恵方巻は小田巻蒸しが起源?-節分と立春、大晦日と正月と
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恵方巻は節分の年越蕎麦と大晦日の晦日蕎麦として船場で御馳走として食べられた小田巻蒸し(略称「まき」「巻」)や節分の粽・茅巻ちまき(略称「まき」船場言葉・京ことば)が、巻き寿司(略称「まき」「巻」)と混同された上で、節分の歳徳神を恵方へ詣でる年越詣がミックスされて産まれたのではないかと調べてみて思いました。
「恵方詣りをしてすっぽん雑炊や小田巻蒸しや寿司を食べる」は大阪言葉で「エホォをモウて、マル(すっぽん)のママ(飯)マキ(小田巻)(や)鮨(を)丸口(マルグチ・丸かじり)」とも聞こえるので、当時地方から来た方が急増していた大大大阪で違う意味として聴きとった?等かもしれません。本来の関西方言には「てにをは」を飛ばす特徴があります。
昭和初期、戦前の節分の食事
戦前の節分(立春前)の日の食事を調べたレポートでは巻き寿司の習慣は掲載がありません。小田巻蒸しは茶碗蒸しの中にうどんが入ったものですが京都では茶碗蒸し大阪ではうどんが食されるので、船場の商家は裕福なので同じうどんでもご馳走な小田巻蒸しを食べていたのではないでしょうか。
東京都 大豆、いわし、福茶、赤飯、混ぜ御飯、煮しめ/大豆、いわし、五目ちらし
静岡県 大豆、いわし、年越しそば、海苔巻き、五目ずし、にぎりずし/大豆、落花生、いわし
京都府 大豆、いわし、かぼちゃ、麦飯/ 大豆、いわし、餅、団子、おこわ、かまぼこ、茶わん蒸し
大阪府 大豆、いわし、麦飯、なます/大豆、いわし、うどん、餅、麦飯、飴
兵庫県 大豆、いわし、餅、雑煮/大豆、いわし、煮しめ、豆腐汁、麦飯、餅、雑煮、そうめん
徳島県 大豆、いわし、煮しめ、すし/大豆、いわし、こんにゃく
愛媛県 大豆、いわし、こんにゃくの煮しめ、麦飯、すし/大豆、いわし
pp.3-20松本美鈴「現代家庭における年中行事と食べ物」,青山学院女子短大総合文化研究所年報』(2005)
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110006245932.pdf?id=ART0008267157
京阪奈の「巻:マキ」
京ことば・船場言葉ではマキは節分でも作られていた粽(茅巻チマキ)の略語で、大阪ことばでは「巻:マキ」は小田巻蒸しの略でもあり、巻き寿司の略でもあります。粽はかつては節分でも作られ、それが豆へ移り変わったとのことです。では大阪発祥のマキとは巻きずしの玉子巻のことだったのでしょうか?関西では巻きずしは必ずしも海苔巻きを指さず、かんぴょう巻、昆布巻、湯葉巻、玉子巻等があります。
まき=小田巻おだまき(苧環=綜麻・巻子)
「小田巻の略。巻き焼(玉子巻)・巻きずしの略。うどん屋とまむし屋、または鮓屋とで扱う品がわかれているので、間違いはない。」664頁,牧村史陽「大阪ことば辞典」講談社学術文庫,1984年
「あのシッポク(※しっぽくうどん)のことウドン屋で「キヤ」ちゅうなぁ……アンペェ(※はんぺん)のことあれ「ヤスベェ」ちゅうやろ……オダマキ(※小田巻蒸し)のこと「マキ」ちゅうやろ……ソバが「シマ」ちゅうやろ……アンカケのこと「ヨシノ」ちゅうやろ……キツネのことあれ「シノダ」ちゅうやろ、タヌキちゅうのはキツネソバのことをタヌキちゅうねん」上方落語「吉野狐」 http://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakug320.htm
まき=粽(ちまき)
中国大陸の故事に因むちまきは節分でもつくられていたようです。
中国の古典、楚辞に屈原(くつげん)という人が出てきます。非常な愛国者で有能な人であったのですが、ざんそによって左遷され汨羅(べきら)と言う河に身を投じて死んでしまいます。その後、屈原の怨霊〔鬼〕がたびたび現れ、汨羅を通る人々に災をもたらしました。そこで、人々は災を鎮めるため、節分〔5月5日・屈原の忌日〕の日に「ちまき」を河に投じ霊を慰めたと言うことです。 もともと「ちまき」は節分には必ずつくられていたようですが、今では、5月の節供菓子になってしまいました。やがて「ちまき」は五穀にかわり、さらには豆に代表されるようになりました。追儺会(東金堂),奈良・興福寺 http://www.kohfukuji.com/event/festival/02.html
新しい伝統の「恵方巻」
恵方巻は寿司・海苔業界やコンビニエンスストアがプロモーションした昭和の新・伝統のようですが、元になる風習はあったのでしょうか?
年越しと節分、大晦日とお正月
太陽暦に切り替わった後も明治43年まで旧暦も併記していたそうで、昭和初期あたりまで年越し(節分と旧正月)は共に新暦の太陽暦においての2月を指すという感覚であったようです。
年越し 現在は二月節分の夜を年越しと呼んでいるが、もとは旧年から新年に移る夜、すなわち大晦日の日の称であったことは、その字義によっても明らかである。旧暦(太陰暦)による正月は、大抵立春と前後しているのが例である。このように、一年の別れ目の大晦日(年越)と、二十四気の別れ目の節分とが毎年ほとんど前後しているところから、これがいつの間にか混同してしまったものである。490頁,牧村史陽「大阪ことば辞典」講談社学術文庫,1984年
としこし年超 旧年を越して新年に移りかわること。……大晦日の夜または節分の夜をいう。1357頁,日本国語大辞典〔縮小版〕7巻,小学館,昭和58年
年越し
年越しは節分の夜と大晦日の夜です。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992951/27
節分の年越蕎麦
年越しそばといえば現在は大晦日の晦日蕎麦と同義ですが、節分に食べる蕎麦も年越蕎麦であったようです。今も京都の吉田神社の節分会では年越し蕎麦は食べられています。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/863016/575
としこしそば年越蕎麦 細く、長くあれと祝い、大晦日の夜または節分の夜に食べるそば。1357頁,日本国語大辞典〔縮小版〕7巻,小学館,昭和58年
みそか
みそか(晦日・三十日・晦)は月の末日を意味しています。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992952/23 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562807/18 関西ではつごもり(月盡つきごもり→つごもり、月盡・尽日)とも言われていました。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562797/27
晦日蕎麦(みそかそば・つごもりそば)
今は大晦日だけの風習となった晦日蕎麦ですが、月末に蕎麦を食べて祝う習慣があったようです。大阪船場では小田巻蒸しを食べていたのではないでしょうか。月ノ末日ニ、祝シテ食フ蕎麦切。478頁,大言海,富山房,昭和十年九月
恵方と歳徳棚
今も恵方へ神棚を向ける為に歳徳棚や向きを変えられる神棚をもうける家がありますが、年越しに歳徳神の恵方を詣でる習慣は節分で記載されています。
としこしまいり年越参 節分の夜、翌年の歳徳(としとく)の方角にあたる社寺に参詣すること。年越詣。1357頁,日本国語大辞典〔縮小版〕7巻,小学館,昭和58年
巻:マキ(小田巻蒸し)と蕎麦・うどんと晦日蕎麦
自分はまだ食べたことないけどこういうのもあるw » 特大の茶わん蒸しにうどんがイン! 大阪府の郷土料理「小田巻き蒸し」 | at home VOX(アットホームボックス) https://t.co/cWJoCvofgl
— ふらぢゃいる (@Fragile1973) 2017年12月26日
巻=小田巻蒸し
小田巻蒸しは茶碗蒸しの具にうどんや蕎麦を入れる大阪・船場のハレの日の料理で正月や大晦日に食べていたようです。 http://toraya-group.blogspot.jp/2012/08/blog-post_22.html http://cayenne4.blogspot.jp/2012/07/blog-post_7.html
「おだまき」は「小田巻」と書くこともありますが、「苧環」とする説が有力のようです。苧環とは、紡いだ麻糸を空洞ができるよう丸い輪に巻いたもので、これが茶碗蒸しの底にしかれたうどんの形に似ていることから名付けられたようです。 「おだまき蒸し」は、かつての大阪では年末から正月にかけての祝いの席でよく食べられたと言い、うどんの台に、鶏肉、サワラやアナゴなどの魚介、シイタケ、クワイ、ユリ根、ギンナンなどの野菜、カマボコなどの具を惜しみなく乗せ、だし汁で溶いた卵液をかけて蒸し、仕上げにユズやミツバを散らします。豪華な具材を数多く使用し、調理に手間や時間がかかることから、高級料理として大阪船場あたりで人気があったと言います。 大阪 おだまき蒸し「全国粉料理MAP」日清製粉
小田巻=苧環は織物に使うもので繰り返しという意味があったようです。暦は、年を越してまた新年を迎える営みも「おだまき」となると思いますし、生命にとって立春は死と再生の瞬間です。
おだまき……おだまきの正月(しょうがつ)(伊勢物語-三二)の「いにしへの賎(しず)のをだまきくりかへしむかしを今になすよしもがな」の歌から、くりかえしの正月の意)閏(うるう)正月。615頁,日本国語大辞典〔縮小版〕,小学館,昭和58年
倭文の苧環
昔の織物の倭文を紐解き糸にしてまた織る「おだまき」は、歳月の循環と永続性を祈る大晦日-新年の夜や立春前日の節分の夜にピッタリのようです。 京都ではかつて節分に「おばけ」という風習があって、吉田神社へ若い女性は年ふりた女性、年配の女性は若い女性の恰好をしてお参りする習慣がありました。それもまた、おだまき-新と旧の交代と若返りと同時に歳をとるということ-をあらわしているのかもしれません。 苧環は七夕(乞巧奠)の飾りにも出てきます。舞踊や歌舞伎の流星も苧環を手にして踊ります。 伊勢 32「いにしへの賤乃おだ巻(倭文の苧環)くり返し(繰り返し) 昔を今になすよしもがな」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532303/20
節分の年越蕎麦と晦日蕎麦の巻=小田巻蒸しと恵方の年越参
節分の年越蕎麦・大晦日の晦日蕎麦として食べていたハレの日のご馳走である小田巻蒸しの略称は巻(まき)で蕎麦屋やうどん屋で出されます。節分の粽も略称はまきで、寿司屋での巻(まき)は玉子巻や巻き寿司の略語でもありますから、混同されて節分の巻きずしとなったのではないでしょうか。そこへプラスして節分に恵方をまいる年越詣が重なり、恵方へ沈黙して巻きずしを食べるという新アイデアになったように思いました。結果、みんなで歳徳神の恵方へ向くので、いいことがあるかもしれません。細く長いものが縁起がいいのであれば、超細巻き寿司のほうが太巻きよりもいいかも?