのかわりに・・・・・というか、かわりにならないけど、楽屋口外につらなり、拍手をして一瞬御大が姿をあらわして、手をあげて挨拶し、ハイヤーにのりこみ、車が発進し、その姿を見送る・・というそれだけの儀式に甘んじていたのでした。すごいなあ・・・朝比奈ファンは、と当時取材をしつづけていたわたしは感心したのでした。
いろいろな資料も提供していただきました。

さて、靴紐のことです。

靴紐について、わたしの本「オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練」では書きました。
というのは、あるとき、楽屋にいたわたしは、御大の声をききました。
「自分でやらなくちゃだめだ」
それで、どういうことか、とあとで御大マネージャーの磯村さんにきくと、御大の靴の紐が一本、いつもより少し長めにむすばれていたために、それを踏んで転ぶといけないとおもった磯貝がなおそうと手をのばしたとき、朝比奈さんが発した一言だったというわけでした。
磯貝さんいわく「演奏前のピアニストが椅子の高さを最後にもういちどチェックするのと同じようなことなのです」
ふんふん、御大はそれほど靴紐のことを。。。

一方で、わたしは朝比奈の高校時代の友人から面白い靴紐の話をきいていました。
朝比奈さんは高等学校時代、サッカーの選手だったのはみなさん、ご存知のとおり。
その試合の前には、かならず靴紐を結び直す習慣があったというのです。

面白いですね。
サッカー選手から指揮者への変遷。でもその靴紐の儀式だけは、ずっと同じだったというわけです。

朝日新聞では、吉田さんが今度は吉田秀和さんについてとなりました。
朝比奈さんは、東京の批評家からは「関西の田舎侍」と言われていたのですが、それは吉田秀和さんが書いたものです。

さあ、どういう展開になるでしょうか。楽しみですね。
吉田秀和さんは、かつては美容師をしている妻がいました。しかし、離婚して、有名なドイツ人妻と・・・・。
お子さんは、その美容師さんとの間の方です。