ドイツ時計の伝道師・南雲達也 / 南雲時計店【公式】三代目ブログ

日本人で唯一、Sinnの創業者のヘルムート・ジン氏よりジン氏の時計の公認修理士として認められています。

-05- 成功と反比例していく心

2012年02月18日 | インポート

ヘルムート・ジン氏 - 05 -

こんにちは。
南雲時計店の店長の南雲達也です。

自称・日本一 ジン氏に近い男が
楽しく、気になるニュースを
お届け致します。

-------------------------------
前回からのあらすじ。

ギナーン腕時計の象徴と言えば
Helmut Sinn 氏です。

そのジン氏は第一次世界大戦の
真っただ中に生まれ
少年期にはすでに
パイロットになりたいって
夢を持つようになりました。

ジン氏が20歳の時ドイツ国防軍の
パイロット候補として召集され
第二次世界大戦の開戦と同時に
ドーヴァー海峡、バルカン半島、
ロシア方面での作戦飛行に出動。

1945年。ジン氏が29歳になる
1日前に終戦を迎える。

終戦後は夜間飛行の際に
幾度も命を救ってくれた
時計を生業としました。

そして最初は置時計がヒットし
成功の第一歩を踏み出しました。

-----

ジン氏は終戦後すぐの頃より
時計業を始めようと決めていました。

それは、自身の命を幾度も救ってくれた
時計への恩返しの意味
そして
これから復興する母国の仲間へ
生き抜くパワーの象徴として
時計を世の中に出したかったようです。

しかし腕時計の開発には技術や
お金がとても必要なので
最初は木彫りの置時計を
販売しました。

この犬の置時計のヒットにより
開発費を得たジン氏は1948年頃より
腕時計の開発を本気で始めようと
決意しました。

そして1956年
自身、初の腕時計を発売しました。

1961年には『Sinn』社を立ち上げたり
ドイツ空軍のトーネード戦闘機に
コクピット・クロックが採用されたり
民間のルフトハンザなどにも採用されました。

その後は次々に開発・発売を行い
ことごとく成功を収め
会社はどんどん大きくなって行きました。

しかし、ジン氏の心には
会社の規模拡大とは反比例した
気持ちが芽生え始めておりました。

次回につづく。

このヘルムート・ジン氏の伝記は
ギナーンジャパンが発行する
『ギナーン メールニュース』として
メルマガ形式で発行している記事を
数日後に転載しております。

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新型・逆リューズ 初公開

2012年02月10日 | インポート

初公開 新型の追加です。

国内 初公開 !!
GUINAND-31.HS シリーズの
逆リューズ バージョンです。
G31hs01l

すでに存在してました
GUINAND-40.50-03L
クロノ・逆リューズ
に加えて
GUINAND-31.HSシリーズ
手巻き観測時計
も ライナップされて
3針タイプとクロノグラフが
選べるようになります。

まだまだテスト期間中ですが
2012年夏頃に発売できたら
いいなって 思っております。

また発売の時期が決まりましたら
お知らせ致します。

よろしくお願い致します。

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-04- 韋駄天 ヘルムート

2012年02月04日 | インポート

ヘルムート・ジン氏 -04-

GUINAND時計のシンボル
ヘルムート・ジン氏の伝記を
自称・日本一 ジン氏に近い男
南雲達也が少しづつ書いてます。

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前回からのあらすじ。

ギナーン腕時計の象徴と言えば
Helmut Sinn 氏です。

そのジン氏は第一次世界大戦の
真っただ中に生まれ
少年期にはすでに
パイロットになりたいって
夢を持つようになりました。

ジン氏が20歳の時ドイツ国防軍の
パイロット候補として召集され
第二次世界大戦の開戦と同時に
ドーヴァー海峡、バルカン半島、
ロシア方面での作戦飛行に出動。

1945年。ジン氏が29歳になる
1日前に終戦を迎える。

終戦後は夜間飛行の際に
幾度も命を救ってくれた
時計を生業としました。

そして最初は置時計がヒットし
成功の第一歩を踏み出しました。

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戦後はドイツに駐留する
連合軍の兵士達が母国に帰る際の
お土産としてジン氏が販売する
犬の置時計が非常に良く売れた
そうです。

そしてジン氏は生活基盤が整うと
大好きだった飛行機に乗れない替わりに
自動車を趣味とし始めました。

そして1953年。(ジン氏、37歳)
WRC・サファリラリーの
初開催と同じ年に
パリ・ダカールラリーに代表される
ラリー・レイドの元祖的レース
『アルジェ-ケープタウン・レース』
も初開催されました。

道なき道を18,000kmも走る
『アルジェ-ケープタウン・レース』に
ジン氏は参戦し
初レースでいきなり優勝という
快挙を成しどけました。

ちなみに当時のニックネームは
『Schnell Helmut』日本語にすると
“韋駄天 へルート”って感じでしょうか。
ようするに『速いヘルムート』と
呼ばれたそうです。
お気に入りのニックネームだそう
です。

現在、95歳ですが
ご自身で自動車を運転してますし
自動車の動きも普通過ぎて
お年寄りが運転してるとは
到底思えないほどスムーズです。

さすがは第二次大戦の空を
生き抜き、そして
アフリカラリーで優勝するほどの
突出した運動神経と危機回避能力の
持ち主です。

さて、今回はお話が少し
時計から離れましたが
次回はいよいよジン氏 自身の
名前が付いた腕時計の開発の
お話しです。
ご期待ください。

次回につづく。

このヘルムート・ジン氏の伝記は
ギナーンジャパンが発行する
『ギナーン メールニュース』として
メルマガ形式で発行している記事を
数日後に転載しております。

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