vitamin bass "B3"

ベース、時々釣り・メタル

memento mori 時間泥棒には死を

2020-11-10 21:01:00 | 日記
ご無沙汰です。
最近もう家の改修をする気が失せてgoo blogもほったらかしだったわ。

今後はDIYより私の個人的な長文呟きを書きながら続けていくわ。


memento mori
私を代表する言葉の「三大」の一つよね。
plumb the depth
virtuous betroyal
memento mori

昔からこの3つが私の座右の銘よね。
絶望、裏切り、死ということを常に刻み込んでいる。

特に最近はmemento moriかしら。


私は22歳の時に肺疾患で心肺停止までいった。25歳の時にギランバレー症候群で右上半身以外が麻痺してまた死にかけた。
親族以外の身近な人の死も幾度と経験した。

生死感はしっかりしてる自覚はある。
死にかけると自分の余命はあと何日か、何時間か、何回寝て、何回起きて、何回食事をして…と微分し続ける。あと何回「おはよう」と言えるのか?と考えたことはあるだろうか?
多分私が多くの人と価値観の違いで相容れないのはこの点だ。

明日がまた来るということをあまり当たり前に考えていたくはない。人はいつか死ぬし突然死ぬことも多々ある。それを忘れた人たちとは何かうまくいかない。

その根底にあるのが時間の感覚だと思う。
82歳まで生きたとして人生は30,000日しかない。朝食は3万回。玄関で靴紐を縛るのも3万回。寝るために電灯を切るのも3万回しかない。
これを多いと感じる人は多分私とは合わない。少ないと感じる必要はないがこの話を聞いて何か思う人でないと私は一緒にはやれない。


タイムマネジメントを徹底してプライベートの時間を最大化することを長年心がけてきた。結婚を境に自分の30,000日という考え方から妻と過ごす17,000日という考え方に変わった。仕事から帰って3時間しか起きてないとすると(休みの日は別として)24時間でそれを割ると2120日分しか共にできないことに気付く。睡眠時間を除いて16時間としても3180日だ。

その間にお互いに老いていく。出来る事は徐々にできなくなる。同じ今日は2度と来ない。そう言った意識を持てばプライベートの時間の最大化の価値が分かるだろ?(分からないやつはすまんが多分相入れんわ)


時間というのを有限の最も尊いものだと考える人間にとって人の時間を無駄に蝕むものは最大の敵な訳だ。労働契約時間を超過する無駄な残業、無駄な会議。それを何よりも強く憎む。


私が最も幸せなのは在宅で仕事をする事にある。それを認めてくれた会社であったから超大手の前職を辞めたんだが、現状は一体なんだ?

会社存続のために大幅な組織変更をして私も小売部門に組み込まれている。毎日2時間かけて出勤して毎日当たり前のように30分残業。毎日私の家族の時間を4時間半奪っている。毎週22時間奪われている。

私は今をそう捉えている。

在宅テレワークだから仕事の効率を高めようと郊外に転居したのに毎日中央区まで通えとはこの仕打ちはなんだ?という忿怒は日々抑えているがたまに収まらないこともある。


家族との10分のために毎日370円の特急料金を払う。私はそういう価値観の人間だ。価値のあることに時間を費やすことは喜びだ。価値のない時間は言葉の通り価値がない。
実際の物に例えよう。価値がないものに対価を払うのか?

価値のない時間に支払う時間は1分たりともない。そんなこと誰も理解してくるない。


だからいつも思う。
当たり前に生きてるな。
当たり前に生きてるから毎日を大切に生きる人の大切なものを害することを何とも思わない。


私は感情が高まるとこういう。


死ね、と。


死んでくれというより一度死と時間についてちゃんと考えてくれ、という意味合いだ。
分からないなら前述の通り死にかけてみればいい、と思ってる。私も昔はいまほどのレベルでは考えてなかったのは事実だ。死にかけたから分かる。

死にかけてわかったから死にかけなくても多くの人にわかってほしいと思っている。でも理解しないなら、理解せず人の時間を奪うなら

お前は死ね

と私はいうと思う。


ここまで来ると
いいから一度死ね。死ねば分かる、なんていう暴言を吐くと思う。でもそれくらい理解して欲しい。


ちゃんと分かるように書かなきゃダメ?