なあんおばはんの日常

本心から就きたい仕事って

好きなことをする、と決めてみたけど

何が好きなのか。

どんな仕事が

どんな生活が好きなのか、

したいのか。

まずはそこから、なのだ。




私は何が好きか、

というと

植物が好きだ。

植物をじっと見るのも

育てるのも好きだ。

植物図鑑が大好きだった。



そうだ、

ガーデニングもやりたいことの一つだ。

忘れていた。


全然、実行できていないな。


家庭菜園とか市民農園とか、やってみたいなと思いつつ


それもまだ実行できていない。


せいぜいベランダに観葉植物の鉢を数個、置いているくらい。


いま住んでいるところには庭は無い。


そういえば、そういうことも

あまり考えていなかった。




去年の9月まで住んでいた場所は

庭があったので、

結構、庭いじりができた。


主人は

私が嬉々として、花やハーブを植えたり、ゴーヤやミニトマトを育てていることを

喜んでくれていたようだ。



また少しづつでも、ベランダ菜園とかやってみよう。




子供の頃、近所にバラ園があって

そこで働きたい、なんて思ったことがある。

そこの人に聞いたら、「園芸高校」を出たら、

雇ってあげる、と言われたのを覚えている。



でも残念なことに、私の幼少時代は

親が勝手に決めた「音大ピアノコース」に100%縛られていて

私の夢など、実現不可能だった。


だけど、今は自由だ。

自分の可能な範囲で、自分のしたいことが出来る。


ここまで考えが自由になるのに、40年以上かかった。


親の呪縛というものは恐ろしく根深い。


その間の40年、私は何もしていないわけでは無いけれど

きっとずっと何かに縛られていた、というか、自分で自分を小さな瓶に

押し込めてしまっていたのだ。「引きこもり」だ。

自覚も無く。

それはとても悲しいことだ。

もし私と同じように、自分を瓶に押し込んでいる人がいたら

言いたい。

逃げろ!と。

そこから出てきて!ではなく、逃げろ!です。

まずは「安全地帯」に避難する。

話がそれました。





ところで


私の父方の祖母は

バラを育てるのが上手で

祖母たちが以前住んでいた家は「バラ屋敷」と呼ばれていた。

屋敷と言っても、そんなに大きくは無い昭和初期の古い西洋館で、

庭がバラ園のようになっていた。

いま考えると、当時としては意外にハイカラな家だった思う。

生垣もバラで、バラのアーチもあった。


その家は道路拡張かなんかで取り壊しになってしまった。




そうだ、私が花や植物やガーデニングに惹かれるのは

祖母の影響だったんだな、と今頃になって気が付いた。


私の両親は、ガーデニングとかは全く興味が無く、

実家の庭は全く魅力のかけらもない、

どうでもいい庭だ。



私はあの庭はあまり、好きではない。

ここはあんたの家じゃない、と子供の頃からずっと母に言われていたので


実家自体に愛着は無い。


私の家だから、あんたの家じゃない、なんて

小さい子供にそんなことをいう親だった。


私が18歳の時に父が死んで、まさしくあそこは「母」のものになった。


わたしには私の住んでいい家は結婚するまで

無かったのだ。

父が死んだ後、へこんでいる母をほっとくこともできず、

一人暮らしは断念したので、


結婚するまでは、私は母の家に間借りさせて頂いていたようなものだった。

弟は大学卒業して、就職と同時に家を出た。

まあ、弟はその4年後に亡くなったから

亡くなる前にあの母から自由になれて、良かった。



今考えると、私も母なんて放置して

さっさと家を出れば良かったのだが、20代前半の私は

まだまだ無意識に呪縛・共依存されていたのだと思う。


そう、全て「共依存」だ。

父に引き続き弟が死んだとき、

ああ一番厄介なのを私一人に押し付けられた、

と思ったが、


その通りだった。




いまはそう受け止めて、すっきりしている。

「勝手にしろよ、知らねーよ、あんたのやって来たことの結果だよ」と

思える。

良心の呵責、なんてものはもう無い。



親だって、個々の人なのだ。

私とは全く別の存在だ。

たまたま私の母は、彼女は

年齢だけ生きて、精神的に自立できていないままの迷惑な人、なのだ。

一つ、いいことがあるとしたら、彼女は今の自分の生活に満足していることだ。

なのでもう十分だ。



もう実家には行かない、

自分からは行かない

と思う出来事が今年の9月にあった。






そんなことも含め、そういうもろもろの呪縛を


解き放つのに、ずいぶんと時間がかかったので

(40年以上かかった。)


私はこれから


やっと


自分らしく生きていく。



ってことで、


本心から、就きたい仕事について、

考えてみる。



いま在籍している会社は、とても良い会社だ。

「人」を「人財」として観ている部分が素晴らしい。

・・・と言っても、正社員ではない。雇用形態は非正規雇用である。


私は社会的区分けでいうと、「負け組」なのだと思う。


一流大学を出て、一流会社に正社員で就職、というコースが「勝ち組」だとすると

私は全然、外れている。


それでも、この年齢で非正規雇用でも

雇っていただけるだけありがたい、と思っている。

給与も転職前よりは上がったし。

それに職場環境は前の職場より、はるかに良い。



3ヶ月経過して、

自分のいろいろなことを考える余裕ができてきた。



前の会社は業務量が多過ぎて

時間と体力を消費しているだけだった。

私は「安い人件費の一部」でしか、無かった。

雇用主からすれば、私じゃなきゃいけない理由など無く


誰でもいい、「一時的な人員穴埋め」でしかなかった。

それって或る意味、人権侵害だな、と思う。



安い人件費を維持するために

安価な給与で雇用し、業務量はどんどん増加するのに

人は増やさない。

何人も鬱や心身症になって休職するのに、全く無関心。


「いやなら辞めればいい。代りはいくらでもいる」

って企業方針・社風だ。

それなら、

チャットボットとRPAでいいんじゃない。

わざわざ人間使う必要無い。

チャットボットとRPAにはチームワークも協調性もコミュニケーションも

モチベもMTGも不要。

非正規雇用者は、RPA化するまでの繋ぎなのだろう。




企業収益には短期的には有意義かもしれないが、

私の自分の人生にとっては

搾取されるだけで、振り返ると、自分が相当なバカだったなと思う。




これからはそういう企業や業種は避けたい。




ただし、企業と、職場にいる生きた人間は別だから。


同じ職場の人たちに対しては、私は出来る限り努力した。

その部分は納得している。

自分が頑張ったことは、自分に還ってくる。






仕事は「自分も世の中も、みんなが幸せになるために在る」と思う。


「仕事」と「プライベート」は別、って考えがあるけど

区切り方はいろいろある。


私の場合は、「仕事」も「プライベート」も同じ自分の時間だ。


自分の時間を有意義に、幸せに生きていきたい。


まずはそこからだ。


まだ間に合う。






54歳になった。


54歳の一年間、よろしくお願いします。

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