中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

フランクフルトから台湾へ帰国した友人

2020年07月20日 14時11分57秒 | 日記
ドイツ時代の友人に台湾出身の女性がいる。
一昨年、ドイツから帰国したときに、東京により、久しぶりの再会を果たした。
その後、ラインで頻繁にやりとり。
とくにコロナ発生してからは!

ドイツのコロナが一段落したあと、彼女は台湾便へ乗り込んだ。
そのときのフランクフルトの様子や機内での写真をおくってきた。
それをここに掲載したいと思ったのだが、どうにもアップするやりかたが??・

なにしろ驚いたのは、空港で皆が防護服、メガネ、完全なマスク姿ということ。さらに機内でのその姿。
そういえば、ベトナム行きの始発便が東京を出たとき、日本人ビジネスマンはみな、やはり防護服だった。そして、現地では10ー14日の隔離を義務づけられていた。

彼女は、そのとき。。。。。。。
台湾のCDCによれば、飛行機のトイレは非常に危険だというので、彼女はおしめを当てていたというのだ。
つまり介護用の!!

我が家の母が愛用しはじめているアレだ!!!

冗談で、将来の予行演習だね!などと、返したが、彼女はおお真面目であった。
おむつをどこでかえるのかーいや、わたしはかえなかったーえ!だってフライト時間長いでしょうー飲み物をちょっと飲んだだけで済ましたから、ピーはしなかったのだ。。。
十数時間かかるとおもうのだが。

台湾は昨年の12月31日から武漢便の検疫もはじめている。
いまでも感染者は二桁。
緊張感のある国である。
一方、中国便を許し、なんら手をうたず長いこと、習近平国賓訪日を誘導しようとした日本の政権。
安倍のマスクも税金無駄遣いだし、ーこのお金でコロナ専門病院の一つぐらい建てられた、、とは医師の話である。
ともかく感染症対策、まったく準備なしのノーテンキ国家。

それどころか、こんなときに解散総選挙を自民党はもくろんでいるというではないか!!!
いまや、安倍総理も、顔を出さない。2月末からは頻繁に、また記者会見かよ。。、というくらいだったのが。
おかげで、子供たちは2月下旬から5月下旬まで学校休み。まったく授業がとりかえせていない・・・。

救われているのは、日本人、アジア人が、このウィルスで死亡するのが少ないことである。
類似のウィルス、コロナS型が日本に昨年はいっていたから、と一つにはいわれているが、ーー東大医師の調査ーーわたし自身も年末にひどい風邪!?をひき、死ぬかもしれない、、、というくらい衰弱したのだが、夫が神経内科だったため、喘息吸入とステロイドでなんとかしのいだのである。それでもまだ喉のあたりにえへん虫がいる。
オリンピックまでに、ワクチンはできないだろうから、なんとか治療でなり過ごすしかない。

もうオリンピックやめるしかない。森会長は2年後といったらしいが、安倍総理が人気中の1年後にこだわったとか。
オリンピックやったら、確実に日本に蔓延する!!!
その対策を、日本政府はとれないだろうから・・・・。
対策をとれるようには、いまの政治をみていると、とても思えないのである。







台湾人の友人からのコロナ対策

2020年04月10日 06時53分25秒 | 日記
ドイツにいたころの台湾人の友人から、このところLINEがある。
わたしが彼女にあった1990年、ドイツ人男性と新婚であった。その子供たちもすでに二十歳。
夫とは離婚したものの、彼女は同じように住み続けている。子供たちは大学院にいっている。その容姿は、まったくドイツ人。自分でも、「わたしの子供か!」といっていて、モンゴロイドというより、アーリア人そのもののように見える。
そして、コロナ禍。
彼女は、最後の台湾行きの航空機にも乗らなかった。
台湾人の彼女にしてみれば、マスクもしないでフラフラ歩いているドイツの対策は、ゆるくてしようがないらしい。

わたしに手の洗い方の動画や、エレベーターのボタン、買い物袋、コートの脱ぎ方などの動画を送ってくる。そういえば、志村けんの、<イングリッシュ>という動画も!!
ズーズー弁の教師が、外国生徒のクラスを教える授業。
大笑いしました!!

台湾は、マスクの購入が、保険証で保証されていて、週にゲットできるマスクの枚数が、厳格に管理されている。
さらに、海外から帰国した人たちの自宅待機期間に出歩いた場合、厳格に追求される。それが、なにか、ゴーンがつけるべき、足跡探索機のようなものまでつけて、きちんと管理しているのである。
台湾の数字をみよ!
中国を信用せず、春節前に、国を閉じたから!
日本は、鎖国できる国なのだから、やるべきだった・・・といまごろ、後悔しても・・・。
それで、マスク配布!
200億円もかけて、山口県の業者だそうでないの!
こんなときまで、お友達政治ですか、といいたい。

もう、日本がいやになっちゃうよ、その政治のために。

現在「モーストリー・クラシック」で連載している「鍵盤の血脈 井口基成」も、いよいよ大詰め。基成はフランスをあとにするが、その直前、「アジア風邪」にかかったらしい。日本への書簡にその記述がある。
第一次大戦のころのスペイン風邪では、オーストリアでは、エゴンシーレやクリムトも亡くなっている。
日本でも大流行で、わたしが出版した「杉村春子」の父も、広島でスペイン風邪で逝った。

あとどのくらい続くのか。
一ヶ月では、成果はでないだろう。
それより、オリンピックなんて、本当に開けるのだろうか。
そのあとが、怖い!


クルーズ船にのっている人にとってはまるでアウシュビッツ。恥、安倍政権⤵️

2020年02月17日 11時58分02秒 | 日記
コロナウィルスの蔓延で思い出すのは、映画ヴェニスに死す・・・あの映画は、スペイン風邪の流行が主人公を死においやる・・・しかし、彼はロシア出身の美少年に恋して、彼ら家族に早くヴェニスを立ち去るように促すが、自分はヴェイスで死ぬことを選ぶ、という物語だった。この映画も、底には感染症があったというわけだ。
今度は、アメリカで、ダイヤモンドプリンセスをテーマにした映画でも作られるのじゃないか。

安倍政権の対応はきわめてまずかった。
海外のマスコミでは叩かれている。つまり公衆衛生の基本をあやまっている・・・と。
そこにいるだけで、感染してしまっているものね・・・。
このままずるずるといたら、まるで死を宣言されたに等しいアウシュビッツではないか。
だいたい専門家会議の第一回が昨日16日に開かれたとはどういうことか。

どんな病院にはいっているのかもわからず、どんな治療をうけているかもわからず。病院名も公表されていない。
安倍政権の隠密体質で、わたしたちはコロナの現状を映像で目にすることも、聴くこともできない。

目に見えないものだけに、これは個人の感度によって、まったく受け止め方がちがうだろうが、原発事故の放射能と同じようにね・・・。


G20の宴に出演した文化代表

2019年07月10日 20時11分20秒 | 日記
韓国との間が、なんだか険悪になってきて、ほんとうに悲しい。
かつて日本と韓国はサッカー日韓ワールドカップを共同開催した。
それに向けて両国が友好を深め、そうそう、安倍総理の奥さんも、ぺ・ヨンジュンのファンとかで、韓国にいったときには、キムチの漬け方なんて習っていたような記憶がある。

わたしはといえば、朝比奈隆の評伝「オーケストラ、それは我なり」の執筆中だった。朝比奈は戦争中に上海や満州のオーケストラをいわば日本代表として指揮していた。しかし、敗戦。関東軍はさっさと引き上げ、朝比奈はソ連の侵攻のときは、韓国人の弟子、のちに韓国の「オーケストラの父」といわれるようになる林元植氏の手引きで、彼の家で奥さん、子供らと隠遁生活をさせてもらっていたのだ。
二人の関係は生涯つづき、わたしはどうしても林さんに会わねばならず、ソウルを訪ねたというわけだった。
その時代、ほんとうに日本と韓国の関係は良かったなあ。

今回G20。
大阪城特設会場では、狂言の野村萬斎と、ピアノの辻伸行、ソプラノの中丸三千繪。
you tubeで見た。
狂言は狂言だが、辻さんのときは、後ろに映像が・・・津波の映像である。
中丸さんのときは、彼女の活躍した世界の劇場やそのオペラの舞台が映った。ドミンゴ・・・などなど。

いったい、これから世界はどうなっていくのだろう。
安倍さんにとっても、急展開というか。
中国についても、また急展開で、これからは友好的になっていくのだろうか????

政治というものは、わからない。

お正月の葬送

2019年01月21日 18時04分11秒 | 日記
お正月からこんな話ですみません。

我が家では、猫をかつて二匹飼っていました。1998年生まれと、1999年生まれ。
震災の翌年春に、金太となづけたオス猫が、腎臓を悪くして逝きました。半年間、腎臓透析みたいなことをやって、首のところに透析液ためて、ぶらぶらさせて、なんだかとっても可哀想な感じでした。
本人?にとっても、それが辛いのか、腎臓が悪いのが辛いのか、長いあいだ昼は、自分の棚と決めたところに終日いるような生活になってしまいました。
最後は痙攣を起こして、逝きました。その日は、サントリーホールのコンサートにどうしてもいかなくてはいけなくて、帰宅した直後のことでした。

長いあいだ、金太くん、ありがとう・・・と夫とともに泣いてしまいました。
わたしたちも悪いのです。
キャットフードだけあげていればいいものを・・・・食事のときには、三匹のうちヒエラルキートップにあるものの特権として、隣の椅子に座り、なんともいい匂いのする魚とか、韓国のりが並ぶと、私や夫の手に招き猫よろしく、手を乗せるポーズが可愛らしく、ついついあげてしまったのでした。

人間が食べるものの塩分は、猫には毒だとわかっていながら・・・。

でも野良猫ちゃんだった金太を保護して、12年。野良猫ちゃんで終わるよりはよかったよね。

姉の花ちゃんもいっしょだったしね。

それから、13、14、15、16、17、18、19年がきて、このお正月、花ちゃんが逝きました。

二三年前から、譫妄というか、夜泣きですが、変な声で鳴き始め・・・それまで花ちゃんが泣くことは、本当にない子だったのに・・・・そのうえ、お漏らしをするようになり、わたしは老猫介護状態となりました。

年末に友人家族が遊びにきたとき、いつもはリビングで過ごす花ちゃんですが、シャイなので、さらにお漏らしをするといけないと思って、パーティーのあいだだけ別部屋に寝床にしていたカゴを移しました。そのとき、花ちゃんを抱き上げた。

その軽さに驚いたのです。えええええ!!!

でもそのときは、それを思っただけ。
食欲もなくなっていた。
いつもは、可愛くないて、パックや缶詰の餌を要求していたのに、そういえば、あまり食べなくなって・・・・。
実家では、それこそ介護状態の実母。
実家に帰るので、朝、目やにをふいてやったときも、ふつうなら顔をあげて、目を合わせるのに、そのまますやすやと眠っていた。

ペットシートにお漏らしをするのも日常となり、その始末にてんやわんやする日々だったのです。

なんとなく、静かな花ちゃんだな・・・と思っただけで、出発してしまいました。

そして、正月2日帰宅したとき、花ちゃんは冷たくなっていたのです。

玄関でただいま!といったとき、2匹の猫はミャーと答えてくれるのです。でも、その日は一匹の声だけ。

花ちゃんのベッドにいって、「花ちゃん」と呼びかけても、なにも答えず。頭を撫でたときの冷たさといったら・・・・・。

花ちゃん、逝ってしまった。

ペットシートも濡れていません。

目やにを拭いてやったままの姿勢で、眠るように逝ってしまいました。

でも19歳3ヶ月。

花ちゃん、いいお姉さんだったし、最後は腎臓悪くて、お漏らししたり、泣いたりして、苦しかっただろうけど、天国で、金太くんと楽しくやってね。

ありがとうね。花ちゃん。

北欧音楽祭すわ

2018年10月09日 16時57分37秒 | 日記
北欧音楽祭すわを訪ねた。

これは下諏訪で行われている、諏訪交響楽団の武井勇二さんが実行委員長になって、すでに20年つづいている音楽祭だ。
これは岡谷市出身の指揮者・渡邉暁雄を顕彰して、企画されたものだ。

渡邉は戦後の日本の音楽界を牽引した指揮者であり、東京芸術大学では、岩城宏之や山本直純などの門下生が輩出する。

父忠雄は岡谷市出身で、下諏訪のキリスト教会に入り、牧師となってフィンランドに渡る。フィンランド神学校を出たのち、フィンランド人のシーリと知り合い、二人は当時としては珍しい国際結婚をしている。二人は岡谷に戻り、二人の男子をもうける。その次男が暁雄である。ちなみに兄は共同通信社にjはいり、ロンドンに長く居住しジャーナリストとして活躍した。

母シーリは、日本に来るときに、キャンドル立てがついているアップライトピアノを持ってきた。当時、日本にはピアノもろくにない状態。これは、のちにピアノ界の大御所井口基成の最初のピアノとなった。基成の父は日本キリスト教団の熱心な信者で、渡邉家と知り合いになった。そんな縁で、子供たちが音楽をするというときにこのピアノが井口家にもらわれていったのだった。このあたりは、現在「モーストリー・クラシック」で連載中の「鍵盤の血脈」を読んでいただきたいとおもいます。

さて、母である声楽家のシーリの才能と影響をうけて、
暁雄は、東京芸術大学を出て、ニューヨークのジュリアード音楽院に学んだ。

北欧音楽祭すわの名誉会長である暁雄の長男でピアニストの康雄によると、暁雄は、ピアノもヴァイオリンもうまかったそうだ。
彼は、芸大のヴァイオリンに学び、のちに井口基成と桐朋学園を創立する斎藤秀雄らと、室内楽運動などもしていた。

戦後になって、ジュリアードで指揮を学んだ。ここで暁雄は、劇場経営や楽団経営を学び、指揮をも学んだ。
これは日本人指揮者としては、初留学となる。

このときの知識をもちかえり、渡邉は、日本フィルハーモニー交響楽団の創立にかかわる。

康雄によると、「父と二人でタクシーにのって喋っていると、運転手さんに、日本語がお上手ですね、なんていわれる時代で、父はハーフということでいろいろ苦労したと思います」という話が、音楽祭のパーティーであった。
そうだよね、いまでこそ、認知されているけれど、大坂なおみさんとか、・・・日本人の優勝と騒がれているけれど、彼女も結構差別という目にあったと聞いています・・・それがときをさかのぼって、昭和の最初なのですから、当然、差別のなかで育ったはずです。

ただ面白いのは、暁雄さんが結婚した相手が、元総理大臣鳩山一郎の娘。最初は節子さんと恋に落ちたらしい。しかし、彼女は白血病で早くになくなった・・・。
その彼女にピアノを教えていたのは、井口基成の妹の愛子・・・・・鳩山家とはいろいろ縁が深い井口家ですが、これも「鍵盤の血脈」に譲りましょう。もうだいぶ前にこのことや、基成が芸術院賞をとったときのパーティーは鳩山御殿でした、という話を書きました。戦時中であるにもかかわらず、基成は酒を集め、寿司をにぎらせ・・・・。

暁雄は、それでも情熱的に、節子と結婚、亡くなってからは、なんとその妹の信子と結婚したのです。
何しろ、かっこいいです。

(続く)





井口ファミリーの率直・誠実さ

2018年09月10日 13時55分57秒 | 日記
「モーストリー・クラシック」で井口基成伝を執筆中です。

井口基成は、中村紘子の先生筋でもあります。

そのために、ご親戚、ご家族ご一同が、ほんとうに協力してくれました。

士族だったけれど、もともと東京の下町、隅田川の大橋生まれで、神田で育った井口基成。
下町の率直さが、ご家族にはあります。

ご兄弟、親戚とも、事実をずばり!!と。
諧謔をこめて、基成を批判的に捉えるような発言も多々あります。

それは下町っ子の率直さと、井口家のファミリー・ヒストリーが、あまりにも混乱した、苦しいまでのものだったからかもしれません。

息子さん、お嬢さん。ご親族。彼らの発言だけでも、井口家の物語ができそうなくらいでした。

いよいよ、お話は戦後に・・・・大業績となった楽譜の校訂や、桐朋学園音楽科設立の話にむかいます。

それにしても、災害が多い。

この夏休みは、妹・中丸三千繪がいる北海道を訪ねて、帯広の日本一といわれる花火をみたり、生まれて2週間ぐらいの子牛にバケツからミルクをのませたり、温泉にはいって楽しんできたりしたけど、その北海道が、たいへんな地震にみまわれました。帯広の病院はたいへんなことになってるようです。原発がないのが幸いでした。


全国あちこちでおきる災害。天災だよね、奈良時代なら。こんな天災がおきたとき、お寺つくったり。安倍さん、大丈夫でしょうか。

小澤征爾という神話・・・講演を行いました。

2018年07月04日 11時35分33秒 | 日記
6月初旬、東京・六本木の国際交流会館・・・重要文化財だそうです・・・において、「小澤征爾という神話」の講演をおこないました。
主催は、大阪にある國民会館。
これは鐘紡を創設した武藤山治を顕彰する組織で、その建物も歴史的なものとなっているようです。

当日は、約2時間にわたり、小澤征爾さんをめぐって資料から明らかになった小澤像や、関係者の取材のなかで浮かび上がってきた新事実についてなど、講演しました。

また日本人ばなれした小澤さんのリズム感・・・の紹介として、CDも聴いていただきました。
選曲はベートーヴェンの7番。朝比奈隆指揮・NHK交響楽団と、小澤指揮サイトウ・キネン・オーケストラを連続して、聴き比べてもらいました。
この比較鑑賞は評判がよかったです。

本当にまったく違います!

この講演の抜粋が、國民会館のホームページにのることになるようです。

言葉たりないところもあるけれど、概要は知っていただくことができます。

現在、拙著「小澤征爾という神話」は推敲段階。
今年、小澤さんは、松本でのフェスティバルで指揮はしないけれど、現地には滞在するようです。

すでに猛暑の夏!
体力を温存してほしいですね。


小澤征爾さん入院ー奥志賀高原ー愛子さまスキー

2018年04月09日 16時28分37秒 | 日記
小澤さんをめぐる本のために、小澤さんを追って何年がたつだろうか。

先日、大動脈の異変で入院の小澤さん。
検査も長引き、水戸室内も別府のアルゲリッチ音楽祭もキャンセルとなってしまった。

これでは、いよいよ夏の松本のフェスも??とおもいきや、夏の復帰をめざすという情報がはいってきた。
さすが、小澤さんである。

週末わたしは、なんと志賀高原へいった。
ここは小澤さんがまだ桐朋学園在学中、恩師斎藤秀雄らが好んでスキーにきていた場所である。
さらに、斎藤秀雄が最期に生徒たちを指揮した桐朋の合宿もおこなわれた場所である。
このとき、斎藤が指揮した「ディヴェルティメント」を小澤さんは、サイトウ•キネン・オーケストラのテーマソング?のようにしていて、アンコールやだれかが亡くなったとき、ご自分の病からの復帰で長い曲が指揮できなくなったときなどにとりあげてきた。

小澤さんは、志賀高原より、もっと山にある奥志賀高原で室内楽セミナーを長年おこなっている。
この奥志賀高原との縁も、そもそもはスキーからだった。
小澤さんは「どんな貧乏なときでもスキーをしてきた」というほどのスキー愛好家である。
病を得てからも、ひとりでも新幹線で奥志賀高原にむかったものである。
ケネディ賞を受賞した小澤さんは、その前かあとかどちらだったか、キャサリン・ケネディ前駐日米国大使とも滑っている。


ここに、小澤さんは別荘ももっている。
それは、奥志賀高原でスキー学校を開いている杉山進さんから土地を買ったものだ。
杉山さんは、コルチナ冬季オリンピックのアルペンスキー選手。
オーストリア国家が認定したスキー教師の資格をもつ。
スキー学校の先駆けのかたである。
この方が、小澤さんのスキーの先生でもある。
お歳は、小澤さんより三つ上。
そもそもは、小澤さんの子供たちが学校からいったスキー学校が杉山さんのところで、その縁で、小澤さんと杉山さんは出会う。
そんな縁で、小澤さんは杉山さんのスキー学校を借りて、そのカフェテリアや講堂やらで、室内楽セミナーをおこない、その最終日に、長野電鉄が小澤さんのためにたてた「森の音楽堂」で演奏会をおこなってきた。


杉山さんにお電話をする。
「こんど奥志賀にいくのですけど、どなたかに子供にスキーを教えていただきたい」
「その週末、僕は仕事なんだ、会いに行きたいけど、残念だなあ」

こうして奥志賀高原にでかけ、杉山スクールの先生に指導をうけることに。

シーズンが済んだこの時期の奥志賀は、客も少ない。
驚いたことに、外国人従業員が多い!
当然、客も欧米人、少しのアジア系。

小澤さんのために長野電鉄がたてた「森の音楽堂」は、ひっそりと静まりかえっている。
この音楽堂、どのくらいつかっているのか。
スキーが釜の飯よりも好きという夫がつぶやく。
「小澤さんのためにたてたのだろうけれど、あまり使われていないようだな。長野電鉄は、そんなお金を、長野行きの直行バスを出すとに投入すれば、もっとスキー客が集まるだろうに。この時期でもまだまだ奥志賀高原はスキーができるんだ。アクセスが悪すぎるから客があるまらない・・・」などと、スキー第一主義の発言をする。

たしかに少ない。
スキー人口はますます減っているようで、下手な私は、間違った方向に滑って行って、マイゲレンテ状態が続いた。
だれもいない森のなかを滑る・・・・・これはたいへんに気持ちがいい!!!
増えてほしくない。、、、、スキー客。
でも、夫は経済人でもないのに、繁栄を口にする。

志賀高原の地元発行の冊子によると、愛子さまも、三月末にはいらしたようである。
そうそう、ここには毎年、皇太子夫妻がいらしているのだ。杉山さんが指導にあたられてきた、とも聞いた。
愛子さまもお小さいときから滑っているのだろう。
上級コースを滑られるほどの腕?というか、足?をもってらっしゃるらしい。
颯爽たる滑りのほどを見せる写真が掲載されていた。

小澤さんは、一時軽井沢で講習をおこなうことをめざしていた時期がある。軽井沢が天皇ご一家の保養地の一つであるとすれば、ここ奥志賀高原は、皇太子ご夫妻の保養地の一つ。
天皇になられたら、ここ奥志賀高原の注目度があがるのでしょう。

昨日は雪が降った。
奥志賀高原ではまだまだ春スキーが楽しめそうである。
小澤さんが、この冬もスキーをしたかどうか。ひとりで新幹線にのってでも、冬の長野に通った小澤さんである。
ぜったいに滑ったと確信している。そのときちょっと息苦しく感じたのかしら。それで検査にいったら____
ということもありそうである。

夏の松本での復活、楽しみにしています。






小平奈緒選手の伯母様は、松本での小澤征爾フェスのー

2018年02月19日 15時11分27秒 | 日記
小平奈緒選手、金おめでとう!!!
オランダへの留学!!!!決意!!!!
一発勝負を仕留めるこの美しい、マニッシュな獣。彼女の伯母様は、ー小澤征爾さんが松本市で行なっているフェスティバルの仕掛人、元エプソン勤務の武井勇二さんのおくさまえです。チトヤヤコシイ?。

武井さんは、1980年代、小澤さんがどこかでフェスティバルができないか、といったときに、エプソンの中村社長ー世界で初めてクオーツ時計を開発したーを口説いて、スポンサーとして、松本にフェスティバルを持って来させた仕掛人なのです。
以来、ご本人曰く、おいらが先に死ぬか、小澤さんが逝くか、ーというくらいで、フェスティバルの要、総合コーディネーターを務め、小澤さんを支えてきました。
この武井さんの奥様が、小平奈緒選手のおばさまのみちこさま。
活発で、シャキリとなさっている素敵な方で、
フェスティバルのときの演奏会でも、私が〜すぐにおそばに寄りたくなる方です。
なんでもみちこさんは、わりあい最近登山をはじめられ、で、こノー奥様、ーさすが、ガンガン登られてるいうです。
一方で、勇二さんの方は、諏訪交響楽団では若いときにヴィオラ弾いていたくらいで、そんな若いときに小澤さんとしりあったくらいの音楽狂。
みちこさまに付き合って登山することもあるらしいのですが、滑落もあって。。。。。
しかし、ともかく、
世界一というのは、epsonにしろ、小平奈緒選手にとって、みじかなものだったようです。
小澤さんも、比べることが難しい音楽だけれど、世界一と言われるオペラハウスの音楽監督でした!
このオリンピックがはじまってから、毎日武井さんのことも、おもいだしていたわたしでした。

なおさんおめでとうううううう!!!!!!