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-歴史を動かしたのは「民族」ではないか-(GHQ焚書図書開封 第78回)

2017-06-24 15:14:59 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第78回
-歴史を動かしたのは「民族」ではないか-
アメリカ合衆国がアメリカ民族と言えるか?ソビエト連邦がロシア民族と言えるか?支那が支那民族と言えるか?いずれも、多民族の集まった集団。
長野朗はこれらアメリカ、ソ連、支那の集団間の争いを「民族戦」と称した。
アメリカ民族の西漸習性(布哇⇒比律賓⇒重慶)、ロシア民族の東進習性、支那民族の膨張習性が戦争を引き起こした。大きくみると、米露支の三国のエゴイスティックな膨張主義(ヘゲモニー、大国主義、覇権主義)の争いであり、理屈では説明のつかない民族のエネルギー力である。

■各国の対支政策については、以下の3つのパターンがあった。
 ①アメリカはすぐに軍事力を使わない(商人⇒宣教師⇒外交官の順に送り出し、文化政策と資本進出で平和主義を主張した)
 ②イギリスはすぐに軍事力を使う。
 ③日本式

■民族発展の方向、
 アメリカの東守西進(ヨーロッパからの侵略を阻止し、西に門戸開放を求めるジョン・ヘイの思想)、支那の北守南進(万里の長城を築くなど北からの蛮族の侵略を阻止し、南に領 土拡大を図る)であった。
アメリカの支那進出方法は3コースあった。
 ①中央コース:上海を中心に直接文化侵略。日清戦争後は支那の留学生(孫文など)は日本で学んだが、54運動後は、アメリカで学ぶようになった。アメリカでは留学費用を支那から受け取った団匪賠償金で当てた。その一つが、留学準備校の清華学院の設立である。いわゆる文化&経済侵略。
 ②北方コース:ベーリング~満州~支那で満州鉄道中立化を図り鉄道利権を中心とした経済侵略。ハリマンの世界一周鉄道の野望があったが、日本側(小村外相)の妨害で挫折した。
 ③南方コース:布哇~比律賓~重慶で、武力(空軍・海軍)が使える侵略。
アメリカは南方コースに期待をもち、特に力をつぎこむようになったことから、日本は、アメリカの野望を抑えるための南進を進めることになった。アメリカのデトロイト自動車産業に必要なゴム(マレー半島)、タングステン(西安地方)、アンチモン、錫(南洋)など軍事産業に必要な材料や支那には燈油が豊富であることも魅力であった。

長野朗はこの本の中で、こう述べている。「支那には近代国家を形成する能力はない、支那自身の伝統になじんだ国家(社稷・しゃしょく)をつくるべき」と。

■民族の発展方式
アメリカの発達の方式はドルだ。ドルを保護するため軍艦と飛行機がある。
ロシア民族の発展は剣と銃が先にたって、植民と商業があとからくる。ソ連になって組織と宣伝が加わった。
支那民族の発達は鍬であり、人が土を這うようにしていく。政治はそのあとからついてくる。
アメリカ民族の発展(侵略)は、表皮を剥ぐように入ってくる。
ロシアの発展は肉を喰らう。
支那民族の発展は骨の髄に喰い込む最も深刻なものだ。
支那の古来の発展は民族的である。国家等には頓着なく、支那民族が発展していくのだ。血縁相牽き、同郷相求め、村をなし、郷をなし、町をなし、省をなす。その統治者の如何は問うところでない。従って支那民族の発展は極めて平和的であるが、極めて深刻である。
支那人の侵略は、アメリカ人のごとく資本侵略でもなく、ロシア人のごとく征服掠奪でもない。土着的である。その土地に土着して農を営み、商工を営み、、町をなし、県をなし、省をなす。
彼らには武力の背景も、国家の背景も必要でなく、丸く巻いた布団をかつぎ、徒手空拳にして、いかなる気候のもとでも、熱帯、寒帯、乾地、湿地にも出かけ、いかなる業務も厭わず、いかなる政治のもとにも平気である。

参考文献:「民族戦」長野朗


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