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柳緑花紅-香山便り

日々の記録です

天皇さん京都御所へご帰宅

2019-03-27 01:39:05 | 日記

天皇さん京都御所へご帰宅

京都御苑の近衞邸跡の枝垂れ桜を観に行った際、天皇さん皇后さんをお見かけしました。平成が終わる弥生の25日にお見かけできるのは感慨深いです。帝さんの平成最後の京都御所へのおなりと平成最後の建礼門の開門とを目の前で観られるとは思ってもいませんでした。

天皇さんのお茶会

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両陛下が京都でサクラご覧に 観光客と触れ合いも(19/03/27)

近衞邸跡から南へ歩くと中立売御門から宜秋門へ続々と黒塗りの車が寄り付いていました。一般の方々が二十名ほど並んでおられたので、もう来られた後かな?と出水のしだれ桜を見に通り過ぎて歩きました。京都御苑は観光客の方々は天皇さんが来られたことにも気が付いていない様子で、地元の方々は何も気にせずにごく普通に京都御苑の中を自転車で通り過ぎているというシュールなほどの平常運転さとのんびりさ(笑)。

梅や桃を見てから建礼門へと北上すると、少ない人数ですが並んでおられたので、もしかしたら大宮御所から京都御所へと通りかかられるのかなとその中へ混ざることにしました。

通りかかられたお車。美智子様のお顔が見えました。一眼レフのカメラを持っていれば良かったのですが、iPhoneの写真ではお豆さんのようなお姿しか映せませんでした。

美智子皇后、京都御所建礼門前,平成31年3月25日

お茶会は30分ほどとのことだったので、せっかくなので出待ちをしました。

天皇陛下、京都御所建礼門から,平成31年3月25日

天皇陛下、京都御所建礼門から出て観衆に手を振られる,平成31年3月25日

激動の昭和の苦しみも悲しみも引き継いで背負われた帝さんでいらっしゃいました。これからはどうかのびのびと自由な時間を過ごされますように。

建礼門から承明門を通して紫宸殿が見えました。建礼門は天皇さん(最近は国賓の方々も)のみが使用される門だそうで、なかなか撮影できない写真が撮れたんだと後から気が付きました。

京都御所建礼門から望む承明門と紫宸殿,平成31年3月25日

京都御所建礼門奥から望む承明門と紫宸殿,平成31年3月25日

平成の時代が過ぎていきます。新元号は1週間後の発表です。

web上の帝さんの写真も、私が撮影した写真も、周囲の人が撮影した写真も、そのカメラをしかとみているアングルが多いのには驚きました。目線の配り方はただ単に手を振っているだけではなく、一人一人をきちんと追っているのだとみていて思いました。象徴としての在り方を真剣に生きておられるのだと感じました。

京都の街は帝さんが帰宅されてもとても落ち着いた様子でごく自然でした。特にお堀で囲ったりすることもない街中と連続してつながっている平らな京都御所が、本来の天皇家のお家なんだなと感じます。「平らき(仲直り・和睦)」という言葉をふと思い出しました

平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。  ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ  平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。  しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。ご在位30年式典 天皇陛下、お言葉平成三十一年二月二十四日,産経新聞HPより引用
宮中祭祀とは何か。皇學館大学名誉教授で、昭和から平成への御代替わりの時に、宮中祭祀に奉仕する掌典職で祭事課長を務められた鎌田純一氏は、以下のように説明されている。「皇室祭祀または宮中祭祀とは、天皇が賢所(かしこどころ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿のいわゆる宮中三殿、また神嘉殿(しんかでん)、そして山陵(さんりょう)で、御祖先また神々に深謝され、国家の安泰、国民の福祉、さらに広く世の平らぎを祈念される祭祀のこと」と。 皇室への「保守」の暴言,高森明勅,2019.3.13